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六章



 懐かしい、と思ってしまうのは、自分にも故郷を懐かしむ心が残っているからだろうか。活気溢れる市場を通りながら、ラキシエルは考える。
 ライネと共に村を出たラキシエルは、特に行くあてもなかったため素直に街道を進み、十字の街タイデルへと辿り着いた。東西を繋ぐ街道と南北に伸びる街道とが交わるタイデルは、東西南北からあらゆる品が流れてくる、西部諸国一の交易都市だ。ラキシエルの故郷である、大陸一の交易都市ロマールと比べてしまうと規模は小さいが、雰囲気はだいぶ似通っている。
 しかしラキシエルが知る故郷と言えば、アイオン家の屋敷があった高級住宅街か、貧しい者たちが身を寄せ合って暮らすスラム街がほとんどで、町の中心を横切る街道沿いに延々と連なる市場の記憶は、あまり記憶に残っていない。ならばなぜこんなにも懐かしいと想うのか――ぼんやりと周囲を見渡して思い出すのは、この街で出会った少年の事だった。
 そうだ、この街から街道を南に進もうとして出会ったのだ。傷付き深い雪の中に倒れ込んでいたセインに。そして彼がある程度回復し、旅を再開できるようになるまで過ごしたのが、この街だった。
「ラキシエル!」
 甲高い声で名を呼ばれ、ラキシエルは顔を上げる。声がしたほうを見ると、ライネが高く上げた手で荷物をぐるぐると振り回していた。
 小柄なライネをひとごみの中で見失えば再び見つけるのは困難だと思っていたが、周囲の人々が荷物を避けてくれているおかげで、すぐに見つける事ができた。ラキシエルとしては幸いなのだが、彼らの迷惑そうな顔を見ると、手放しに喜んでいい事ではなさそうだ。
 ラキシエルは急いでライネに駆け寄ると、ライネが振り回す荷物を受け止めた。
「周りの人が明らかに迷惑がっているのに少しは気付こうね。気付いててやってるなら、今後はやめるように。僕はともかく、他の人に迷惑をかけてはいけない」
「へえ。ラキシエルには迷惑かけていいんだ」
「や、駄目だけど」
「どっちだよ」
 ライネが肘でラキシエルの肘をつついてくるので、ラキシエルは聞こえよがしにため息を吐き、ライネの両肩に手を置いた。
「ライネ、僕は君よりうんと年上で、もうおじさんなんだよ。年寄りは労わるものだって、小さい頃から言われているだろう?」
「なーに言ってるんだよ。まだまだ若いって、ラキシエルは」
 満面の笑みを浮かべたライネが、ラキシエルの肩を力強く叩く。
 その力と同じだけ、元気をもらったような気がした。ライネくらいの年頃の少女には、とっくにおじさんだと馬鹿にされると思っていたので、安堵した部分もあった。年老いていく事が辛いわけでも抵抗があるわけでもないが、これ以上からかわれたくないと言うのが本音だ。
「そんな貫禄ないじゃん」
 だがすぐに、安堵感はかき消えた。どうやらライネは、ラキシエルを慰めようとしたわけではなく、他の方法で馬鹿にしたかっただけらしい。
 それはそれでライネらしいとは思うのだが、このままでいいのかと、ラキシエルは不安になるのだった。ライネの、礼儀がなっているとは言いがたい人をおちょくるような態度を、好意的に受け入れる者のほうが少ないと思うのだ。嫁の貰い手はあるのだろうかと、父親でもないのに気にしてしまう今日この頃だ。
 ライネが夢を叶えて立派な女戦士になるならば、乱暴な言葉使いや性格が生きてくるのだろう。だがライネがその夢を本気で叶える気があるのか、ラキシエルは判らなくなっていた。
 剣の修行をしている姿をよく見かける。だから完全に諦めてはいないのだろう。しかしそこどまりで、腕試しするでもない、冒険をするための仲間を探すでもない。そんな事で立派な戦士になれるのだろうか?
