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七章

11

 告白された事は数え切れないほどあるソフィアだが、告白したのは初めてで、話の流れと勢いの力を借りてさりげなく口にするだけでも、大きな勇気を必要とした。
 勇気は返事をもらうまで持続させねばならず、それはまた大変なのだが、不思議と、告白を受ける時よりも気持ちは楽だった。自分の心に正直に行動した結果だからなのか、断る事で少なからず相手を傷付ける事に疲れていたからなのか――後者なのだとしたら、ランセルはソフィアの告白を負担に思っているかもしれず、少し申し訳ない気がした。雇い主の娘だから、本音を伝え辛い事もあるだろうし。
 でも辛いからこそ、さっさと終わらせたいかもしれないし――迷いながら眠りについたソフィアは、翌朝目覚めると、真っ先に悩んだ。ランセルに会って話をするべきか、向こうが話しかけてくるまで極力話しかけないようにするべきか。
 その悩みはまったくの無駄だった。けして狭くはない家とは言え、ひとつ屋根の下で暮らしているのだ。朝ご飯を食べようと食卓に向かう頃には、ばったり顔を合わせるはめになった。
 両親の朝はソフィアより早い。料理担当の母は、仕込みだの何だのする事が沢山あるし、店に客が入る前なので、家に居る時は父もそれを手伝う。だから両親や、両親と一緒に朝食を取るフィアナは、すでに食事を終えている。
 イリュウスもすでに終えているようだ。そう言えば、早起きして友達と出かけるとか言っていた気がする。
 つまりソフィアと同じ時間帯に朝食を摂るのはランセルだけで、いきなりふたりきりの空間ができてしまい、ソフィアの気持ちは少し焦った。だが、それだけだ。自分で思っていた以上に神経がず太かったのかもしれないと、自身について新たな発見をするソフィアだった。
「おはよう」
「おはようございます」
 笑顔で挨拶し椅子に座るソフィアに、ランセルは少し困った笑顔で返してくる。普通の、あるいは普通よりも繊細な心を持つ彼ならば、それが当然なのだろう。
「元気ないのね」
「そう言うわけでは」
「やっぱり私、困らせてる?」
 いきなり確信を突いてしまったらしい。ランセルの表情から笑みが消え、困惑だけが残った。さすがに肯定はしなかったが、もはやされているようなものだった。
「貴女に、お話したい事……お話しなければならない事があるんです。ひと晩考えたのですが、それが最良だと判断しました」
 ぽつりと落とすように、ランセルは言う。
 昨日の今日だ。ランセルの話は、告白に関係ない事ではあるまい。察したソフィアの心音は徐々に早まり、緊張が増していく。無意識に姿勢を正し、膝の上で拳を握っていた。
 昨日までは平気だったと言うのに、真っ直ぐ見つめる事ができず、つい俯きがちになってしまう。ソフィアは何度か深呼吸を繰り返し、勇気を持って顔を上げた。
「どうぞ」
 ソフィアが話の続きを促すと、ランセルの表情が変わった。目元も、口元も、形は変わっていないのに、ふと影が差したのだ。
 常に影が差しているような人だけれど、それでもこの陰りは、いつもと違う。星空の下で自身の能力について語った夜の、諦めたような悲しげな眼差しに似ている。
「俺は、貴女の未来がいくつか見えると、以前言いましたね」
 話の腰を折りたくないので、ソフィアは頷くだけにした。
「実際にはふたつで、そのうちのひとつは、貴女の隣に俺が居る未来でした」
 ランセルの言葉が呼び起こしたのは、まず小さな歓喜。自分とランセルが結ばれる未来が存在する事を、ソフィアは単純に喜んだ。
 だがすぐに、大きな落胆が続いた。ランセルは悲しい未来しか見えないから、見える未来にいる伴侶だけは選んでいけず、たとえ選んでしまったとしても相手がソフィアを受け入れる事はないと、以前言ってくれた。そして今ランセルは、その相手こそが自分だと言っている――つまり、あの晩のランセルは、自分はけしてソフィアを受け入れないと言っていたのだ。
 その事実を今伝えると言うのは、昨晩の返事としては最悪の類のものだろう。できるかぎり平常心を保とうと努力したソフィアだが、唇が震えた。気を抜くと、泣き出してしまいそうだったが、ここで泣くのはあまりに卑怯すぎるだろうと、涙を堪えるのに必死だった。
