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八章



 少年はみな父の背中を追いかけるものだと言うけれど、自分ほど父の背中が遠い子供は、他に居ないだろう。
 誇らしいのか辛いのか、我が事ながら判らないイリュウスは、手にしていた模造剣を地面に突き刺してから、四肢を投げ出し背中から芝生に埋まる。眼前に広がる大きな空は清々しいほど綺麗な青で、まるで自分の心のようだと思わない事もない。
 イリュウスの父親は『西の勇者』セインだ。
 西部諸国には四年に一度、各国の精鋭を集めて行われる武術大会があるのだが、十年ほど前にそこで優勝したのをきっかけに、名実共に西部最強の戦士となった。初優勝から三大会連続で勝ち続けており、今でも最強の座を他者に譲っていない。
 冒険者として名を馳せたのはイリュウスが生まれる前の話らしく、戦士としての仕事を請け負うのは、今では多くとも年に数回、国から要請があった時のみだ。大抵は並の戦士では立ち打ちできない魔物を屠る事となり、その度に父の名声は高く広く伝わっていく。イリュウスはいつも父を誇らしく思っていた。
 もう少し幼かった頃は、寂しく感じていた事もある。英雄である父は多くの他人に名を呼ばれるので、自分たち家族だけの父が居ないような気がして。だがそれも、何年か前までの事だ。自分たちの父は「セイン」で、みなが称えるのは「西の勇者」なのだと理解した今となっては、二倍誇らしい存在だった。
「なんだ、イリュウス。そんなところに居たのか」
 父の声がして、イリュウスは体を起こす。どうやらイリュウスを探していたらしい。
「昼メシの準備ができているから、さっさと食べろってさ」
「うん、判った」
 イリュウスは立ち上がり、地面に刺した模造剣を手にする。そして、家の中に戻ろうと背中を向けた父に跳びかかりながら、思いきり振り下ろす。
 入った、と思った。今日こそ、父の背中に剣を叩きつける事ができる、と。
 甘い考えだった。もう少し、と言うところで、セインは素早く振り返り、半歩横に避ける。
 行き場を失ったイリュウスの剣は半開きの扉を打ち、前のめりになったイリュウスの体は、セインが軽く支えてくれた。
「お前、遠慮がなくなったな」
 呆れ混じりの笑みを浮かべる父親を、イリュウスは笑いながら見上げる。
「いつでもかかってこいって言ったの父さんだろ。遠慮してたら、父さんになんか当てられないだろ」
「そりゃそうだが」
 体勢を立て直し、自分の力で立ったイリュウスは、思いきり扉を叩いたせいで痺れた手をさすった。
 多分父は、イリュウスが剣を手にした瞬間には殴りかかってくる事を感付いていて、わざときわどいところで避けたのだろう。もう少しと思ったのは、イリュウスだけなのだ。
 余裕のある父の態度からそうを察してしまったイリュウスは、心の奥で落胆しつつ、悔しさのあまり強気で返した。
「今はまだ敵わないけど、絶対、父さんみたいな戦士になるからな」
「なれるものならなってみろ、だな」
 父の大きな手が、イリュウスの頭に触れる。ぽんぽん、と、軽く叩いた。
「あと、母さんみたいな魔術師にもなるんだ!」
 続けて決意表明すると、父は困った顔をして、人差し指を唇に押し当てた。言葉にするな、と言う事らしい。
 イリュウスにとって魔術師とは格好いい存在だったが、世間一般では、あまり良く思われていない。現代より遥かにすぐれた魔法文明を誇る古代王国時代に、魔術師たちが魔力のない者たちを奴隷として扱っていたと言う歴史があるからだ。故に、大衆を相手にする商売をしている母は、自らが魔術師である事をひた隠しにしている。
 判っているからイリュウスは、家の外で話さないようにしていたが、今はまだ庭だ。大声で話しては、隣などに聞こえてしまうかもしれない。
「ごめんなさい」
 イリュウスが素直に謝ると、セインはイリュウスの頭をくしゃくしゃに撫でた。「気にするな」と目が語っている。
「立派な魔法戦士になれるといいな」
「うん」
「そうなったら、俺は負けてしまうかな」
「うん! おれ、いつか父さんを倒すから! だからそれまで、絶対、誰にも負けちゃ駄目だからな!」
「努力はするが……絶対とは言い切れんな」
「絶対!!」
「判った判った。絶対、な」
「ちょっと! お父さん! イリュウス! はやくご飯食べちゃってー!」
 家の中から姉であるソフィアの声が響く。声音から、待たせすぎた事で苛立っていると判り、ふたりは一度顔を見合わせて笑いあってから、食卓へと急ぐ。
 その間、イリュウスは二度ほど父の背中に殴りかかったが、背中に目がついているのかと思うほどに、どちらも華麗に避けられてしまった。

