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二章 封印


11

 ハリスが弓部隊の元へ到着した頃には、空の魔物たちもずいぶん近付いてきており、はっきりと姿が捉えられるようになっていた。
 悠長に数を数えるほど余裕がないため、詳細は判らないが、数は十五から二十と言ったところだろう。数の上では弓部隊の方が多いが、矢を一、二本食らった程度では倒れない魔物の生命力を考えると、けして有利とは言えない状況だ。
 それでも、近付いてきた魔物の集団のうち、最初の数匹はあっさりと地に落ちた。考えなしに飛んできたため、弓部隊の集中攻撃を受けたのだ。何十本もの矢を受け、羽を傷つけた魔物は、飛ぶ力を失い、重い体を大地に叩き付ける。轟音が響くと共に、砂煙が舞い上がり、ハリスの視界を濁らせた。
 残った魔物たちは、墜落する仲間を目の前にし、多少はものを考えるようにしたらしい。それまで飛んでいた位置よりも高度を上げ、矢が届かない高みへと逃げていったのだ。
 こうなってしまえば、地上を歩む宿命に産まれた人間たちに、できる事は少ない。魔物に当たらない事を承知で、矢を撃ち続けるだけだった。
 目的は魔物を倒す事ではなく、神の一族の身を守り、封印を完成させる事である。魔物たちをこれ以上神の一族に近付けないようにすると言う意味では、矢を撃ち続ける事自体無駄ではない。しかし、矢に限りがある事を考えると、不安ばかりが残る。矢が尽きてしまえば、守る事ができなくなるのだから。
 弓部隊を率いる隊長も、不安を抱いたのだろう。一斉攻撃をやめ、小隊ごとの順次攻撃へと切り替えた。一度に撃つ本数を減らし、矢を消耗する速度を緩めたが、封印が完成し、撤退するまでの間、持つかどうかは疑問が残る。
 虚しく矢を撃ち続ける地上の民を見下ろす魔物の姿が、こちらの消耗を誘いながらいやらしく笑う狡猾な生き物に見えてきた。魔物にそこまでの知恵はなく、安全な場所から攻める隙を見計らっているだけだと判っていながら――結局のところ、見る者の心が、視界に反映されているのだろう。
 ハリスは空中に待機する魔物たちの様子を確認しながら、弓部隊の隊長へと近付いた。隊長は魔物の様子を確認するため、常に空を見上げていたが、ハリスが声をかけるよりも僅かに早く、近付く人物の気配を察知し、視線を地上へと下ろした。
「ハリス様。いかがされました」
 ハリスは隊長の隣に並び、空を見上げる。
「アスト様のお力によって地上の戦況は優勢だが、空中はそうでもなさそうなのでな」
「お恥ずかしい限りです」
「いや、戦力を読み違えたのは私の方だ。前線に立っている者をいくらか下げて、こちらに回す事も考えたが……現状では無意味のようだな」
 次々に空へ飛び立つ矢が、何を掠める事もなく再び地上に戻ってくる様子を目の当たりにしながら、ハリスは呟いた。
「やつらの狙いはあくまで弓部隊か。睨みあいの状況から動く様子がない。他の部隊に攻撃を加えようとは考えないのだな」
「空の魔物にとって、我々ほど煩わしいものはないでしょう。我々を片付け、ある程度の安全を得てから他に、と考えているかもしれません。相手は魔物ですから、単純に目の前の障害に気をとられているだけやもしれませんが」
 おそらく後者だろうと考えながら、ハリスは隊長の目を捉えた。
「引きつけられるか?」
「魔物どもを我らに、との意味でしょうか」
「違う。地上にだ」
 ハリスが簡潔に告げると、対象は眉根を寄せた。
「正直に現状を伝えよう。封印が完了するまでに、あとどれほどの時間が必要か判らないのだ。今のように、牽制しあっているうちに事がすむかは判らん」
「矢の数が間に合わず、攻撃手段を失った状態での戦いとなっては、アスト様の危険が増しますね」
 ハリスが肯くと、隊長はしばし無言になったが、すぐに力強く肯いた。
「判りました」
 隊長はハリスの横をすり抜け、数歩前に出ると、腕を振り、低く響き渡る声を響かせた。攻撃止め、と彼は言ったが、この状況で手を休めろとの指示が来るとは思っていなかった部下たちは戸惑っており、全員が完全に指示に従うまで、いくらか時間を必要とした。
 矢の雨が降り止む。空気が緊張する事で、騒音が消えたような気がした。
「全員構え」
 静止の指示よりも落ち着いた声だったが、静かな空気の中では、充分に響き渡った。
 ここに来て一斉攻撃の準備の指示が下る事で、弓を持つ男たちは、自身の隊長の意図を読み取った。空に向けて矢を番え、来るべき時を待つ。
 ほどなくして、誰もが予想した通りとなった。単純な思考しか持ち合わせない魔物たちは、やはり単純に、攻撃が止まった事を好機とみなしたのだ。魔物たちは一斉に急降下し、弓部隊へと襲いかかる。
「撃て!」
 隊長の指示と同時に、矢は魔物の集団を目指して撃ち上がった。魔物たちが降りてくる勢いと合わさって、矢の勢いはいっそう強くなり、魔物たちの体に深く食い込んでいく。
 魔物たちは叫び、暴れた。無数の矢に貫かれた巨体を地に沈め、大きな音をいくつも響き渡らせた。
 全ての魔物が仕留められたわけではなかった。まだ息を残した魔物は、傷を負う事で動きが鈍りながらも、まだ意志に従う羽を懸命に動かす。まるで恨みを叫ぶように奇声を響かせながら、地上へと突進してきた。
