INDEX BACK NEXT


二章 封印


16

 乱暴に扉を開けたアストは、同じだけ乱暴な足取りで、通路を駆けていく。辿る通路は外に繋がるものではなく、食堂へ繋がるものだ。宣言通り、何か腹ごしらえをしてからユーシスの屋敷に向かうのだろう。
 カイは扉に歩み寄り、顔を覗かせる格好で、走り去るアストの背中を見送っていた。万全ではない体でそんなに走って転びはしないかと、少しずつ遠ざかる小さな背中を目を細めて見守る。
 思いの外しっかりとした足取りだ。安心して息をついたカイの脳内に、少年独特の高い声が勝手に再生された。しかも一度きりではない。何度も、何度もだ。まるでカイの心を抉り、流血を誘うように。
「大丈夫ですか?」
 カイはルスターの声に振り返り、困惑を見せてから肯いた。
「すみません。忙しい中わざわざアストを心配して来てくださったのに、あいつと来たら」
「お気になさらずともよろしいですよ。私はアスト様のお元気な姿を拝見できただけで、充分なのですから」
 ルスターの温かな言葉や微笑みに、いたたまれない気になり、カイは再度「すみません」と口にして頭を下げた。
「その上でカイ様のお元気な姿を拝見できれば、なお嬉しいのですが」
 柔らかな口調がふいに確信を突き、カイは一瞬息を止める。
 やはり誤魔化せるわけもないか。カイは俯く事で表情を隠し、ため息を吐いた。
「何があったのか、それなりに存じております。皆さん、ある程度事情を知っていながら、今は直接の関係者でないために多少距離を置いている私には、色々言いやすいようです。語らずとも、油断して表情に出される事もあり――さすがの私でも察してしまうと申しますか」
 便利扱いをしているつもりはなかったが、間違いなく代表格は自分だと自覚し、カイは自嘲気味に笑った。
「リタもですか?」
「さすがにリタ様は」
「じゃあ、ジオールか」
 ルスターは言葉で肯定する事も頷く事もしなかったが、変わらない笑みから、カイは肯定だと理解した。
 リタと共に王都に残ったジオールは、十年以上の長きに渡り、リタに仕え続けている。きっとリタの感情を一番近くで受け取っているのだろう。選定の儀の後も、一昨日も。
「リタにとっての『会いたくない人』が、またザールの中にできてしまったんだろう、って思ってしまうのは、俺のうぬぼれですかね」
 ルスターの微笑みが曖昧なものに変わった。
「いえ、知ってても知らなくても、答えなくていいです。考える事や感じる事に疲れるくらいには、堪えてますから」
「それでもカイ様は、考える事や感じる事を放棄されないのでしょう」
「今まさにリタの事を考えるのを放棄しようとしてたつもりですけど」
「つもりなだけでは?」
 再びルスターの言葉に鋭く突かれたカイは、自身の胸を押さえる。乱れた気を落ち着けて、静かに、ゆっくりと呼吸を繰り返した。
「そうそう、ハリス殿にお聞きいたしましたよ。カイ様がけして役割半ばで亡くならないと断言された理由を」
 ようやく落ち着いて息ができるようになったのを見越したように、ルスターが話題を変えたが、新たな話題もカイの心臓にとって優しいものではなく、カイはわざとらしく咳ばらいをした。
「ルスターさんは、さりげなく多くの情報源を押さえてますよね。実は一番情報通なんじゃないですか?」
「とんでもない」
「いいえ、絶対そうですよ。ハリスの事とか王都組の事とか、俺には判りませんからね」
「ですが私は、カイ様がご存知な事のほとんどを存じませんよ」
 嫌味ですかと返事をしかけて、カイは必死に言葉を飲み込んだ。ルスターは嫌味のつもりで口にしたわけではないと、すぐに理解したからだ。彼が笑顔で語る、単純な真実を嫌味に感じてしまうのは、話を聞く方にやましい事があるからに他ならない。
「ハリス殿の味方をするわけではありませんが、カイ様がなぜこれまで隠されておられたのか、少々疑問に思います」
「何をです?」
「カイ様のお力の話です。事前に教えていただければ心構えも変わりますし、ハリス殿の負担は幾分軽くなったのでは、と思いまして」
「そうですかね? 俺が死なないからって、彼らの仕事は変わらないじゃないですか。後で治せるからいいやって、俺を放置したりはしないでしょう?」
「おっしゃる通りなのですが……いえ、守り手の感情はこの際置いておきましょう。なぜカイ様が秘密になさったのかが、私は気になるのです。カイ様のみご存知の他の多くとは違い、私たちが知ったところで、さほど問題はないように思えるのですが」
 カイはルスターから目を反らし、再びわざとらしい咳ばらいをした。
