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六章



 小国ばかりが連なる西部諸国の中でも、ラバンは特に小さな都市国家だ。
 小さな村や町はいくらもあるが、首都であり唯一の都であるラバンの人口は数千人。ラキシエルの故郷であるロマールよりはるかに少ないし、捜索対象は、英雄扱いされている有名人だ。探し出すのはそう難しくないだろう、と、ラキシエルたちは考えていた。
「ま、世の中そんなに甘くないよね」
 歩き疲れたふたりは、たまたま通りかかった飲食店に入り、乾いた喉を潤す。
 普段は水や茶やぶどう酒などしか飲まないラキシエルだが、疲れているせいか体が甘いものを欲するので、ライネと一緒に果実を絞ったジュースを注文した。強い甘みの中に混じる酸味が爽やかで、疲れがじわじわと癒される気がする。穏やかな心地よさに、いっそこの場で眠ってしまいたいと、一瞬考えてしまった。
「いくら有名人とは言え、数千人の中から見つけ出すのは大変かあ。そうだよなあ」
「疲れたね」
「うん、疲れたよ」
 疲労のせいか元気のないライネに同意しながら、ラキシエルは少しだけ安堵した。自分がこんなにも疲れているのは、歳のせいではない。
「ちょっと休んだら、もう少しだけ探して、夕方になる前に宿に帰って、ゆっくり休もう」
「うん」
 見つかるまで探すと言われたらどうしようと思っていたが、ライネは思いのほか素直に同意してくれた。
 こんな事なら「今日はもう宿に帰って休もう」と言っておけば良かったと、ラキシエルは少しだけ後悔する。後悔しつつも、今更前言撤回し、新しい案を出す事はしない。しても、きっとライネは反発するだけだ。ライネのほうが前言撤回し、捜索時間を長くされかねない。
「どうしました。こんな明るい時間から、ずいぶん疲れているようですが」
 ぐったりとしたふたりの様子を見かねたのか、店の主人が声をかけてきた。
 気のいい人だ。だが、話かけてきた理由はそれだけではないのかもしれない、とラキシエルは思う。彼はきっと暇なのだ。昼食時間帯からも夜からも遠い今の時間帯、飲食店に客が来ないのは当然と言えば当然で、今この店にはラキシエルたちふたりしか客がいないのだ。
「そうなんです。人探しをしているのですが、見つからなくて。体力を使い果たしそうです」
「ラバンで人探し?」
「ええ。ラバンに住んでいると、噂で聞いたので」
 そこまで言うと、店の主人の眉がぴくりと動いた。こころなしか、機嫌を損ねたように見える。
 何か相手を不快にさせる言動をとったかと、ラキシエルは己を振り返ったが、どう考えても自分に問題を見つけられなかった。逆に聞きたいくらいだ。今のラキシエルの言葉で、どうやって不快感を覚えたのか。
「もしかして、西の勇者かい?」
「そうです。西の勇者です」
 主人は妙に長いため息を吐く。
「やっぱりな」
「やっぱりって?」
「多いんだよ、西の勇者に会いに来る人」
 へぇ、と、ラキシエルは感嘆のため息を吐いた。主人の言葉で、西の勇者と呼ばれる人物の存在や名声が、ライネの妄想や誤った噂ではないとはっきり判ったからである。
「それでどうしてオッサンが嫌がるの」
「嫌って言うかね、ま、商売敵だから」
 ラキシエルとライネは、寂しいような間抜けなような複雑な表情で肩を竦める主人を、半ば放心状態で見つめる。あんぐりと口を開いて並ぶふたりの姿は、さぞ滑稽だろう。
 だが、それほど驚いたのだ。目の前の、虫も殺せないような穏やかな顔をした中年の男が、西の勇者と呼ばれる男の商売敵だとの事実に。つまりこの店主も戦士だと言う事で、人は見かけによらないとはよく言うが、それでも信じられない。
「ああ、言葉が足りなかったか。勘違いしないでくれ」
 店主は慌てて両手を大きく振り、否定した。
「俺が戦士をしているわけじゃない。向こうが飲食店を経営してるんだよ」
「えぇー」