 ハリスはあらかじめ構えていた剣を振り上げながら、狙われた聖騎士と魔物の間に体を入れ、攻撃を受け止め、押し返す。相手が弱っていたので、簡単な事だった。再度飛びかかってきた魔物は、鋭いくちばしでハリスの目を潰そうとしたが、一撃を羽に埋め込み、切りかえしで頭部を強く強打すると、地上にくちづけし、二度と動かなかった。
 振り返ると、残った魔物に対処するため、弓を投げ捨てて応戦する聖騎士たちが目に映る。ハリスは降りそそぐ矢に当たらないよう、頭上に盾を構えながら素早く駆け、彼らの援護に回った。
 再度静止の命が響く。地を這う魔物にとどめをさしたハリスは、頭上を見上げた。空にはまだ三匹の魔物が残っていたが、今度はどれほど待っても、矢が届く位置まで降りてこようとはしなかった。
「さすがの魔物も学習したか」
 ハリスの独白が聞こえていたのか、隊長がハリスのそばに駆け寄ってくる。
「ハリス様、申し訳ありません。撃ちもらしました」
「いや、充分よくやってくれた。引き続きここで待機、空への警戒を続けてくれ。私は戻る」
「はっ」
 魔物たちはしばし弓部隊を見下ろした後、散開する。弓部隊から離れ、剣によって地上の魔物と戦う者たちを新たな相手を物色しはじめていた。
 ハリスは元の持ち場に戻る中、魔物の動向を確認するため、たびたび空を見上げる。残った空の魔物のうちの一匹が、自身の真横を飛び続けている事に気が付くと、小さく笑った。
 護衛隊長の証である赤い外套の翻る様が目立ったか、単独行動をしている者が狙いやすかったのか。どちらにせよ好都合だと、ハリスは徐々に戦いの場から離れるよう、さりげなく進行方向を変えた。
 やがて魔物は、ハリスに向けて降下してきた。
 あらかじめ警戒していたハリスは、魔物の一撃を剣で受け止める。予想以上の重みが腕にのしかかり、筋肉が軋んで悲鳴を上げた。
 魔物はハリスに反撃の隙を与えないよう、すぐに地上を離れようとするので、ハリスはすかさず一撃を加えた。大きな羽ばたきによって土埃が舞い上がる中、ハリスの剣は魔物の胸を抉る。
 叫び声を辺りに響かせながら、魔物は飛ぶ事を忘れなかった。手の届かない位置から零れ落ちる血はやはり悪臭で、かぶらずにすむよう、ハリスは二歩ほど後退した。
 逆上した魔物が、再度地上に降りてくる。今度は受け止めず、即座に反撃を加えようと構えたハリスは、目の前の魔物の羽音に、別の魔物の羽音が重なるのを聞いた。
「ハリス!」
 二匹同時に相手にするならば、受け流す事が優先か。構えを変えようとしたハリスの耳に、聞き慣れた、落ち着いた声が届いた。すぐ近くまで寄ってきている影が、視界の端に映る。
 二匹目の魔物より、声の主の接近の方が幾分早そうだと判断したハリスは、構え直し、自分に向けて飛んでくる魔物を際どい位置で避けた。
 魔物は自らの突き進む力によって、ハリスの剣を体に埋め込んだ。ハリスの手にかかる力も凄まじく、危うく取り落としそうになる。
 羽を折り、激しい音を立てて落下した魔物に、まだ動くだけの力が残っているのを見つけたハリスは、剣を持ち変え、魔物の上に落とした。深く突き刺し、魔物が動かなくなるのを確認してから見ると、もう一匹の魔物もちょうど息絶えたところだった。
「ジオール殿が持ち場を離れるとは珍しいですね」
 汗を拭い、やや乱れた呼吸を整えてから、ハリスはジオールに振り返る。
「我らほどの立場になれば、こうと決めた場所が持ち場ではないか。そうでなければ、貴公もまた持ち場を離れた事になる」
「おっしゃる通りですが」
 ハリスは咳払いをひとつ挟んだ。
「ならばなぜここを持ち場と決めたのですか、とお聞きしたくなりますね」
 ジオールは魔物から剣を引き抜き、血を拭うと、ハリスに振り返った。
 いくらか返り血を浴びた立ち姿は相変わらず毅然としていたが、不思議と表情が疲れている。表情に出るほど戦いによって疲弊した様子は見られないため、違和感を覚えたハリスは、ジオールを見つめる視線を鋭くした。
「報告したところで意味はないやもしれんが、報告せざるをえない事もある」
「私に、ですか」
「そうだ」
「ジオール殿自ら?」
「戦いの最前線は、引退間近の年寄りより、若い者たちに任せるが相応しいと思ったのでな」
 目の前に転がる魔物の遺骸を見せられては、とても同意できる事ではなかったが、ハリスはとりあえず肯いた。
「それで、報告とはなんです?」
 ジオールは僅かに沈黙を保った。それは彼なりの戸惑いで、ハリスは彼が伝えようとしている内容はどれほどのものなのかと、心を構える。
「カイ様が……洞穴に落ちた」
 低く響いたジオールの声は、厳しい現実をハリスに告げた。
「誰か救出には?」
「残念だが、我らにできる事は無いようだ。祈り、待つ以外にはな」
 ハリスはまだ遠い先を見つめた。優しき光が溢れる場所を。
 自然と目が細まるのは、眩しいからではなく、砂を噛み締めるよりもきつい苦味が、口内に広がり続けるからだ。


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Copyright(C) 2008 Nao Katsuragi.