 ずっとこのままではいられないのだ。ライネはラキシエルの手から離れて、独り立ちするか、これからを生きる相棒を見付けなければならない。それが女性としてのか、戦士としてのかは、判らないけれど。
「ライネはさ、どんな戦士を目指しているんだい?」
 できる事ならラキシエルは、ライネを彼女自身の夢に向かう道へと導いてやりたかったが、その道がどこにあるかが判らなかったし、誰かが導いては意味がないのだろうとも思い、ただライネの自覚を促すため、その質問を投げかけた。
「うーん、そうだなあ。やっぱ、どうせ目指すなら一番かなあ。で、西部諸国一の戦士といったら、やっぱりあれだよね」
「誰?」
「知らないの? 『西の勇者』の事」
 西の勇者。
 そのふたつ名をはじめて耳にしたラキシエルは、判りやすいと褒めるべきか、もう少し捻った名をつけたほうがいいと思うべきか、少し考え込んでしまった。おそらくは、周囲の人間がその戦士の事を勝手にそう呼んでいるだけで、本人が名乗ったのではないと思うが――もし自分で名乗っているのだとすれば、神は彼に戦士としての才能を与える代わりに、名付けの才能を奪い去ったとしか思えなかった。
「本当に知らないんだ」
 ライネがラキシエルを見上げる目は、完全に呆れていて、切なくなるほど冷たかった。
「すごい噂だよ? 旅の途中で、何度も聞いたよ?」
「そうだっけ?」
「そうだよ! ほら、何年かに一度、西部諸国の各国代表が集まる武闘大会みたいなのがあるでしょ。去年のその大会で、ラバン代表の無名の青年が、圧倒的な強さで優勝かっさらっちゃったって」
「すごいね」
「すごいだろ!? ま、無名って言っても、西部諸国で無名だっただけで、南の方でけっこう有名な冒険者だったらしいんだけどさ。でも、その大会での活躍以降、西の勇者なんて呼ばれるようになったらしくてさ。なんでも、すっごい美形らしいよ」
 ライネはまるで恋しい男性について語ってるかのように、頬をほんのり桜色に染める。
「最後のはうさんくさい噂だね! 強い戦士が美形だったためしなんてないって。それ、絶対噂がひとり歩きしてるよ」
「う、うるさいな!」
 可愛らしいと思えたのは一瞬で、ライネは顔を真っ赤にして怒鳴った。
 ライネにとって西の勇者は目標、つまりは憧れの人物だ。真実にしろ嘘にしろ、憧れの人を馬鹿にされたら気分を損ねるのは当然で、悪い事をしたな、とラキシエルは素直に反省した。すぐに反省できるような事をあっさり口にしてしまうとは、ライネと話している時のラキシエルは、彼女の若さ幼さに引きずられ、精神が退行しているのだろうか? もちろん、ライネのせいにするつもりはないが。
「ごめんごめん、言いすぎた。でもさ、完璧な人なんて居ないし」
「判ってるよ、そんな事。でもさ、並くらいの顔だったらさ、絶対、普通の男よりカッコいいだろ!?」
「うん、それは正しいと思う」
 ラキシエルは深く肯いた。
 同じ容姿ならば、ただの平民と英雄である男とでは、明らかに後者の方が格好いいだろうと思うのだ。体格の違いなどもあるだろうが、雰囲気に歴然の差があるに違いない。
「あ、そうだ、ラキシエル。どうせ行き先が決まっているわけでもないんだし、西の勇者に会いに行ってみない?」
 ぽん、と手を叩いたライネは、輝いた目でラキシエルを見上げながら言った。
 憧れの人物に会ってみたいと望むライネの気持ちは判る。ラキシエルの旅に明確な行き先はないから、当面の目標としてライネの望みを掲げるのも悪くはない。
 だが――
「そんな英雄に会おうと思って会えるのかな。強い戦士なんだろう? その人が今どこを旅しているか、判らないじゃないか」
 率直な疑問をラキシエルが述べると、ライネは不敵な笑みを浮かべた。
「甘いな、ラキシエル。ボクの情報網をなめるなよ」
 ライネの情報網など、せいぜい、井戸端会議に顔を出すか、宿泊先の店の主人や店員とする世間話程度である。たまたま都合のいい情報が入っただけだと言うのに、よくここまで堂々とできるものだ。ラキシエルは呆れを通して感心しながら、それでこそライネかもしれない、と思いはじめていた。
「西の勇者はね、パーティを解散して、冒険者としては一線を退いてるんだって。だから、ラバンに定住して、ラバン代表の戦士になれたんだね。完全に引退したわけじゃないから、時々は依頼を受けて、旅に出る事もあるらしいけど……とりあえず、基本的にはラバンに居るって事さ」
 ラキシエルは腕を組み、少々考え込むそぶりを見せた後、再度率直に意見を述べた。
「でも、ライネが言った事が本当なら、西の勇者は老若男女問わない人気者になると思うんだよね。そんな人がわざわざ僕たちに会ってくれるとは思えないけど」
 するとライネは肩を落とし、俯き気味になった。少し落ち込んでいるようだった。ラキシエルの意見に反論できない事に落ち込んでいるのか、わざわざラバンまで足を運んでも西の勇者に会えないかもしれないと言う想像に落ち込んでいるのかは、傍目から見ても判らなかったが。
「それでもいい。会えなくても。遠くからちらっと見れるだけで」
「ま、ひと目見れれば、噂どおり美形かどうかは確かめられるしね」
「もー、ラキシエルは……」
「いいよ」
「へ?」
「行こうよ、ラバンに」
 ライネはしばらく呆けた顔をして、無言で、胸の前で作った両の拳を震わせていた。
 大声で騒いだり、跳び跳ねたりと言った、派手な喜びかたをしない事は意外だったが、感情表現が普段のライネらしくないせいか、余計に感激が伝わってきた気がした。
「それにしても、ラバンかあ。ラバンねえ」
「ラバンに何かあるの?」
「いや、逆。何か特色あったかなあって。西部諸国にはあまり詳しくないんだけど、一番地味な印象があるからさ。なんで安住の地にラバンを選んだんだろうって思ったんだ」
 ラキシエルにつられたのか、ライネも首を捻った。
「大して何もないところで、のんびり暮らしたかったのかな。戦う事に、疲れたのかもしれないね」
「おや。大人な意見」
「ボクを馬鹿にしてるのか」
「いつもそうしているのは君のほうじゃないか」
 からかうように笑うと、ライネは顔を真っ赤にし、笑い続けるラキシエルの脇腹に、固く握りしめた拳ねじりこんだ。
 悲鳴も出せない鈍い痛みを突然受けたラキシエルは、脇腹を押さえながらその場にうずくまる。
 目じりに浮かぶ涙をこぼさないよう耐えながら、「戦士の修行はそれなりに効果を上げているようだな」と、ラキシエルはぼんやり思っていた。


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