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一章 魔物狩りの少女




「すぐに部屋の準備をさせますので、今しばらくこちらの部屋でお待ちくださ――」
 先導するセウルは客間と思わしき部屋の扉を開けた瞬間、口を噤んで言葉を飲み込んだ。
 部屋の中が彼の知るものとは様子が違うのだろう。カイはさりげなく立ち位置を変え、セウルの肩越しに部屋の中を覗き込む。
 広く豪奢な屋敷の外観から容易に想像できる部屋だった。細かな紋章が描かれた絨毯や壁紙は明るい色でありながらけして品性を損なっていない。贅沢に硝子が使われた窓は外からの明かりを存分に取り込める大きさで、色とりどりの花や鮮やかな緑が見事に調和した庭の風景が部屋の中に居る者の目を楽しませてくれる。部屋のあちこちに置かれた調度品が高級である事は詳しくないカイの目にも明らかなほど美しいし、何人座れるか判らない長さのソファは実に柔らかそうだ。
 見るものならいくらでもある部屋の中にありながら、セウルはソファを独り占めしている少女に視線を釘付にしたまま動かなかった。どうやら彼女が予期せぬ――少なくともセウルにとっては――侵入者のようだ。
 少女の年の頃はカイと変わりないようだ。目が大きくて可愛らしく、カイがこれまで出会ってきたどの少女よりも美しい。どきりとして、柄にもなく緊張したカイだったが、少女の格好を見て緩んだ気を引き締めた。肩よりも上と言う女性にしては短い長さの髪、細い体に纏った使い古された皮鎧、腰に下げた長剣などが、普通の少女ではない事を如実に語っていたからだ。
「先客がいらっしゃいましたか。これは失礼いたしました」
 セウルは小さく会釈し、少女に謝罪の意思を示す。
 少女は小さく首を振った。
「別に気にしなくていいよ。あたしの部屋ってわけじゃないし。ちょうどひとりで退屈していたところだし」
 少女は笑顔でセウルに返し、視線を巡らせてカイと目線を合わせると、少しだけ表情を引き締めた。
 いや、表情は変わっていない。相変わらずの可愛らしい笑顔のままだ。ただその視線が、強いものになっている。カイが何者であるかを、カイの実力がいかほどのものかを、確認する目。
 間違いなく同業者であろう事を理解したカイは、少女に笑いかける事で応えた。
「申し訳ありません、カイさん。部屋の準備ができるまで、しばらくここで……」
「ああ、いいですよ別に。俺は」
 カイが笑顔で答えると、セウルはあからさまに胸を撫で下ろした。本当に、素直な男だ。再び彼の行く末を心配しながら、カイは部屋の中へと足を踏み入れた。
 部屋の中にはいくらでも腰を下ろす場所があったが、カイはあえて少女の正面に腰を下ろす。想像していた以上に柔らかなソファに腰を沈め、真っ直ぐに少女を見下ろした。
「君も魔物狩り?」
「他に何に見える?」
「見えないけど。街の衛兵とか久しぶりに返って来た放蕩娘とかの可能性も無くはないだろう?」
「そうかもね」
 少女はそれまでカイに向けて真っ直ぐにぶつけてきた視線を反らし、庭の風景を眺めはじめた。
 充分に見惚れる価値のある横顔を見せつけられ、本人が選んだ道を否定する権利などない事が判っていても、勿体ないなと思ってしまうカイだった。こぼれ落ちんばかりの大きな空色の瞳も、通った鼻筋も、日に焼けてもまだ充分に白いと言える肌も、並の少女が羨むほどのものだ。こんな仕事に就かず、普通の少女として生きていれば、引く手数多だったに違いない。
「サーシャさんのお兄さん、トラベッタに行ったって言ってたから、噂の魔物狩りジークに会えるのかと思っていたけど、どうやら違うみたいだね。ジークの歳は知らないけど、こんなに若いんだったら、少年だって事も噂に乗ってくるだろうし」
「期待に沿えなくて悪かったな。親父はトラベッタと契約をしているからあの街を離れられないんだ」
「あ、息子なんだ。ジークの」
 カイはゆっくりと肯いた。
