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六章



 弟子にしてくれと頼み込んで来る者はこれまでに数え切れないほど居たし、弟子をとって技を残したほうが良いのではとありがた迷惑な忠告をくれたものも少なくない。
 だがまさか、ラキシエルに頼まれる日が来るとは思っておらず、セインはただ驚いた。ラキシエル本人ではなく、戦士志望の同行者の事だと判った瞬間は、安堵すると同時に納得したものだ。
「まあ、お前の頼みならば断れないな」
 セインは面倒臭く思っている事を判りやすく表情に出しながら頷いた。もし今セインの目の前に居る人物が他の者――たとえば自称弟子のアークや、厄介な仕事を持ち込む依頼人であったならば、即座にご機嫌取りをするだろうと容易に予想できるほど、あからさまに。
 だが今セインの目の前に居る人物は、そんな事をしない。気付いていないわけではなく、気付いていて無視を決め込み、色の違う双眸を細めて笑みを作ったかと思うと、
「ありがとう。じゃ、ライネを連れてくるよ」
 とだけ言い残し、さっさと立ち去っていった。
 開店前の店にやって来たと思えば、勝手な事を言うだけ言って帰るラキシエルに、少し呆れる。だがセインはラキシエルに、その身勝手さを許容して当然と言えるほどの借りがあると思っていて、苦笑しながら受け入れるのだった。
「ねえ、セイン」
 厨房の中で仕込みをしていたアーシェリナは、ラキシエルが去った途端口を開いた。
「本当に引き受ける気なの?」
 何か煮込み料理だろうか。大鍋の中身をかき混ぜると、蓋を閉じ、手を休めてセインに向き直る。その目は軽くだが、セインを睨みつけていて、セインは小さく苦笑した。
「怒るほど気に入らないなら、ラキシエルが居る間に口を挟んでくれないか」
「それはそうだけど……」
「ただ預るわけではない。小さいとは言え成人している立派な大人だからな。最近また客が増えて忙しそうじゃないか。手伝ってもらったらどうだ」
「勘違いしないでね。私が言いたいのは、ただ飯食らいが増えるのが嫌とか家が狭くなるとか知らない人と一緒に暮らしたくないとかではないのよ。ただ、ライネさんの気持ちが無視されているような気がして……」
「彼女が戦士を志している事も、西の勇者に憧れている事も、事実だろう?」
「呆れた」
 アーシェリナは頭を抱えながら、深く長いため息を吐いた。軽く厨房を見回して様子を確認してから、セインに歩み寄り、隣の椅子に腰かける。
「貴方もラキシエルさんも、本気でそう思っているのなら、一度プロミジーの海にもぐって、思う存分頭を冷やしたほうがいいと思う」
「いや。死ぬだろう、そんな事をしたら」
 セインは即座に反論した。これまでプロミジーに足を運んだ経験はなかったが、西部諸国の最北に位置し、氷の精霊が強く働いており、海はぶ厚い氷で覆われていると、知識で知っている。生身で海に飛び込もうものなら、あっと言う間に凍え死んでしまうだろう。
「生まれ変わるくらいの事をしないと、ライネさんの気持ちなんて判らないでしょう」
「お前には判るのか?」
「少し見ただけで判ったわよ!」
 アーシェリナが珍しく声を荒げるので、セインは何も口を挟めず、ただ話を聞く事しかできなくなった。
「戦士になりたいと言うのは、ただの口実だと思う。わざわざその口実を選んだ理由までは判らないけれど、とにかく、口実を作ってまで彼女がやりたかった事は、ラキシエルさんと一緒に村を出る事よ」
「どうしても村が出たかった――虐待を受けていた、とか」
「セイン、私、プロミジーに言った事があるの。だから瞬間移動の魔法で、一瞬で送ってあげられるわよ?」
 とても心から笑っているとは思えない笑顔でアーシェリナが言うので、セインは乾いた笑い声をもらしながら首を振った。
