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五章 episode3



 目的の薬草が多く生えていると言う場所へと向かう緩い山道は、登って行くにつれ、点在する魔物の亡骸の数が増えていった。
 山に入ったばかりの頃は、アーシェリナたちが変なところで道を違え迷っている可能性を考え、何度か足を止めて新しい足跡の進む方向を確かめていたものだが、魔物の遺骸はそんなものよりもよほど判りやすく、ふたりが進んだ道を教えてくれる。何か問題が起こり、それがふたりの身の危険であるかもしれないと考えると気が逸るセインとしては、先に進むための目印として、たいへんありがたかった。
「凄いですね。その、シーラさんって言う、女剣士。こっちのオーガなんか、確実に一撃で仕留められてますよ」
 明らかに一太刀ぶんの傷しかついていない死骸の横を通り過ぎながら、ちらりと視線を落としたアークは、唸りながら呟いた。
「それを言うならこっちだって、電撃一発っぽいわよ」
 アークが見ているものと別の死骸にむけて灯りの点る杖を向けながら、レンシアが呟く。
「たったふたりでこんだけの事できるって事は、もしかして、私たちより腕があるんじゃないの? だとしたら、わざわざ私たちが追っかけたところで、足手まといにしかならないかもね」
「それは充分ありえる事だが」
 ロバートはひとつ咳払いを挟んだ。
「人手や単純な力がないとどうしようもない状態になっているとか、怪我をして足止めくらっているとか、そう言う事もありえるだろ」
「そうね。ロバートは役に立つかもね」
「仮に無駄足だったとしても、平和に片付いて良かった良かった、ですんでいいだろ。それより」
 レンシアの小さな不満まじりの疑問を受け流したロバートは、少しだけ歩みを早め、先頭を行くセインの隣に並んだ。もう一度、咳払いを挟む。少々わざとらしい仕草だ。
「セイン、その、俺は、さっきからひとつ、気になっている事があってな」
「どうした。歯切れが悪いな。珍しい」
「いや、だって……あのソフィアって子の事だぞ?」
 セインは一瞬だけロバートに振り返る。
 言い辛そうにしてはいるが、ロバートの表情に貼り付いているものは、疑問と言うより確信に近いものだった。疑いが僅かに残る状況が気持ち悪く、セインの口から確証を引きずり出したい、と言うところなのだろう。
「お前、言ってたろ。ソフィアは、探し人の娘だって」
「ああ」
「でもあの髪の色、どう見てもお前と同じだよな」
 やはり気付いたか。セインはロバートに気付かれないよう、静かに息を吐く。
 セインの白銀の髪は、ありふれたものではない。だから、同じ色を持つソフィアを目にした者に血縁を疑われるのはあたりまえで、より近くでソフィアを見たロバートが真っ先に気付くだろうと覚悟はしていた。していたが、いざこうして訊ねられると、返答する事が面倒でたまらなかった。
 自分でも判らないのだ。何と答えて良いのか。ソフィアは、血縁上は間違いなくセインの娘で、けれど――
「ん? どう言う事?」
 会話内容が気になったのか、レンシアが肘でロバートをつつく。こっそりしているつもりなのかもしれないが、まったく隠れていない。
 もっともそれはアークも同じで、何事もなさそうな顔をして歩いているものの、耳をそばだてているのは明らかだった。
「だから、俺たちの立場から真っ先に考えつく予想としては、あの子がセインの娘って事だろ?」
「そうなの!?」
「いや、たとえば、兄貴の子供とか妹だとか、他の可能性もあるけれども。でもさっきのセインの様子からすると……」
「ど、どうなんですか、師匠!!!」
 まとわりついてくるアークを振り払い、うるさい奴らだと怒鳴り散らしてやりたかったが、セインはぐっとこらえた。
「俺に娘が居たら悪いのか」
 肯定すると、三人はほぼ同時に目を丸くし、首を横に振った。
「いえ……悪い、と言うか」
「悪くはないんだが」
「ないけど……じゃあ、その、アーシェリナさんって人は、セインの……?」
 だから話したくなかったのだ、との意味を込めて、セインはため息を吐く。今度はわざと聞こえよがしに。
 ソフィアがどう思っているかはともかく、事実関係だけを言えば、ソフィアは確かにセインの娘だ。だがそれを知れば誰もが、ソフィアの母親であるアーシェリナとセインの関係を想像するだろう。レンシアがつい口にしてしまったのも、当然で、責める事などセインにはできない。
 だがそれは、セインがずっと抱え続け、未だに答えを出せないでいる問いでもある。何と答えて良いか判らず、セインは唇を噛みしめる事しかできなかった。答えを知っている誰かに、教えてほしいくらいだ。
 いらないと言われれば、二度と会わないようにしよう。そう、決めている。
 セインの力が必要だと言うのならば、ふたりのために可能な限り力を注ごうとも、決めている。
 けれどもしあの人が、今もまだ、共に生きていた頃と同じ感情を抱えていて、同じ事をセインに望んでいるのだとすれば。
「ん?」
 アークが急に表情を引き締め、はるか前方を眺める。
