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一章 魔物狩りの少女




 鬱屈した空気の見本市。それが、アシェルの町をはじめて訪れた時にカイが抱いた感想だった。
 高い外壁の中に黒塗りの門を見つけた時は、北以外の三方を高い山々に囲まれていると言う地形と合わせて、重罪人のための流刑地かと思ったものだ。だが壁の中に入り、門から続く大通りを歩きながら街の様子を見回したカイは、すぐに考えを改める事となった。
 流刑地どころではない。ここは、死者の町だ。
 地形のせいで陽が当たりにくく、通常の街より薄暗いのは仕方ない事と言える。しかし、いや、だからこそと言うべきか、天高く昇った太陽から光が降り注ぐ今の時分を大切にすべきだとカイは思う。
 だと言うのに、この街には活気と言うものがまるでなかった。大通り沿いにある店はほとんどが開いているだけと言う状態で、店主たちにはやる気が感じられないし、買い物客の姿はほとんど見られない。賑やかな雰囲気とは縁遠く、人々の笑い声などまったく聞こえてこなかった。
「なんなんだ、この町」
 呆れてカイが呟くと、カイより二歩先を進んでいたセウルが、ちらりと振り返った。
「以前はもっと活気ある町でした。ですが、魔物に襲われた市民と彼らを守ろうとした衛兵たち合わせて三十一名が命を落としたあの日から、民は皆魔物に怯え沈んでいます。よそに頼るところがあるいくつかの家族は町を出てしまいました。残った者の中にも、恐怖のあまり家の外に出なくなった者たちも居るようです」
「その人たち、働いてないって事ですか?」
「そうなります」
 更に呆れて、カイはため息を吐いた。
「無関係であったはずの死に突然迫られて、怯える気持ちは判りますけど……家に閉じこもったくらいで魔物から身が守れるわけじゃないんだから、生き残ってしまった時の事を考えればいいのに」
 セウルは目を細め、難しい顔をしながら辛そうに答えた。
「正論、なのでしょう。力ある方にとっては」
「どう言う意味ですか」
「生き残る自信がなければ、言えない台詞だと思います」
 そんなもんかとひとりごちてから、カイは雲ひとつない空を見上げた。
 太陽が強く輝く澄んだ青空は、父親が気合を入れて働き、母親が笑顔で洗濯し、子供が元気に駆けずり回るためのものだ。こんなにも気持ちのいい天気だと言うのに、無駄にしてしまうのはあまりにもったいない。
「やっぱり……」
 再び町の人々への文句を口にしようとしたカイの目に、一軒の家が映った。
 正しくは「家だったもの」と言った方が良いのだろう。半分は完全に崩れていたし、残っている半分も壁に大穴を開けているなど、今にも崩れそうな様子である。傾いた屋根が上に残っていなければ、かつて家であったとも判別つかなかっただろうと思わせる、散々な状況だった。
 よくよく見れば、周囲に立っている家も万全とは言いがたい。最初に目に付いた家とは違い、何とか生活を営めそうではあるが、開いた穴を木切れや布でかろうじて塞いでいる、と言った家がほとんどだ。
 地面や壁には、血の跡だろうと思われる、黒ずんだ染みがあちこちに散らばっている。中には明らかに人のものではない足跡をかたどったものもあり、ここで起こっただろう争いの跡として生々しくカイの目に焼き付いた。
「魔物は壁を越えて来たんですか? あんなに高いのに?」
「いいえ。私は目撃しておりませんので人伝に聞いた話になりますが、山の方から来たそうです。人の足で越えるは不可能と言って差し支えない山ですし、動物たちが麓まで降りてくる事はほとんどありませんから、木で作った簡単な柵を建てた程度で、大した防備を固めてはいないのです」
「なるほど」
 襲い来る魔物にその意思があったかは判らないが、アシェルの民にとっては、まさに奇襲だったのだろう。