「ルウェンソフィア・フォスターとなった貴女は、たぶん、幸せに暮らします。二十歳の誕生日を目前に控えた、夏の終わりまで」
「それは、どう言う……」
「貴女が俺を選んだ場合、余命四年を切ると言う事です」
 震えが止まる。緊張とか、悲しみとか、恐怖とか、感情を全て断ち切る事によって。混沌する心に潰されないよう、本能的にそうしたのだろう。
 ランセルが何を言っているのかよく判らなかった。ソフィアは生まれてこのかた健康体で、疾患など見当たらない。どうしたら、あと四年で死ねると言うのか。判らない。判りたくもない。ありえない――
「だから貴女は、俺以外の誰かを選ばないといけないんです」
「でも……!」
 どうして叫んでしまったのか、自分でもよく判らない。ソフィアは焦って、続く言葉を探した。探さなければ、忘れていたい事を思い出してしまいそうで、心細さに負けてしまいそうで、必死だった。そのために、ランセルに縋りたかった。縋るからこそ悲しい未来が待っているのだとランセルは語るのだが、それでも。
「短い間だけど、私は幸せになれるのでしょう? 貴方を選ばなかった私がどうなるかを、貴方は知らないのでしょう? 後悔ばかりして、不幸な人生を送る事になるかもしれないじゃない。もしかしたら、幸せなまま短い一生を終えたほうがましだと思えるくらい……」
「俺は嫌だ!」
 それまで静かな声で、ソフィアを諭すように語っていたランセルは、急に怒鳴った。癇癪を起こした子供のような、痛々しい叫びだった。
「俺はもう嫌だ。もう、あんな想いをしたくない」
 ランセルの頬に伝う一筋の涙は、感情をソフィアに届ける。母親と共に過ごす、終わりが決まりきった幸福な日々に、ランセルが抱き続けてきた想いを。
「貴女が居なくなる日を数えながら生きるのは……嫌だ」
 その時ソフィアが最も強く感じたものは、羞恥だった。ランセルが自分の事を好きか嫌いかばかり考えるあまり、彼の心の深いところにある淀んだ感情から目を逸らしていた事が、あまりに無神経だと気が付いたのだ。
 気付いていながら、ランセルが拒絶しているのはソフィア自身ではなく、ソフィアを失う事かもしれないと思いつき、僅かにでも喜びを感じてしまった自分は、愚かな女だろうか。
「ランセル……」
 一緒に生きていく事ができないわけではない。けれどそうしてしまえば、ランセルは喪失の悲しみを、ソフィアは死の恐怖を抱えながら生きていく事になる。それらの負の感情は、深く、広く、傷となって心に刻まれるのだろう。
 想像する事からすら逃げたくなるほど辛い。けれど、より辛いのは、きっとランセルだ。未だ塞がっていない傷を、再び抉られる事になるのだから――だからソフィアは、どうにかして打開策を考えたかった。自分のためにも、ランセルのためにも、彼のそばで、より深く傷付ける存在ではなく、傷を癒してやれる存在になる術を見つけたかった。
 そうだ、ようは、ランセルに見えない未来へ向かう道を探せばいいのではないか。
「別に、結婚とか考えずに、のんびり……って言うのは、ないのかな?」
 ランセルは小さく頷いた。
「俺は言ったはずです。もうひとつ未来が見えると。できるだけ早く誰かと家庭を築いてほしいと。その意味が、判るでしょう」
 あまりにもあっさりと、ランセルは最後の望みを断つ。
 ソフィアはうなだれ、目元を覆い隠した。心臓を鷲掴みにされたかのように苦しいのに、痛いのに、なぜか涙は出なかった。
 諦めろ、と言われて、諦められるものなのだろうか。いくらか時が過ぎれば、別の人を好きになれるのだろうか。判らない。自分がどうしていいのかも、気持ちの整理のつけ方も、判らない。まだ若く、人生経験が乏しいせいだろうか? それともこれは歳を重ねても、変わらないものなのだろうか。
「判っていたなら……どうして貴方は私の前に現れたの」
 あの日ランセルが現れなければ、ランセルに惹かれる事などなく、迷いなく他の人と生きていけたかもしれないのに。
 八つ当たりだ。それは判っている。でも言わずにはいられなかった。耐えられなかった。
 けれど言ってすぐにいたたまれなくなり、ソフィアは部屋を飛び出す。酷い事を言って傷付けたから、謝らなければと思ったが、戻ってランセルの顔を見る勇気が湧いてなかった。


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