「重要なのは村を出る、ってところではないの。ラキシエルさんと一緒に、ってところよ」
「どうして」
 はあ、と、あまりにもわざとらしいため息が、人気のない店中に響いた。
 色々なものをこらえているのだろう。アーシェリナの眉間には、深い皺が刻まれている。伸ばそうと思ったわけではないが、気になったセインがそっと手を伸ばして眉間に触れると、現状に気付いたアーシェリナは、もう一度ため息を吐く事で同時に苛立ちを吐き出そうとしていた。
「本当は私も判っているの。このくらいで貴方が判ってくれるくらいなら、私、あんなに苦労しなかったに違いないって」
「昔の事を持ち出すのは、卑怯だな」
「卑怯にもなりたくなるの。こんなにも匂わせているのに、全然気付いてくれないのだもの。私がひと目で気付いた事なのに、よ?」
「鈍い、と言いたいなら、昔の事を持ち出さないで欲しいものだな。昔の俺は気付いていなかったわけでは――」
 唐突に、閃いた。
 その推測が当たっているならば、繋がる。ライネの行動の意味、アーシェリナが怒っている理由、鈍さを詰りたくなる気持ち、全てが。
 アーシェリナは重ねているのだ。ライネと、かつての自分を。その上で、認めたくないのだ。ラキシエルとセインの決断を。
「ライネはラキシエルのそばに居たかっただけか」
「そう言う事」
 瞬時に機嫌を回復させたアーシェリナは、頬をほのかに桃色に染めた。
「可愛いわよね。素敵」
「あんな若い娘が、ラキシエルをねえ。あいつは確かにいい奴だが」
「いい人なら、当然ではない? それに貴方、昨日言っていたでしょう。ライネさんはラキシエルさんの一番格好いいところを、一番近くで見ていたって。ならもう、当然を通り越して、必然のようなものよ」
「まあ、それもそうか」
 納得し受け入れると、別の悩みがセインの中に生まれてしまう。ライネの本心や、アーシェリナの反対意見と相反する約束を、すでに交わしてしまった、と言う事だ。
 ラキシエルがライネの想いに気付いているか判らないが、どちらにせよラキシエルは同じ決断をすると、セインは思うのだ――いや、気付いていたならばなおの事頑固に、ライネを自分から遠ざけようとするかもしれない。彼の贖罪の旅は、かつて失った恋人に殉ずる事でもあるので、ライネの想いに応える事は許されないはずだ。
「ライネは、ラキシエルの生き方を変えてくれるだろうか」
 セインは目を細め、ふたりで旅した頃を思い出す。
 ラキシエルはセインと再会した時驚いていた。内心判りやすい奴だと呆れつつも、納得していた。ラキシエルと離れてから今日まで、自身を取り巻く環境は大きく変わっている。それによって心境にも変化があり明るくなった、と自分でも思うからだ。
 だが驚いたのは、セインも同じだった。セインほど劇的ではないが、ラキシエルとて、数年前と比べて変化している。それはあの村で暮らした日々や、ライネのおかげではないかと、セインは思うのだ。
 ならば、ライネならば、ラキシエルの贖罪の旅を終わらせる事ができるかもしれないと――期待してしまうのは、酷だろうか。
「ラキシエルさんには、辛い思い出があるのね?」
「誰にでもあるさ。ひとつくらい」
「あら。私には無いわよ」
「嘘をつけ」
 セインはアーシェリナの左腕を掴み、引き寄せる。
 白く滑らかな肌にはうっすらと、だがよく見れば刀傷だと判る痕が残っていた。十五の歳にセインがつけた、劣等感と被害妄想の渦に溺れて犯した罪の象徴。
「まだ残っている」
 忘れていいと思わないし、忘れられるわけもない。未来ある少女の体に残した醜い刻印は、同時にセインの心にも強く焼き付いた。思い出し自分を責めた回数は数え切れないし、呆れるほど繰り返して見た悪夢でもある。
「傷の事?」
「ああ」
「ふふ。これくらいよね。あの頃の思い出で、形に残っているものって」
 はにかむアーシェリナが意外で、セインは目を見開いた。