 抵抗する術もなく命を落としていった者たちの苦しみを思い、気落ちして俯いたカイの耳に、小さな子供の泣き声が届く。声がした方に顔を向けると、野原で摘んできたであろうみすぼらしい小さな花を、やせ細った手で握り締める子供が見えた。
 名もなき花を半壊した家の前に置くと、子供は手を組み、空を仰いで祈りはじめる。
 見上げて祈ると言う事は、子供が祈りを捧げる相手は天上の神と呼ばれるエイドルードなのだろうと判断したカイは、湧き上がる不快感に眉を顰めながら、「無駄な事を」と誰にも聞こえないように呟いた。エイドルードの救いは気まぐれで、祈りに何の意味もないと、トラベッタで育ったカイは信じている。
 無駄に祈る時間があるならば、その時間で剣を鍛え、自らが魔物を打ち取れる存在になればいいのに。
 それはカイには当たり前の発想だが、エイドルードに守られ続けていた者たちには、思いも寄らない発想らしい。そんな彼らを哀れに思う気持ちが半分、羨ましく思う気持ちが半分で、何とも言えないもどかしさに耐えるため、カイは自らの胸倉を掴むように拳を握り締めた。
「あれは、魔物の犠牲者の家族です」
 傷跡の残る家や子供から目を反らし、セウルは言う。差し伸べる手がない自分自身の呪うかのように、震えた声で。
「犠牲者、でしょう?」
 カイが即座に返すと、セウルは闇色の眼差しをカイへと向けた。
「……そうですね」
 セウルは肯いて、それきり何も言わなかった。無言であり続ける時間に比例して、瞳に篭る悲哀が、いっそう強くなっていった。
 カイはセウルの後ろを黙って歩く。街中にはびこる重苦しい空気がまとわりつくようで、目的地までの距離がひどく長く感じられた。

 無言のまま通りを進み続けると、やがて一軒の大きな屋敷が視界へと飛び込んできた。
 悪く言えば古臭いが、よく言えば伝統を受け継いだ、重厚な雰囲気の建物だ。かなりの高さがあるが、窓の位置と数からおそらく二階建てであろうと予想できる。それぞれの階の天井がずいぶんと高いのだろう。
 庭も広いようで、屋敷よりもずいぶん手前に門があり、そこに門番と思わしき男がひとり立っている。皮鎧をまとい槍を手にしているだけの簡単な武装だが、邪な考えを抱くものを警戒させる程度の役には立つのだろうと思わせた。
 先導するセウルを見つけると、門番の男は深々と一礼し、門を開ける。一瞬、カイに対して値踏みするかのような鋭い眼差しを送ってきたが、その視線をちょうど塞ぐ位置にセウルが来ると、それきり男はカイを見なかった。
「食事と部屋をすぐに用意させます。とりあえず今日はゆっくりと休み、旅の疲れを癒してください――魔物が町まで降りてこなければ、ですが」
「ありがとうございます」
「いいえ。大したお構いもできず、申し訳ありませんが」
「こんなに広い屋敷に泊まれるだけでも、いい体験ですけどね、俺にとっては」
「広いだけの屋敷ですが、喜んでいただければ幸いです」
 実家に戻ってきた事に安堵したのか、トラベッタに居た頃に比べ、セウルの表情はずいぶんと和らいでいた。カイに見せる微笑みは柔らかく、温かい。
 トラベッタで見た時には余裕も気遣いもない人物だと思っていたが、それは故郷を襲う突然の危機に気が立っていただけなのだろう。おそらく本来の彼は、心優しい人物なのではないだろうか――偶然を装って門番の視線から庇ってくれたさりげなさに気付いたカイは、今彼が浮かべている表情と合わせて、セウルへの評価を改める事にした。とは言え、いずれ領主になる時に苦労するだろうと言う予想は覆せそうにないが。
 門から玄関までの舗装された道を、道の左右に植えられた色鮮やかな花を楽しみながら進む。一歩先を行くセウルが、玄関前の短い階段に踏み込んだ瞬間、大きな音をたてて扉が開いた。
