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五章 守り人の地




 与えられた客室で体を休められた時間は短かったが、不満はなかった。それどころか、ジオールが部屋まで迎えに来てくれた時は、嬉しいとさえ思ったのだ。ジークの息子として育った歴史が、魔物狩りとしての血が、騒いだのかもしれない。
 案内されて辿り着いた部屋は、護衛隊長の誰か――おそらくはハリス――の部屋で、すでにハリスとルスターのふたりが、部屋の中心にある古めかしい円卓を囲んでいる。立ち上がってカイを迎えるふたりに座るよう指示すると、カイは円卓の傍に置かれた椅子に腰掛けた。
 卓の周りにあらかじめ用意されていた椅子は五つ。中には卓と模様や木材がやや合わないものもあり、はじめから部屋に備え付けられていたものではなさそうだった。この場に集まる者全員が座れるようにどこかから持ち込んで数を合わせたのだろうが、護衛隊長の三人と、カイと、あとひとりは誰になるのだろう。リタかシェリアであるのは間違いなさそうだが、ふたりのうちどちらか、と言うのが、カイにとっては違和感があった。
「あとひとりは誰が来るんですか?」
 訊ねると、すかさず答えたのはハリスだった。
「リタ様です。シェリア様には後ほど私から、必要な情報と結論のみをご連絡いたします」
 言われてみれば実にシェリアらしいと納得したカイは、肯く事で返すと、まだ主の居ない椅子を見つめた。
「リタ様ですが、少々遅れて来られます。先ほどユベールの傷を治療してくださった際、ランディの具合も見たいとおっしゃられたので、お言葉に甘えさせていただきました。ランディの様子が看終わりましたら、そのままここに駆けつけてくださるとの事です」
「ランディさんは、だいぶ悪いんですか? ユベールさんたちの様子から、少なくともユベールさんより悪そうに思いましたけど」
 ルスターは伏せた睫に複雑な感情を映しながら肯いた。
「医師によると、外傷はそれほどでもないそうですが、魔物との戦い以来、一度も意識を取り戻さないようです」
 平然を装った声には、年若い甥の身を案じる想いが強く現れており、かける言葉も差し伸べる手も見つからずに困ったカイは、ルスターから目を反らした。
「甥の事は置いておきましょう。私たちの使命は、魔物の討伐です。魔物の件、ユベールより聞けた限りをご報告します」
「頼む」
「まずは三日前の夜更け、物見役がやや遠方に魔物を発見しました。様子見もかねてユベールが兵を率いて討伐に向かい、数名軽い負傷者を出しながらも問題なく撃破。その直後、城の方向に異変を感じ、慌てて帰還したユベールは、三十体近い数の魔物がザールを襲っている様子を目撃したそうです」
 カイは強い違和感を覚えて口を開きかけたが、報告がひと段落つくまで口を挟むのは賢明ではないと判断し、拳を唇に押し付けた。
「ザールを襲った魔物には、ランディや兵士長が率いた兵たちが応戦しました。戦えるものは少なくはなかったのですが、混乱が大きかったせいか、戦いは随分長引きました。ユベールたちが帰還し戦力が増えた事で事態が好転し、半数ほどを撃破したのですが、残りは撤退したそうです」
「その後、何か問題は?」
 ハリスの問いかけに、ルスターは堂々と首を振る。
「ときおり遠くに魔物の姿が見られるようですが、すぐに姿を消すようです。城や町に近付いてきた魔物はおりません」
「ザールの被害は?」
「死者三名、ランディとユベールを含んだ重傷者が三十余名、軽傷者は戦闘に参加した全ての者と言って過言はないかと」
 ハリスは幾度か肯き、口元に運んだ手で唇を撫でる。視線はルスターに向けていたが、ルスターを見ている様子はなく、思考に耽っているのは明らかだった。