「どうした」
「いえ、今、人の声が聞こえたような気がして。多分、女性の声です」
 報告を聞くや否や、セインは走り出していた。担いでいただけのルーサーン・ハンマーを、いつでも振るえるように構えなおしながら。背中に仲間たちの言葉が次々とかかるが、それらは全て置き去りにして。
 緩やかな坂道を、どれほど駆け上ったかしれない。息苦しさを覚えはじめた頃、ようやくはっきりと音が聞き取れるようになると共に、魔法の灯りによって視界が格段に広がり、氷色の瞳に惨状を映す事ができるようになった。
 何匹かの魔物が、あるものは血を吹き出し、あるものは凍え、あるものは焼け爛れて倒れている。それらを尻目に、まだ生命を繋いでいる魔物は、ひとりの女性に群がっていた。
 背の高い、輝く鎧を纏った女性だ。漂う一流の風格を裏切らない上等な剣士のようで、彼女自身には一分の隙もない。鋭い眼光で逆に魔物の隙を見極めながら巧みに剣を操り、堅実に一体ずつ敵を仕留めていた。もう少し身軽に動けそうに見えるのだが、なぜか動きが鈍い――その理由を見つけた瞬間、セインは息を飲んだ。
 彼女は守りながら戦っているのだ。彼女の後ろで、白い肌をなお青白く染め、口の端に血をにじませて倒れている、アーシェリナを。
 セインは声にならない悲鳴を上げた。それは、雄叫びにも似ていた。魔物たちへの怒りが一瞬にして熱く湧き、全てを殲滅する事だけしか考えられず、強く地面を蹴り、魔物たちとの距離を詰める。
「セイン! ちょっと、止まりなさい! 接敵する前に、魔法を……!」
「ああなったセインはもう無理だ。諦めろ。お前の時もそうだっただろ」
「ったく、もう!」
 レンシアは唱えかけの呪文を止め、少しだけ愚痴をこぼすと、仲間たちや救護対象を巻き込まずにすむ、別の詠唱をはじめた。
 その間に、アークの呪文が完成した。勇気を司る精霊、戦乙女ヴァルキリーの力の象徴たる槍が、魔物めがけて飛んでいく。膨大な力を秘めた槍が、魔物の腹の中心を貫くと、貫かれた魔物は醜い悲鳴を上げるや否や、すぐに絶命した。腹に続いて胸の中心を、セインによって貫かれたからだった。
「そっちは任せたぞ、セイン!」
 ロバートはひと声かけるだけで、セインの横を通り過ぎていった。彼の足は、アーシェリナへと向かっている。
 アーシェリナの現状は今のセインに判るべくもないが、絶命はしていないはずだ。ならば、ロバートに任せれば安心だろう。セインは少しだけ落ち着きを取り戻し、ひと呼吸挟んで武器を構え直した。
 力を込めて、降り下ろす。重く巨大な武器は、振るうたびに、魔物の血や肉片を飛び散らせた。セインの服や肌は、みるみるうちに赤く染まっていく。赤の中には、セイン自身の体から流れ出るものもあるのだが、セインは痛みを感じていなかった。意識の全ては、魔物を排除する事にのみ向けられていた。
 セインだけではない。途切れる事を知らないアークとレンシアの術が、シーラの剣が、次々と魔物を屠っていく。気付けばセインたちの回りには、魔物の肉塊ばかりが広がっていた。
 叫びながらセインは、目の前に居る最後の一匹を叩き潰す。そのままルーサーン・ハンマーを地面に突き立て、肩で息をした。あまりよく覚えていないが、ずいぶん無茶な戦い方をしたのだろう。体に来た反動は大きく、筋肉が軋んでいる気がする。何より、受けた傷の痛みが全身を走りはじめた事がきつかった。
「おい、セイン! 後ろ!」
 ロバートに強く名を呼ばれ、セインは無意識に閉じていた目を開ける。
 地面に映る自身の影に、もっと大きな影が重なっていた。セインは即座に振り返り、武器を構えようとする。だが、魔物の一撃を避けるには間に合いそうにない。それを悟ったセインは、いかに致命傷を受けないようにするかを、瞬時に判断しなければならなかった。可能ならば、反撃できる状態でありたい。無理でも、せめて命さえ繋いでおけば、ロバートたちが助けてくれる――
『偉大なるマナよ、何をも切り裂く鋭き糸よ。あの者を拘束せよ!』
 振りかざされた鋭き爪が今にも振りおろされようとした瞬間に響いたのは、泣きたくなるほど懐かしく、心地よい声。
 かつては常にセインを守り、あるいは癒し、力付けてくれたその声は、他の雑音がかき消されたかのように、真っ直ぐに、セインの耳に飛び込んできた。
 ひたすら優しかったはずの声は、今この時、魔物を傷付けるためだけに作用する。魔力で編まれた鋭い糸が、魔物の体中に巻きついた。それに気付いていないのか、気付いていて無視をしたのか、変わらずセインに襲いかかってきた魔物は、一瞬にして全身を切り刻まれる。叫ぶ間もなく魔物は絶命し、千切れた腕が宙を舞う中で、残った体は地面に崩れ落ちた。
 視線を巡らせ、今度こそ魔物たちが全滅した事を確かめると、セインはゆっくり振り返る。胸の内には、恐怖を抱えていた。だがそれでも、振り返らずにはいられなかった。
 瞬きもせず見つめる先には、同じようにセインを見つめ返す、輝く紫。


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