 帰還した息子を迎え入れるためにしては、ずいぶんと乱暴だ。カイはいぶかしみ、セウルは驚いて、足を止める。
 ふたりが視線を注ぐ所から現れたのは、背が高く体格のいい男だった。
 鋭い視線や剥き出しの二の腕や顔に刻まれた古傷、身につけている使い古された鎧に、腰に佩いた二本の剣。見た目からも雰囲気からも同業者であろうと予測したカイは、道の端に身を寄せた。
 やや前傾姿勢。必要以上に力強く地面を蹴る足。歪んだ口元に釣りあがった眉――男が何かに腹を立て、この場を立ち去りたがっているのは明らかだ。下手に刺激しない方が自分とセウルの身のためだろう。
「お待ちください!」
 男が行き過ぎるのを待っていたカイは、男を引き止めようとする女の声が屋敷の中から響くと、小さくため息を吐いた。
「なぜ帰るのです! 話が違うではありませんか!」
「はぁ?」
 気を荒げて振り返った男は、眉間に刻む皺を深くして答えた。
「それはこっちの台詞だろうが。あんな化け物の話は聞いちゃいねえ!」
 男は吐き捨てるようにそれだけ言うと、入り口近くに佇む女性に冷たく背を向け、歩き出した。カイやセウルの事など視界にも入らないらしく、あっと言う間に門の向こうへと消えていく。
 よくみると男の腕や肘、綺麗に剃り上げられた後頭部の広範囲が、赤く染まっていた。ほどなくして酷い痣に変化するだろうと予測できるそれらは、どこかに強くぶつけたばかりのように見えた。彼の言う「化け物」によってなされたのだろうか。
 気にかかる所はあったが、荒れた男を呼び止める気にはならなかった。カイは男の背中を見送ってから、女性へと視線を移した。
 細身で背の高い女性は、カイよりもいくつか年上のようだが、まだ若い。真っ直ぐに伸びた背筋と引き締められた口元、背の中ほどで切りそろえられた艶やかな黒髪に生まれの良さを感じ取ったカイは、見比べるように女性とセウルの間で視線を行き来させた。
 女性はセウルに比べてずいぶんと気が強そうだが、よく見てみると顔立ちが似ていない事もない。歳の頃合いから見て、おそらくはセウルの妹だろう。
「サーシャ」
 女性の名を親しげに呼んで、セウルは小走りに段を上がった。並んでいるところを見ると、いっそう良く似ていた。
「今の方は?」
 サーシャは困惑を色濃く浮かべた瞳をセウルに向けた。
「私が雇った魔物狩りの方のひとりです。兄上がトラベッタに向かっている間に魔物が出ては困りますし、少ないよりも多い方が良いかと思いまして。充分な報酬を用意しましたし、機嫌良く引き受けてくださったのですが……突然『こんな仕事はやってられない』と言い捨てて、出て言ってしまったのです」
「何か問題でもあったのか?」
「それは……」
 何かを言いかけたサーシャは、カイの存在に気付いたらしい。兄に向けていた視線をカイに注いだまま、しばらく言葉を濁していた。
「そちらの少年が、兄上の雇った魔物狩りですか?」
「ああ。トラベッタで魔物狩りとして活躍されているカイさんだ」
「そうですか」
 サーシャは体ごとカイに向き直ると、美しい姿勢で礼をする。
「どうぞアシェルの町を、民を、よろしくお願いします」
 サーシャの引き締められた口元は、それ以上を語ろうとはしなかった。サウルが問うた『問題』は確かに存在し、それは自分にも関わる事なのだろうと察するに充分だったが、カイは彼女を問い詰める事をせず、「努力します」と返すのみにとどめた。
 仕事を放り投げて帰りたくなるような問題が、この仕事、あるいは屋敷や町に存在していたとしても、帰るわけには行かない。父と一緒ではない初めての仕事で、逃げ帰るような真似ができるわけがないのだから――ならばより逃げ帰りにくいよう、屋敷の中に入ってから真実を知りたい。そうカイは考えたのだった。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.