 瞬時にライネの表情が曇る。唇からもれ出た言葉にならない声は、明らかに不満を表現していた。
 気持ちは判らなくもない、と、ラキシエルは小さく頷く。強さに憧れた戦士が、地味な地方都市に引っ込んで料理店などと、夢が壊れたのだろう。
 しかし西の勇者に特別な思い入れのないラキシエルとしては、失望よりも興味のほうが強かった。親近感が湧いたのだ。目の前にはいくらでも華々しい道があっただろうに、わざわざ普通の人生を歩んだ英雄に。
「あれ? 店をやってるのは美人の嫁さんで、西の勇者は手伝ってるんだったかな?」
「へぇ……」
 この時ラキシエルは、西の勇者はけして美形ではないだろうと、確信したのだった。沢山の街や村を渡り歩いた時に見た経験から、美女の相手が美形である確率が、風邪をこじらして命を落とす確率より低い事を、知っていたからである。それにフィアナと自分の事も含まれるのだとは、気付いていても気付かないふりをする。
「この店を出て、通りをずっと北に……北ってあっちな。に、進むと、坂がある。そこを登りきったところに店があるよ」
 淀みない説明口調は、飽きるほど同じ説明を繰り返してきた証に思えて、ラキシエルは店主に深く同情する。
 しかし、ライネはまったく気付く様子なく、
「よし、じゃあ行こう、ラキシエル!」
 礼のひと言も口にせず、残った飲み物を一気に飲み干し、勢いよく立ち上がり、走って店を出ていくのだった。
 ライネと共に旅する中で何度目になるか判らないため息を吐き出してから、ラキシエルは店主に対し丁寧に礼を述べ、勘定を支払いライネの背を追う。
 並んで歩きはじめてすぐラキシエルは、なぜ北にどれほど歩くかを聞いておかなかったのか、と後悔した。
 少々休んだとは言え、疲労は取れていない。捜索を再開すると、蓄積したものが重くのしかかってきた。真っ直ぐ歩いているつもりだが、ふらふらと蛇行しながら歩いているようで、大して込み合っている道でもないと言うのに、すれ違う人々に何度か体をぶつける事になった。
 ふたりが長い坂を発見したのは、商売敵に協力する事が悔しくなった主人が嘘を教えたのではないか、と疑いたくなってきた頃だ。坂の終わりを見上げると、晴天の青に橙色が混じりはじめている様子が見える。
「ラキシエル、坂発見!」
「本当だ、坂だね」
 若いからか休憩でしっかり体力を回復させたのか、憧れの人にもうすぐ会えるかもしれないと言う期待が彼女に力を分け与えているのか、ライネはまだ元気が残っているようだった。勢いよく手を振り上げ、坂を指差す。
 だが西の勇者へ抱いた興味をとうに失っていたラキシエルは、「もう会えなくていいから宿に帰って眠りたい」と思いはじめていた。坂を登りたくなかったのだ。ライネが小走りで進んでいくから、追いかけざるをえなかったけれど。
「ラキシエル、店発見!」
「本当だ、店だね」
 ようやくたどりついた事が嬉しくて、不思議と足が軽くなる。ラキシエルはライネの勢いに置いていかれる事なく、店の中を覗く事ができた。
 夕食にはまだ早い時間だが、店があまり広くない事も手伝って、席はほとんど埋まっていた。確かに、これが商売敵では嫌になるかもしれない。
「いらっしゃいませ」
 足を踏み入れた瞬間、耳に心地よい柔らかな声が、ふたりを迎え入れる。
 声の主は厨房に立つ女性だった。豊かに波打つ黒髪をひとつにまとめた女性は、深い紫の瞳をこちらに向けている。滑らかな輪郭線を描く白い顔の中で輝くふたつは、まるで宝石のようだ。静かな笑みを浮かべる赤い唇も、同様に。身につけている衣服は質素なものであったし、化粧はさりげなく、清楚な雰囲気を持ち合わせてはいるのだが、しかし同時に抱える妖艶さが、何とも言えない色香を漂わせていた。
 なるほど確かに美女だ。好みか否かはあるだろうが、その魅力は誰もが認めざるをえない。厨房に面するカウンター席が男たちで埋まっているのも当然だ、とラキシエルは思う。
