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七章



 昼食の時間帯は過ぎ夕食にはまだまだ早い、そんな中途半端な時間帯、客が少ない時に限ってだが、ランセルは歌ってくれる。一番奥の席に腰かけ、店中に音を響かせるのだ。
 ランセルにとっては休憩時間だから、店の迷惑にならなければ何をしてくれても良いのだが、店の外にまで届く切ない旋律と歌声は通りを歩く人々の興味を引き、結果的に客引きとなっていた。とは言え、本人は元々そのつもりで歌いはじめたのではない。きっかけはソフィアがせがんだからだし、次があったのはアーシェリナが懐かしがって喜んだからだ。
 ソフィアにとって嬉しかったのは、色々な歌を聴けるのももちろんだが、わずかながら女性客が増えた事だった。男性客が悪いわけではないのだが、母や自分目当ての者がけして少なくないため、母がせっかくおいしい料理を作っているのに、味わっているのか判らない人も居て、なんとなくもったいない気がするのだ。もちろん、だからと言って、手を抜くわけではないのだが――だから、歌につられて入ってきた女の子たちが、「おいしい」などと料理の感想を言ってくれると、ついはりきりたくなる。
 今日の歌も、はじめて聴く曲だった。ランセルの歌は恋歌の中でも悲恋ものが多い気がするのだが、今日のは比較的明るい。高貴なる女王への一途な想いを胸に秘め、真摯に仕え続ける騎士の物語だ。明るいと言っても、最後にふたりが結ばれるわけではないのだが、騎士の想いに気付いた女王が、誰にも、騎士にも気付かれないよう、想いを返すくだりは感動的だ。
 ランセルの歌がはじまると、いつも機嫌が良くなる母だったが、今日は特別嬉しそうだった。時には聞き入るあまり、手が休んでいるくらいだ。「どうしたの?」と訊ねると、はにかみながら「セインが歌ってくれた中で、この歌が一番好きだったの」と返してきたので、元々の両親の関係に一番近かったのだろうと、勝手に納得するソフィアだった。そう言えば、母は昔、父が毎日花を摘んできてくれたと言っていた気がする。幼かった当時は単純に、恋する相手への贈り物だと解釈していたが、本当は違ったのかもしれない。両親が真実を語ってくれる日は、来ないのだろうが。
 歌が終わり、客からの拍手が鳴りやむ頃、ソフィアはランセルの卓に飲み物を持って行った。ランセルが「いつもすみません」と言いながら、小さく微笑んで会釈する仕草が、ソフィアはなんとなく好きだった。
「お礼を言うのはこっちだよ。ランセルのおかげで、お客さん増えたし」
「役に立てたのならば良かったです」
 喉を潤したランセルは、もう一度会釈をした。
「役に立つどころじゃないよね」
「そうね。働き者だし、よく気が利くし。いい人が来てくれて嬉しい」
「ね。もうお父さんいらないんじゃないの?」
「ソフィア、冗談でもそう言う事は言ってはだめよ。セインが傷付いてしまうから」
「いくら私でも、お父さんの前では言わないよ」
「前で話す気がなくとも、聞こえる場合はあるんだがな」
 背後から突然父の声が聞こえてきて、ソフィアは身を竦ませた。
 振り返ると、店の入口をくぐったばかりのセインが、いくばくかの荷物や古代王国の宝である魔剣を担いで立っている。身に突けている衣服や鎧は、表情と同じく少しくたびれていて、疲労をためている事は目に見えて明らかだった。
「あ、おかえり」
「おかえりなさい、セイン」
「お疲れ様でした」
 素直に迎え入れるアーシェリナとランセルを横目に、ソフィアは笑った。そうしてごまかそうとしたのだが、簡単にごまかせる相手ではない。
「依頼のほうは無事終わったの?」
「ああ。前情報どおり、森の中に巣食う魔獣を倒してきただけだからな。普通の武器が効かなくてな、久しぶりにこの剣を振るうはめになって大変だった。同行した魔術師は能力はあっても実戦経験がほとんどないせいか判断力に欠けて役に立たなかったし、神官は回復魔法を使ってくれただけ役に立ったが、他の魔法を知らないのかと聞きたくなるくらい、それしか使わなかったな。まあ、勝てたからいいさ。魔獣はすでに人里まで出て来た事があって、近くの村では何人か犠牲者が出ていたらしいからな。これで安心して暮らせるだろう」
 いつになく饒舌な父の姿から、複雑な感情を感じ取ったソフィアは、申し訳ない気になって、素直に謝罪を口にした。
「ごめんなさい。ありがとうございます。今日も私たちラバンの民は、お父さんのおかげで平和に過ごしてます」
「大げさに言いやがって」
 セインは通りすがりにソフィアのこめかみを軽く小突くと、そのまま店の奥に進み、家の中へと戻っていった。
 普段の父ならばもうひとつやふたつ嫌味を残して去りそうな気がするので、あっさり許された事が少し拍子抜けだった。平然とした顔で帰ってきたから判らないが、実は死闘を繰り広げてきていて、見た目以上に疲れているのかもしれない。
「ランセルも休んできて」
「いえ、俺は平気ですから、ソフィアさんたちが……」
「いいからいいから。どうせもうすぐお店も休憩時間に入るし」
 ソフィアが笑顔で背中を押すと、ランセルはしぶしぶと言う様子で頷く。
 この店で働き続けて今日でちょうど十日目、ソフィアが言い出したらなかなか引かない人物だと、すっかり理解したようだった。