「まあ一度会ってみたかった気がするし、残念だとはちょっと思うけど、それ以上に安心したかな。さすがのあたしも、最強の魔物狩りと言われるジークと一緒じゃ影が薄くなるだろうし。役に立たなかったから報酬なしとか言われたら困るもんね」
 嬉しそうに語る少女を細めた目で見下ろしたカイは、静かに息を吐いた。
「完全に舐められてるな、俺」
「あれ? もしかして、ジークより強いの?」
「いや、ジークより弱い事は間違いないんだが――『ジークじゃないから弱い』って扱いを受けるのは、少し癪に触ってね」
 仕方のない事かもしれないけれど、と呟きながら方を竦めると、少女は明るい瞳に僅かに影を落とした。
「立派なお父さんを持つのも大変ね」
 カイは迷わず首を左右に振った。
「偉大な父を持った子供が常に背負い続けなければならない弊害を含めても、俺はジークが父親で嬉しいんだ。だから大変ではない。周囲に認めて貰えない俺が情けないだけだ」
 少女の大きな瞳がもの言いたげにカイを見つめる。
 何かおかしな事を言ったかと戸惑ったカイだったが、しばらくすると少女は眩しげに目を細めて可愛らしく笑ってくれたので、胸を撫で下ろした。不愉快な思いをさせてしまったわけではないようだ。
 カイは照れ隠しに微笑み返しながら、静かに右手を差し出した。
「普段は商売敵なのかもしれないけど、今回の仕事ではアシェルの町を守るって意味で仲間だから、よろしくしてくれるか。俺はカイって言うんだ」
 少女はしばらくの間無言でカイの右手を見下ろし、小さく首を振った。
「あたしの名前はリタ。よろしくするのは構わないんだけど、握手は勘弁して」
 カイは慌てて自身の服の袖で手のひらを拭いてから、再び手を差し出した。
「何もあんたの手が汚いからなんて言ってないでしょ。あたし手袋部屋に置いてきちゃったし、あんたも素手だし」
「普通握手って、素手でするものじゃないのか?」
「まあ、そうなんだけど、あたしは普通じゃないから。運が悪ければあんたを殺しちゃうかもしれないし」
「……そんなに怪力なのか? その体で?」
 リタは頭を抱え、目を硬く閉じ、眉間に皺を寄せた。説明するのが面倒くさいとばかりの態度だが、唇は小さく動き、紡ぐべき言葉を探してくれているようだ。
「口で言ったところで信じてもらえないしなあ。でも、実践するのはどうかと思うしなあ。下手したら死ぬかもしれないし」と呟いているのが聞こえた。カイに聞かせるつもりのないひとり事だったようだが、会話をしていなければあまりに静かなこの部屋では、充分に聞き取れるだけの声量だ。
 理解できずに首を傾げたカイが、今一度問い詰めようと口を開きかけた瞬間、部屋の扉が開く音が乱暴に響き渡った。
 カイも、そしてリタも、瞬時に表情を引き締め、扉に向き直る。扉を開けたのはカイが見た事のない女性だが、服装からこの屋敷に勤める使用人である事はすぐに判った。
「あの、ま……魔物が、町に……!」
 青白い顔の女性は、震える唇で言うと、自身の肩を抱きながらその場に崩れ落ちた。硬く閉じた目からは涙が滲み、強い震えで自由が利かない両手の指を絡ませ、祈るように救いを請う。
 見ているだけで女性が抱いている強い恐怖が伝わってきた。それだけのものを堪えてここまで辿り着いた気概は立派だと感心し、少しでも落ち着く事を願って女性の肩を優しく叩いてから、カイは部屋を飛び出した。
 自分の部屋が準備されていないのは幸いだった。おかげで必要な荷物は身に着けたままだ。魔物と体面すれば、すぐにでも戦える。
 確かめるように腰に佩いた剣の柄を撫で――やや後方を走るリタの姿を視界に収めたカイは、速度を緩めないように振り返った。
「こんなにも早くお互いの実力が見せ合えるなんて、嬉しいのか悲しいのか判らないな」
「失望させないでね」
「言うなぁ」
 ずいぶん強気な事だと、やはり感心しながら、カイは再び前方を睨みつける。
 道案内など頼まなくとも、人々の視線や悲鳴を手繰れば、魔物の元に辿り着くのは容易い事だった。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.