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五章 episode3



 翌朝早くに発った四人は、ベルダインへと続く街道を黙々と進み、夕方近くに小さな町に辿り着いた。
 アーシェリナたちが真っ直ぐにベルダインを目指しているのならば、昨日にはこの町を通り過ぎているはずだが、給仕の少女が聞き間違えた可能性や、何らかの事情で行く先を変えている可能性は無ではない。
 少しでも早く追いつけるよう、先に進みたいと言う想いに煽られていたセインだが、多少の冷静さを取り戻し、この町でも情報を集めるべきだと判断した上で、宿に立ち寄る事にした。それに、もう夕日が出はじめている。今この町を後にしてしまえば、夜までに宿のある町に辿り着く事は不可能であろう。それは絶対に許さないと言う気配が、レンシアから漂っていた。
 小さな町には、中心に宿がひとつあるだけだった。食事どころや問屋と言ったたぐいの店は多く見られたが、半分くらいはすでに閉まっている。どうやらこの町は、街道を通る旅人たちが休憩したり、近隣の村から集まる物資を調達するために栄えた町のようで、町と言うよりは大きな市場と言った様相だった。きっと昼に訪れれば、今とはまったく違う、賑やかな町並みが見れるに違いない。
 セインたちはとりあえず、唯一の宿に向かった。看板や外から様子を伺って見る限り、この町の宿も例にもれず、一階が酒場と言う形態をとっているようで、情報を集める事は容易だろう、とセインは思ったのだった。
 だからこそ、戸惑った。緊張した、と言うべきかもしれない。アーシェリナたちの更なる情報が手に入る事、距離を縮めているかもしれない事に。
「ちょっとセイン。さっさと入るかどくか、どっちかにしなさいよ」
 色々複雑なものを抱えて立ち尽くしているセインに、そんなものなどおかまいなしのレンシアが、率直な不満を述べる。しかし、感情的にはともかく、レンシアの言う事は間違いなく正論であったので、セインは黙って扉に手をかけた。
 その瞬間、内側から扉に力が加わったので、セインは反射的に手を放し、扉にぶつからないよう一歩後ろに下がる。中に居た者が外に出るためにはそれでもまだ邪魔だろうかと、一歩横に移動しようとして――セインは動きを止めた。一瞬視界の端に映ったものを、はっきりと捉えようと、顔を上げる。
 最初は、鏡だろうかと思った。鏡が扉を開けられるわけがないし、入口にいきなり鏡を置く店など聞いた事がないにも関わらず、本気でそう思ってしまった。それほど、セインの目の前に立つ人物は、セインに似ていた。あるいは、セインが彼に似ていた。
 よく見れば髪や目の色が違うし、着ている服や行動はまったく違う。だからセインは、次に幻覚を疑った。そして自分だけがこの異様な光景を目にしているのかと、仲間たち三人に振り返り確かめた。三人はそれぞれ程度こそ違えど、セインと同様に戸惑いを見せていて、どうやら自分だけがおかしな幻を見ているわけではないらしいとセインは理解した。
 さて。と、セインは男に向き直る。正確には、宿の入口に、だ。よく考えてみれば、ここで自分そっくりの男に出会ったからと言って、セインの目的には何の関係もないのである。仮にこの出会いが、二度とない貴重な経験だったとしても、セインが優先すべき点は他にある。
「すまないが、中に入りたい。通してもらえるか」
 未だ動かない男に声をかけると、やはり戸惑いを隠せないでいた男は、何かをごまかすように笑みを浮かべた。
「ああ、悪ぃ……ってか」
 男は一度言葉を飲み込んだが、またすぐに吐き出した。
「あんた、もしかして、セイン?」
 名を呼ばれ、セインは強張らせた顔を男に向けた。相手が自分を知っている事で、この出会いが単なる偶然ではない予感がしたのだ。