「何と言えばいいのか。あえて言うなら、情けないと言うか、恥ずかしかったと言うか、そんな感じです」
「なぜです」
「アストやシェリアやリタの力と比べると、利用価値が低いと言うか、使えないと言うか、格好悪いじゃないですか。だから、どさくさに紛れて隠してしまおうと思って、十年以上も黙ってきたんです。今更言うにももったいぶった感じがしますし、もったいぶったくせにこの程度かよ、と思われる事は確実ですし」
「そのような事、誰も思いません。素晴らしいお力です」
「誰ひとり守れない力ですよ?」
「カイ様をお守りするではありませんか」
 真剣な目で言い切られ、返す言葉に詰まったカイは、またも咳ばらいをして、椅子に腰掛けた。
「そんな台詞を嘘偽りなく即答できるのは、ルスターさんくらいですよね」
「そうですか?」
「そうです」
 皆油断するわけだと妙に納得しながら、脱力したカイは、椅子のそばにある小さな円卓に肘を着き、重くなりはじめた頭を支える。
 色々な事が馬鹿馬鹿しくなってきた。それがいい意味でなのか悪い意味でなのかは即座に判断できず、カイは深い息を吐き出す。
「色々、選び間違えたのかな」
 アシェルの町でリタと出会い、トラベッタでシェリアと出会った時から、大きく変化した境遇の中で、重要なものから些細なものまで、繰り返された選択は数え切れないほどだ。その中から特に印象的な――僅かなりとも後悔が伴う――ものが頭から放れなくなったカイは、自問するために呟いた。
「いいえ」
 ルスターには聞こえないように言ったつもりだったが、呟きに反応したルスターが首を振った。意外に耳聡いようだ。
「選択によって導かれた結果から逃げずに向かい合う限り、その選択は誤りとは言えないと、私は思います。ですからカイ様は、何ひとつ間違えてはおりませんよ」
 カイはルスターに振り返り、小さく微笑んだ。
「ルスターさんって俺に甘いですよね」
「そうですか?」
「そうです。なんて、俺も人の事は言えないんでしょうけど。アストが飛び出したから、ルスターさんはもうこの部屋に用事なんてないのに、引き止めてすみません」
「いいえ。私が勝手にとどまったのですから」
 カイの言葉で思い出したように、ルスターは礼をし、部屋を出て行こうとする。
 扉を開くと同時に、通路を走る軽い足音が聞こえはじめた。かと思うと、小さな影がルスターの目の前を通り過ぎる。
 アストだ。どうやら朝食を短時間で食べ終え、ユーシスの元に向かうらしい。
「お元気そうですね」
「あれだけ走れるのなら、心配する必要はないでしょうね」
 目覚めたばかりのアストは、動く事すらままならない様子に見えた。その調子のままであれば、ひとりで町外れに行かせる事など、けして許可しなかっただろう。しかし今のアストは、普段と変わりない、元気な子供にしか見えない。
 短時間で全快したとは考えにくい。ならば気力がアストを支えているとしか考えられず、気力を補充する存在に会いに行きたいと言うならば、強くは止められなかった。
「アストなら、万が一どこかで倒れても、すぐに誰かが見つけて拾って城まで届けてくれるでしょうしね」
「確かに、アスト様を放っておく者はいないでしょう」
「それに俺は、良い事だと思っているんですよ。アストが、ユーシスのために頑張ろうって思って動いた事が。使命感以外にもあいつを動かすものがあるって事実は、大切だと思うから」
 ルスターは穏やかな眼差しでカイの語りを見守った後、小さく声を上げて笑った。何か笑われるような事を言っただろうかと、カイは慌てて己を振り返ったが、特には見つからない。
「どうして笑うんですか」
「カイ様のおっしゃる事はごもっともだと思いまして」
「それ、答えになってます?」
「ですから、カイ様が使命感だけではなく、大切に想うもののために動いておられる事が、とても良い事だと思うのです」
 いっそう優しい微笑みで言い切られ、カイは言葉を詰まらせた。ルスターが本音を言っている事は判っているのだが、からかわれているような気がしてしまう。
「アスト様が友人を得た事、喜んでおられるのですね」
「そりゃぁ……」
「ですが私の目には、少々お寂しそうにも映ります」
 若草の瞳が、穏やかさはそのままに少しだけ感情の色を変えた事に、カイは気付いていた。
 カイは無意識に同じものを空色の瞳に浮かべ、微笑み返す。
「ええ。寂しくないと言ったら、嘘になるんでしょうね――」


INDEX BACK NEXT 

Copyright(C) 2008 Nao Katsuragi.