「嬉しそうだな。ろくでもない思い出なのに」
 あの頃の生活の全てが苦しかったと言う気はない。自由とかけ離れた生活に戻りたいとは思わないけれど、楽しかった事もあったし、多くの時間は幸せだったと思う。
 だがセインは、この傷をアーシェリナの身に刻んだ時の自分だけは、絶対に許せない。アーシェリナにとっても、良い時間ではけしてなかったはずだ。
「喜んでは駄目? セインは、そんなに嫌だった?」
「いや、俺ではなくて、お前が」
「そうよ。あの日私は、貴方に初めて『好き』って伝えたの」
 セインは言葉を失った。
 まず思ったのは、「何を言っているのだ」だった。どうすればそんなにも都合のいい思い込みをできるのか、不思議でしかたがなかった。
 だがすぐに思い直す。アーシェリナのような考え方も、悪くはない。少なくとも、長年見続けた悪夢を消し去る事ができるのだから。
 腹の奥から湧き出てくる笑いを堪えきれず、セインは声に出して笑いはじめた。
「セイン?」
 あの頃は、彼女を征服したいと願っていた。自分が惨めで情けなくて、上にいる彼女が羨ましくて。そうして力と言葉で傷付けて、一時は勝利した気になっていた。
 けれど――
「やっぱりすごいな、お前」
「何よ、突然」
「俺は多分、一生お前に勝てないよ」
「何それ」
 アーシェリナは可憐に、少しだけ恥ずかしそうに微笑むと、立ち上がって厨房の方に戻っていった。弱火にかけたままの鍋の中を覗き込み、上手く煮えている事を確認すると、積み上げてある野菜の皮剥きに手をつけはじめる。
 セインもアーシェリナの隣に並び、包丁を手に取った。あまり器用な方ではないが、皮剥きくらいならば問題なく手伝える。
「で、どうするの。ライネさんの事」
 手を休める事はせず、アーシェリナが問うてきた。
「どうすると言ってもな。俺はライネの事よりもラキシエルの事のほうを、より知っているんだ。あいつは普段のんびりしているくせに、妙に頑固な部分を持っている」
 人の色恋沙汰に口を出す事をこれまでほとんどしてこなかったセインが、苦手なりに色々考えて手を回したところで、何かが変わるとは思えなかった。それどころか、ラキシエルが意固地になると言う、逆効果にもなりかねない。
「だから、ライネに任せてみようかと思っている」
「任せるって?」
「この状況が望みに反しているのなら、彼女はラキシエルを引き止めるなり、着いて行きたいと告げるなり、するべきだろう。できないなら、それまでの縁だった、って事だ。ここで、一人前の戦士を目指してもらおう」
「本当は弟子なんてとりたくないくせに」
 アーシェリナは押し殺し切れなかった笑い声を、厨房に響かせた。
「でも、そうね。そう言う考え方もあるわね。そっちの方が、誰かに動かされるより、ずっと素敵」
 弾む声音でアーシェリナは語る。
 きっとアーシェリナは、同じ立場に立たされたとすれば、追いかけてくるのだろう。一瞬たりとも迷う事なく。そう、セインは確信していた。
「許されるべきではない事を許される事は、辛い……か」
 昨日ラキシエルに言われた言葉を、セインは呟く。
 ラキシエルの言う通りだと思う。セインは辛かった。許される事によって、責められるよりもよっぽど強く心を痛める日々が続いた。
 だが、乗り越えた今だからこそ判るのだ。罪を許される事は辛いけれど、いつか必ず救いになるのだと。そうして救われる事で、セインは今ここに居るのだから。
 セインは少しだけ手を止めて、隣に並ぶアーシェリナを見下ろした。うっすらと残る腕の傷を視界に入れてから、目を伏せる。
 だから、お前も。どうかもう、救われてくれ。
 心の中でラキシエルに語りかけ、セインは祈る。自身にあらゆる運命を押し付けてきた、幸運の神へと。


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