 セインが過去に出会ってきた人々の中に、自身と似たような顔をした同性の人物は居なかったはずだが――この男は一体誰で、なぜ自分の事を知っているのか、それを確かめる必要がある気がした。
「やっぱそうなんだ。いやー驚いた。似てる似てる言われてきたけど、ここまで似てるとは思わなかったわ」
 返答がない事を肯定と受け取った男は、セインとは対照的に余裕を笑みに浮かべ、雑な動作で宿の中を示した。
「ちょうどいい。あんたに話がしたい。着いてこいよ」
「なんで師匠が、お前なんかに従わなきゃいけないんだよ!」
 男の、どこか相手を馬鹿にしたような言動が気に入らなかったようで、アークが不満を口にする。
 普段のセインならば、アークと同様に不快感を覚え、アークに言いたいだけ言わせていたかもしれないが、今回ばかりは違った。
「いい、アーク」
 前に出てくるアークを抑え、静かに黙らせる。
「この男は、俺が知りたい事をおそらく知っている」
 そこまで言うと、アークはしぶしぶと言う様子だったが、おとなしく引き下がった。
 男は満足げに頷き、宿の中に入っていく。二階に続く階段をやや急ぎ気味に駆け上がり、通路を進んで一番奥の部屋の前に辿り着くと、立てた人差し指を唇に当て、暗に「静かにしろ」と指示した。
 そして扉を開ける。あまり広くない部屋に、寝台がふたつ。ふたり部屋のようだが、人の気配はひとつしかない。一方の寝台に、白銀の髪の幼い子供が横になっているだけだった。
「ソフィア……!?」
 髪の色を見るなり慌てたセインは、寝台の脇に置いてある氷水の入った手桶に嫌な予感がしたのも手伝い、男の指示をすっかり忘れて寝台に駆け寄る。
 やはり、ソフィアだった。記憶にあるソフィアよりだいぶ成長していたが、アーシェリナによく似た面立ちはそのままで、ひと目で判った。
 今やセインに残された、唯一の、血を分けた家族であるソフィアは、目を閉じて眠っているようだが、けして穏やかな眠りではなかった。白い頬は熱によって真っ赤に染まり、絶えず汗がにじみ出し、乱れた息が部屋の中に静かに響いている。額の上に置かれた布は、元々は手桶の冷たい水に浸されていたのだろうが、ソフィア自身が発する熱によって、すっかり温かくなってしまっていた。
 恐る恐る手を伸ばす。触れるソフィアは、温かいを通り越して、人間の体熱とは思えないほどに熱かった。
「これは、どう言う事だ?」
「見ての通りだよ。病気にかかってるんだ。なんとかって熱病の一種らしいんだが、名前は忘れた。それでアーシェリナは、その病に効くって言う、薬草を取りにいっている。相方の、シーラって女とな。っと、忘れてた。一応名乗っとくわ。俺はエルディ……ラーン、だ。事情があって、四人で旅してたんだけどな」
「医者や、神官は?」
「はいはい、俺にはちっとも興味がないって事ですねー。ったく、むかつくくらいお似合いだよお前ら」
 エルディはわざとらしく肩を竦めた。
「居ないとは言わねぇが、こんなちっせえ町に、まともなのが居るわけないだろ。見せても無駄だった。薬草が生えている場所を教えてもらえただけ良かったよ」
「そう、か……」
 セインは肩を落とし、布を氷水に浸しなおしてから、ソフィアの額に戻す。またすぐに温くなってしまうだろうが、わずかに一瞬、ソフィアの呼吸が楽になったように感じた。
「おいおい。そこのそっくりさんはともかく、お前は忘れるなよ、ここに居る、それなりに高位な神官の存在を」
「誰がそっくりさんだよ」
「あ、悪い。とにかく、邪魔だからどけどけ」
 レンシアと、アークと、ついでにエルディも押しのけて部屋の中に入ってきたロバートは、セインの隣に立つ。長い腕を伸ばし、ソフィアに手をかざすと、セインには意味を理解できない、神聖なる言語を紡ぎはじめた。
[戦の神よ、か弱き子に慈悲を。その勇ましき力によって、身を蝕む病を払いたまえ]
 戦神マイリーに捧げる祈りの言葉は、いつも力強い。だが祈りによって生まれる光は優しく柔らかく、ソフィアを包み込んだ。