 父の元にラバンの領主より使いが来て、父が「またやっかいな仕事をさせる気か」などと呟きながらしぶしぶ城に上がったのは、イリュウスが十歳の春だ。
 その日は剣の稽古をつけてもらう約束をしていたので、父が早く帰ってくる事を願っていたのだが、昼前に出かけた父が帰ってきたのは、陽が落ちようと言う頃合いだった。
 話をしに行っただけのはずなのに、父はだいぶ疲れた様子だった。見ていると不思議と心細くなり、今から約束を守ってくれ、などと言い出せなかったイリュウスは、母や、生まれたばかりの子供を抱く姉や、義兄ランセルや、隣に座る妹と共に、黙って父の話に耳を傾けた。
 話は単純だ。数ヶ月前にラバンの北で発見された、かなり大規模な古代王国時代の遺跡の、調査が決定したらしい。古代王国時代に見捨てられた地であったのか、古代の遺物が見つかる事が滅多にないラバンでは貴重な発見で、国が賢者の学院を全面的に支援する、大発掘調査になるそうだ。
 その調査にぜひ隊長として参加して欲しい、と言うのが、領主の話だった。
 どんな魔物が潜んでいるか判らない未知の古代遺跡の調査において、戦力は重要だ。国を上げての大規模調査となった時点で、「ラバン在住の西部諸国最強の戦士」に声がかかるのは、必然と言える事だったのだろう。他にもセインは、かつて冒険者として活躍していたために遺跡探索には慣れていたり、並の賢者たちよりもはるかに広く深い見識を持っていたり、高名で人々の羨望を集めているために援助者や協力者を集めやすかったりなど、色々な方面から最適と言える人材なのだった。
 そんな単純な話が長引いた理由も単純で、セインが乗り気ではなかったためだ。冒険者から身を引いてからのセインは、戦士としていくらか仕事をしてきたが、魔物の討伐など戦うだけのものばかりで、本格的な探索に参加するのは、ほぼ十年ぶりだった。そんな人間よりも、現役で冒険者として活躍している者が率いたほうがいいと考えたからだ。
 どっちも引かない状態で長引いた交渉は、セインが折れる形で終わった。とは言え、セインも無条件で飲んだわけではない。条件をふたつ提示し、相手に飲ませた。
 ひとつは、自分が率いる隊は遺跡の安全確認や魔物の討伐を主とし、本格的な調査は後続の別隊に任せる事。つまりは拘束日数の短縮だ。
 もうひとつは、この仕事を最後に、戦士と言う生業からの完全に引退する事。こちらは常々考えていたのだが、何かと「貴方にしかできないのです」などと言われて仕事を押し付けられ、今日まで達成できなかったのである。
「派手な仕事を最後に引退だなんて、伝説でも作りたいの?」
「その発想はなかった。お前頭いいな」
 ソフィアがいつもどおりの軽い口調でやりとりする横で、アーシェリナは不安げに表情を曇らせる。
「充分な戦力は集まりそうなの? 何だったら、私が……」
「何のために今まで魔術師である事を隠してきたんだ。大丈夫だ。万が一他の人手が足りなくとも、魔術師だけは嫌と言うほど実力者が集まるさ。学院が主催だぞ?」
「そう……そうね」
「いつ行くんです?」
「少なくとも、明日明後日出発とか、そう言う話ではないな。けっこうな規模になるらしいから、準備も色々あるんだろう。秋頃の予定だと聞いている。多少の前後はあるだろうがな」
 それぞれに思うところがあるのだろう。家族たちはセインを心配したり、調査そのものに不安を抱いたりしていたが、その中でイリュウスはひとり、期待に胸を膨らませていた。
 調査の内容や規模を詳しく理解したわけではないが、とてつもない事をしようとしている事は理解した。そんな凄い事に、真っ先にお呼びがかかる父は、なんと凄い人なのだろう!
 イリュウスはますます父を誇りに思った。
「楽しみだね」
 満面の笑みでイリュウスが言うと、「お前はそう言うと思ったよ」と、セインはため息を吐きながら微笑んだ。
「また、色々話を聞かせてくれるんだろ?」
「そうだな。色々と、話に事欠かなくなるだろうからな」
「やった!」
 うかれるイリュウスを、半眼で睨むのはソフィアだ。
「まったく、イリュウスは気楽よね。気を付けてよね、お父さん」
「判っている――ランセル」
「はい」
「まだ少し先の事だが、俺が居ない間は、皆を頼んだぞ」
「はい」
 真剣な顔で頷くランセルを頼もしそうに見守ったソフィアは、直前までの優しい表情が嘘のように、冷たい言葉を父に投げかけた。
「もともと、お父さんが居なくてもなんとかなっているから、そんな気にしないで大丈夫よ」
「お前な」
 セインはソフィアの頭を小突く。
 怒ったふりをしながら笑う父の様子に、皆が笑った。それぞれが抱いていた不安が、少しずつ薄れていく。
 楽しく、温かい、家族みんなで過ごした夜。
 思い出すだけで懐かしい、夢のような日だ――


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