 だがラキシエルが彼女に目を奪われたのは、美しいからだけではなかった。何となくだが、記憶のどこかにひっかかるのだ。これだけの美女、一度見たら忘れられるはずがないのだが――
 そうして考え込んでいると、突然、ラキシエルの脇腹にライネの肘が食い込んだ。
「っ……ライネ!」
「美人だからって見惚れるなよ」
「いいじゃないか、見るくらい」
 ライネは不機嫌そうに顔を背け、あいている席についた。その向かいにラキシエルが座ると、思いきり足を踏んでくる。
「っ……! 何をそんなに怒ってるんだよ」
「べつに怒ってないよ」
 どう聞いても怒っているとしか思えない口調で小さく呟くと、ライネは店の中を見回した。「なんなんだよ」と呟いて不満を訴えつつ、ラキシエルもライネに習う。
 客席から見える店員らしき人物は、調理している美女と、雇われと思わしき調理助手兼給仕役の女性ひとりだけだ。客席にも、西の勇者と思わしき男が紛れている様子はない。
「居ないね」
「うん、居ない」
「よく考えれば、そんな有名人、出てきたら大騒ぎになるから、隠れて裏方に回ってるんじゃないかな」
「そうかな? お客さんの目当ては、ほとんどがあの美人だろう? 誰も西の勇者に騒いだりしないよ」
「確かに……って、ラキシエル、また見惚れてる」
 ライネが半音低い声で訴えてくる事ではじめて、再び美女を見つめていた事を自覚したラキシエルだった。
「仕方ないじゃないか。美人なんだから。女性が花や宝石に見惚れるのと同じで、これは本能なんだよ」
「開き直ってる!」
「いいだろ。見てるだけなら害はないだろ。不倫とか略奪愛に燃えるなら害だけど、そんな気は一切無いから」
「当たり前だ。あってたまるか……!」
「あの」
 程度の低い言い争いを続けていると、ラキシエルの背後から優しい声がかかる。注文を取りに来たのかと思ったので、この話が落ち着くまで待ってもらおうと考えたラキシエルだが、声にほんの少しだけ聞き覚えがあったので、慌てて振り返った。
 すると目前に、ひと目で疲れも苛立ちも吹っ飛ぶような美女が迫っていて、ラキシエルは一瞬呼吸を止めた。年甲斐もなく照れると同時に、店内の男たちからの羨望の眼差しに、少し心が躍る。注視される優越感はラキシエルにとって、未だに心地よいものなのだった。
「え、あの、注文ですか。すみませんまだ決めてなくて」
 と言うか、給仕の人に取らせればいいのに、と内心思うが、それは口に出さない。
「いえ。ご注文もそうなのですが……できれば、お名前を頂戴したいと」
「は?」
 戸惑って何もできないでいると、美女が一度礼をした。
「急な事で驚かせてしまい申し訳ありません。実は、主人に、訪ねてくる事があったら丁重におもてなしするよう言われている方がおりまして……貴方ではないかと」
「え? ご主人って、西の勇者、さん?」
 美女は少しの困惑を混ぜて微笑んだ。
「そう呼ばれる事もありますね」
「でも、僕は、そんな、西の勇者さんとお知り合いになる機会なん……」
 慌ててしどろもどろになりながら返答している最中、突然閃いて、ラキシエルは黙り込んだ。
 だからだ。そうだ、きっと、だから、この美人店主に、ひっかかるものがあったのだ。
 確かにラキシエルは、彼女に会った事はない。けれど、聞いた事があるのだ。かつて一緒に生きた少年が、不器用に言葉を選びながら、彼女の美しさについて語っていた事があったから。
「ラキシエル、です。僕の名は」
 名乗ると、店主は花がほころぶように、嬉しそうに微笑んだ。
「金の髪に、両の目の色が違う方、とお聞きしていましたから、すぐに判りました――すみません、先に名乗らずに。私の名は、アーシェリナ・ローゼンタールです」
 女性の名に懐かしい響きを見つけて、ラキシエルは息を飲んだ。


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