 光が消える頃には、ソフィアの呼吸は普通の、穏やかなものに変わっていた。顔の赤みも薄れ、流れ出る汗は一度拭いてやれば、もう出てこなかった。
「ん、熱を出してから、けっこう経ってるのか?」
「ああ、四半日くらいは過ぎてる、かな?」
「じゃあすぐに目覚めないのは、熱で体力を消耗しすぎたんだろう。しばらくこのまま寝かせておけば、目が覚めた時には元気に動けるだろうさ。あと着替えさせて、水分補給もしておきたいところだが……」
 セインはその場に膝を着き、ソフィアに顔を近付ける。落ち着いた事を間近で確かめ、やや熱を弱めたソフィアの小さな手を両手で優しく包むと、長い安堵の息を吐いた。
「ロバート」
「なんだ?」
「ありがとう」
「……素直なお前って、本当に気持ち悪いな」
 ロバートは驚きつつ、照れくさそうな表情で顔を背けた。
 これまでの冒険の中で、神官としてのロバートの力に、幾度命を救われたかしれない。けれど今日ほど、泣きたいほどにありがたく思った時は、他になかったといってもいい。
 良かった、本当に。ソフィアが無事で、本当に良かった。
 この子が生まれてくる事を呪った日もあった。自分の罪の象徴だと思った日も。再会の時、この娘に対しどのような感情を抱くのか、不安に思った日もある。けれど今、目の前の娘は確かに愛しく、今こうして生きていて、これからも生き続けてくれる事が、嬉しくてたまらなく――かつて抱いた想いが、不安が、異常でくだらないものにしか思えなかった。
「安心してるとこ悪ぃけど、俺があんたたちに話したかったのは、ソフィアの病気の事だけじゃねえんだ。ソフィアの事はもう俺に任せて、アーシェリナたち、追ってくんね?」
 セインはソフィアに向けていた柔らかな表情を瞬時に引き締め、エルディを見上げる。
「どう言う事だ?」
「薬草が生えている山はすぐそこなんだけどよ、その薬草が生えている辺りに向かうまでに、けっこう強い魔物が出るらしいんだよ。だから、この町の医者とかも在庫を持ってなくて、わざわざアーシェリナたちが取りにいく事になったんだけどな」
「なんであんたが残って女性がふたりで行くのよ」
「俺が一番弱いからに決まってるだろ。言わせんな、そんな事」
 レンシアの率直な問いに、エルディは半ばふてくされながら答える。
「あのふたりの強さは並じゃないんだが、そろそろ帰ってきてもいい頃合なのに音沙汰がないのが気になってな。もう夜になっちまうし、ちょっと心配だろ? あんたら、見たところ俺より強そうだし、様子を見てきてくれれば安心……と」
 エルディはセインと見つめあうと、複雑な笑みを浮かべながら息を吐いた。
「状況説明さえしちまえば、わざわざ俺がお願いする事でもないか」
 セインは力強く頷いた。
 ソフィアの手をゆっくりと寝台の上に戻すと、細く柔らかな髪をそっとひと撫でする。そうして落ち着いた眠りを確認すると、立ち上がった。
 もしアーシェリナの身に何かがあったと言うのなら、セインは彼女を守らなければならない。それはセインの使命であり、願望でもある。そして、距離が離れすぎていて何もできなかった昨日までと今は大きく違うのだ。今ならば、彼女のところに駆けつける事ができる。
 この件に関して何度目になるか判らない我侭を言おうと、セインは仲間たちに振り返った。だが、セインは何も言わなかった。これまでの付き合いは伊達ではなく、仲間たちはすでに、部屋を出て行こうとしている。
「すまないが、ソフィアを頼む」
「ああ、任せとけ」
 エルディの力強い返事を聞いてから、セインは仲間たちの背中を追った。
 心臓の音が高く鳴るのは、待ちわびた日の訪れを喜んでいるからだろうか。それとも、恐れているからだろうか。


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