 カイもまた、違和感の正体を見極めようと、思考していた。円卓に触れていた手は無意識に動き出し、爪が卓とぶつかる事で強い音が立つと、部屋に居た全員の視線が集まる。
「何か?」
「いや……今まで、ザールまで魔物が来た事はなかったんですよね?」
「はい」
 ザールを生まれ故郷とするルスターが、力強く肯いた。
「それなのに同じ日に、ザールの近辺と合わせて二箇所で魔物が出たってのは、やっぱり気になるな、と。エイドルードの結界が弱まって、魔物がザールまで来られるようになったって事だと思うので、全くありえない偶然とは言えませんけど」
「相手が人間であればまず陽動を疑う状況ですね。しかし、相手が魔物となると」
 ハリスは至極冷静に、カイが抱いた違和感を否定した。
「俺もそう思う。けれど、残った数体が撤退したと言うのも少し気になるんだ。俺は今まで、人間を相手にした魔物が逃げるところなんて、一度も見た事がない。まあ、逃げる間もなくジークが倒していたせいでもあるから、魔物に撤退すると言う知恵がないとは言いきれないが、基本的には頭が悪くて好戦的なものばかりのはず……」
「お話中申し訳ありません。私からもひとつ、ご報告があります」
 消え去りかけたカイの声にかぶせるように、低い声が響く。その声に引かれるように、全員がジオールを見た。
「別の視点からの意見と言うのも役に立つかと思い、魔物との戦闘に参加したと言う兵士に話を訊いておりました。基本的にはルスターの報告と同様、むしろルスターの方が詳しいほどなのですが、気になる点がございました。あくまでもその兵士の印象にすぎないのですが、魔物たちはどことなく統率が取れていたように思えた、と」
 冗談はやめろ、と否定しようとして、カイは息を飲んだ。深い暗闇を思わせる瞳を持つ男は、冗談が言える類の人間ではなかったし、真実であれば、カイが抱いた違和感が全て解消されるからだ。
「ザール周辺の魔物は、他の地域に現れる魔物と違い、多少知恵が回ると言う事ですか?」
「私がユベールに話を聞いた範囲では、他の地域の魔物と違うようには思えなかったのですが……熊のようなものや、巨大な蟻や、羽がはえていたものなど、種類はそれぞれだったようですが、どれも、動物が変形し凶暴化した外見であったそうですから」
 カイは眉間に皺を寄せた。
 ルスターが語った魔物すべてと、カイは戦った事がある。全体的に普通の動物よりも力が強く、牙や爪など武器となるべき場所が鋭く、皮膚が固い魔物たちは、充分脅威となりえたが、おせじにも賢いとは言えず、暴れる事が全てだった。
 外見が同じで、中身が違うと言う可能性も捨てきれない。だが、「違う」とカイは思った。根拠のない、単なる魔物狩りとしてのカンだったが、カイにとっても最も疑う余地のないものだった。
「俺も信じられません。その魔物たちに、仲間を指揮するほどの知恵があるなんて。誰かに従う程度の知恵ならば、あるいは、と思いますけど」
 言いながら、しかし信じるしかないのかもしれない、とも思う。魔物たちに使える知能が本当にあるのだとすれば、再び魔物がザールに現れた時、対処できないどころか逆に裏をかかれ、致命的な打撃を受ける事になりかねない。
 戸惑いが沈黙となって部屋の中を支配しはじめる。そうして纏わりつく静けさに苛立ちはじめた頃、ハリスが手を上げた。
「実は、私にもひとつだけ情報があります。真偽の程は判りませんが」
 ハリスは飲み物を口に運び、喉を潤してから続けた。
「私が話を聞いた相手は非戦闘員です。城の中に避難していながら、好奇心を抑えきれずに戦闘を見守っていたと言う使用人を発見いたしましたので」
「その方は、何と?」
「遠い上に暗いため、はっきり判別はできなかったが、ザールを襲う魔物の向こうに人影のようなものが見えた、と」
 カイは円卓に手を付き、勢いで立ち上がった。