 無造作に荷物を放り投げ、魔剣をてきとうに立てかけて、居間で休んでいるセインを見つけたランセルは、ひそかに驚く。そうとう疲れていた様子だったから、自室に戻って休んでいるのだろうと思っていたのだが、違ったようだ。
 セインは椅子に深く腰かけ、天井を仰ぐ格好で目を伏せていて、眠っているように見えた。眠るならばやはり自室に戻ったほうが良いのではと思うのだが、せっかく眠っているのにわざわざ起こすのも忍びなく、ならば邪魔をしないように気を付けようと、ランセルはできる限り足音を殺し、通り抜けようとする。
「よくやってくれているようだな」
 だから、声をかけられた時は、本当に驚いた。自然と体が撥ね、鼓動も早まる。振り返ると、セインは「驚かせて悪かったな」と言いながら笑っていた。
「お疲れのようですね。よほど強い魔物だったんですか?」
「いや……まあ、強かったが、やろうと思えばひとりでも倒せるような相手だったさ。それに、実際戦ったのは三日前だからな。それほど疲れが残っているわけではないんだ――むしろ」
 セインはランセルの顔を凝視し、僅かな間だけ眉間に皺を寄せたが、すぐに無表情に戻った。
「意外に忙しかっただろう」
「そうですね。雑用が主ですから、やろうと思えばいくらでもやる事がありましたし。雇いの給仕の方が具合が悪いとの事で休まれた日があったので手伝ったところ、ソフィアさんに愛想が悪いと怒られました」
「その光景、目に見えるようだな。いちいち口うるさくて鬱陶しいだろう、あいつは」
「あの明るさ元気さは、頼もしいですね」
「いいんだぞ、言葉を選ばなくても」
 声を出して笑うセインに、何と返していいか判らず、ランセルは苦笑した。
 言葉を選んだつもりはなかった。一点の曇りもない、本心だ。基本的に笑顔で、人の世話をする事が大好きなあまり周りを放っておけないソフィアは、ランセルの目にとても眩しく映り、か弱い女性である事は確かなのだが、生命力の塊ではないか思うほど力強く感じる事が多いので、頼もしく感じたのだ。
「でもまあ、気晴らしくらいにはなったか」
 セインの口からふいに飛び出した問いかけは、ランセルの心を鷲掴みにする。まさに、不意打ちだった。慌ててセインの顔を見下ろすと、少し子供っぽい笑みを浮かべている。
「無理に押し付けてしまったかと心配してたんだが、それなりに楽しんで働いてくれたみたいで良かった」
「はい。楽しかったです」
 今更隠しても無駄だし意味はない。ランセルは正直な感想を述べた。
「なんだ。過去系にしてしまうのか」
「いえ……ですが、長くご厄介になるのもご迷惑かと」
「迷惑なわけないだろう。いや、まったくないとは言いきれんが」
 今度はセインが苦笑する番だった。音もなく、長いため息を吐き出す。
「街に戻ってきてから、新しく店で働いている少年は何者なんだと、質問責めを受けた」
 それが自身の事だとすぐに気付いたランセルだが、自分がなぜそれほど注目を浴びるか意味が判らず、沈黙を貫くしかなかった。
「ソフィアがな、見てくれがあれだわ、働き者だわで、欠点を差し引いても、興味を持つ輩が沢山いるんだよ。ソフィア本人もうぬぼれでなくそれを自覚していて、うかつに男に近付くような事をしていなかったから、周りから見るとお前は『特別ソフィアに近付いた男』に見えたんだろうな」
「そう言えば、以前ふたりで買い物に行った時、やたら視線を浴びましたね。ソフィアさんは、気にしていなかったようですが」
「自分に集まる視線をいちいち気にしていたら、外を出歩けないからな、あいつは」
 セインは肩を竦めながら言った。その仕草も表情も、申し訳ないような誇らしいような、複雑な想いを抱えている様子だ。
 きっとソフィアは、美しく生まれてきた事で、あまり良くない目にもあってきたのだろう。あけっぴろげで、人との垣根を作りたがらないように見える彼女だが、ランセルに近付く時は、ある種の警戒が見える時がある。それはランセルに対してだけではなく、他の異性――たとえば店を訪れる男性客たちにも同様だ。異性たちの方がソフィアに対し垣根を作り、特別視し続けてきたがために。
 西の勇者と呼ばれる英雄を父に持ち、美しく料理上手の母を持ち、本音で話せる可愛い弟妹を持ち、幸せな家族の中で育ったように見えるソフィアにも、抱えるものがある。けれどそれを見せる事なく、明るく強くある彼女は、やはり眩しい存在だと、ランセルは思っていた。


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