「人が魔物を操っているとでも言うつもりか?」
 ハリスは苦々しい表情で首を振った。
「魔物が人の声に耳を傾けるなどと、やはり信じられない事です。しかし、状況を鑑みる限り、何らかの形で魔物たちに人の知恵が加わっていた可能性を全て否定するは危険かと」
「確かに……しかし、人が魔物に与して、何の得があるのでしょう」
「それは」
「何らかの事情があり、単純な力を求めた可能性も考えられま――」
 突然部屋の扉が叩かれると、四人は過剰に反応し、いっせいに扉を見た。特にカイは睨んだと言って良いほどきつい目つきで見ていたためか、返事を待たずに扉を開けた人物は、カイと目が合うなり一歩後ずさる。
「何だ、リタか。驚かせないでくれ」
 カイは安堵のため息を吐くと、再び椅子に腰を降ろし、背もたれに体を預けた。
「な、何よ。遅れるけど行くって、ちゃんとルスターに伝えておいたはずだけど」
「伺っております。大変失礼いたしました」
 ジオールが立ち上がってリタを迎え入れ、ハリスはリタのための椅子を引いた。未だ不満そうなリタだったが、扉を開けた瞬間の緊迫感が解れ、穏やかな空気へ変調したためか、不満を爆発させる事はせず、黙って椅子に腰を下ろした。
「ルスター、ランディの事なんだけど」
「はっ。お手を煩わせてしまい、申し訳ございません」
 リタは寂しげに目を伏せて首を振った。
「ううん。謝るのはあたしの方なの。あたし、何にもできなかったから……癒しの力が使えるようになってまだそんなに日が過ぎてないし、日によって効果に波があるから、あんまり役に立てないかもなとは思っていたんだけど、まったく効かないなんて酷い結果になるなんて思わなかった。期待させるだけさせておいて、本当にごめんなさい」
「お謝りになる必要はございません。リタ様のお心だけで、ランディは救われる事でしょう」
 ルスターが微笑みかけると、リタは照れ臭そうに笑った。
「ありがとう」
 そして瞬時に真剣な顔付きに切り替え、物思いに耽るように俯いた。
「ところで、ランディって、三日前の夜の戦いで意識不明になったって聞いたけれど」
「はい」
「って事は、丸三日眠ったまま、なんだよね?」
「はい、そのはずですが。何か?」
「ううん、ちょっと、ひっかかる所があったものだから。何て言うか、三日も眠りっぱなしの人って、こうだったかな、とか……」
 室内の男たち全ての視線が自分に集まった事に気付いたリタは、居心地悪そうに肩を竦めた。
「何となく思っただけだから。具体的に何が、って訊かれると困るくらいだし」
 胸の前で両手を振り、質問を禁ずるリタの態度を眺めながら、カイは考えた。リタの言葉の意味を探るためにも、ランディの寝室を訪ねるべきだろうかと。
 三日も昏睡状態に陥った人物のところに、ほぼ無関係と言っていいカイが邪魔をするのは、良い事とは言えない。しかし、リタのカンは信用に足りるものの気がするのだ。少なくとも、カイ自身のものよりは。
「あの……」
 やはり、少し覗かせてもらおう。そう決意して口を開いたカイの声を、遮る騒音が鳴り響く。
 音源は扉の向こう、壁の向こうだ。しかし、そう遠くはない。
 カイが腰を浮かせ、音がした方を向いた時には、ハリスとリタがすでに床を蹴っていた。乱暴に扉を開け、通路に飛び出したハリスはそのまま走り去り、リタは通路に出た状態で様子を伺っている。ジオールやルスターに追い抜かれる頃には状況を把握したようで、カイの目に凛々しい横顔を焼きつけた後、再び走りだした。
 呆然とした自身に気付いたのはその時で、カイは慌てて四人を追った。音がした方にリタやシェリアの部屋がある事に気付いたのは、走りながらだった。


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