五章 episode3
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手を伸ばすほどに、追いかけるほどに、大切な人たちの面影や残り香は遠ざかっているようで、避けられているのか、逃げられているのかと、思った事は少なくなかった。
そうだと言う確証が持てれば、もう一度会わなければならないと言う決意を捨て、探す事を諦められたかもしれないし、ただ彼女たちの幸せを願ってひとり生きていこうと思えたかもしれない。けれど時折耳に入る目撃証言の中にある、彼女が人を探している様子だとの情報が、避けられていない証のような気がしてしまい、セインは今日まで飽きる事なく同じ問いかけを繰り返し、有力な情報を得る事ができずに落胆するを繰り返してきた――昨日までは、だ。
自らの鼓動の高鳴りは、周囲の音が聞こえなくなるほど大きくて、鏡を見ずとも判るほど、セインは動揺していた。自然と身を乗り出し、情報提供者である冒険者の店の従業員を、より近い場所で見下ろす。
「それは、本当か?」
給仕が主な仕事であろう少女は縮こまり、盆で顔を半分隠す事でセインの視線から逃れようとしながら、小さく何度も頷いた。
「ほ、本当です。魔女アーシェリナの事でしょう? この辺ではあまり知られてませんけど、北の方では名の知れた魔術師だって聞いた事があって、それに凄い美人さんだったから、しっかり覚えてます。まだ、二日前の事ですし」
「そんなに最近か?」
「は、はい。二日くらいうちに泊まっていって、出ていったのが、二日前です」
「どこに向かうか言っていなかったか?」
少女は更に怯え、完全に盆に隠れる。
どうやらセインは無意識に彼女を睨んでいたらしい。しかも、お世辞にも品がいいとは言えない者たちが集まるだろう店で働いている彼女が震え上がると言う事は、相当な強さで、なのだろう。セインはひと呼吸挟んで己の心を落ち着け、半歩ほど退いて少女との距離を開けた。
遠ざかる気配に気付いたか、少女は盆から目を覗かせる。セインができる限り穏やかな男を装うと、ようやく震えた声で話を続けてくれた。
「た、確か、ベルダイン、って、い、言っていた気がします。直接聞いたんじゃなくて、ご飯出した時、そんな話をしていて……」
「そうか」
「ち、違うかもしれません! そしたら、ごめんなさい!」
「いや。謝る必要はない。情報をありがとう。助かった」
セインは丁寧に礼をしてから、仲間たちに振り返った。
それぞれ卓についているのだが、一様に疲れた様子を見せている。椅子の背もたれに寄りかかっている程度のロバートはいい方で、アークは完全にうなだれているし、レンシアなどは卓に上体を預けて半分眠っている。それもそのはずだろう、ひとつの依頼を終え、この町に辿り着くまでの間野宿続きで、全員疲労がたまっているのだ。セインとて、給仕の少女からの情報さえなければ、彼らと同じ席に着いて休み、更にこの店でしばらく宿をとって、ゆっくりとしていた事だろう。
面倒だな、とセインは思った。
アークはいいのだ。大抵の事であれば、セインの言葉に従うのだから。ロバートも、まあいいだろう。他のふたりに比べて余裕があるし、気のいい奴だから、多少詮索してくる事があったとしても、協力を惜しむ事はあるまい。問題は、レンシアだ。
今のレンシアは見たところ、声をかけるだけでも怒りだしそうなほど休息を欲している。だと言うのに、ここでセインが「すぐこの町を出よう」などと言い出したら、どうなる事か。
「面倒だな」と小さく呟き、セインは三人に歩み寄った。確かに面倒だ。心底面倒だ。しかし、面倒くささなど、ようやく見つけた手がかりを前にしたセインへの抑止力としては、あまりに無力だった。
「皆、すまないが」
卓に両手をつけ、三人を見回しながら、セインは言った。
「明日の朝、この町を発ちたいと思う」
おそろしいほどの早さで顔を上げたレンシアが、眉間に無数の皺を寄せる。そこまで酷くはなかったが、ロバートも露骨に嫌そうな顔をした。俯いて落ち込んだ様子を見せるアークは、無言の抗議をしているのだろうか?
「ぜっったいに、嫌」
不服を最初に言葉にしたのはレンシアだった。
「お前がそう言うだろう事が予想できないわけがなかったが、それでも俺は明日の朝に発ちたいと言った」
「何でそんなに明日出発したいのよ。何か理由があるって言うの?」
「それは、まあ……」
「じゃあ言いなさいよ。納得できない理由だったらつまんない冗談言った罰として電撃食らってもらうわよ」
レンシアはふんぞり返り、セインを睨み上げた。
「ねえ? あんただって、理由聞きたいわよね、ロバート」
それからレンシアは、ロバートに同意を求める。
セインたちは四人組で、アークは基本的にセインに絶対服従であるため、レンシアはここで絶対にロバートを味方にしなければならない。そうする事でようやく二対二の対等な意見となり、話し合いの余地が生まれるからだ。
つまりセインは、どのような状況になったとしても多数決で負ける事などありえず、いつもならば反発するレンシアの言葉に無条件で従う事などない。しかし今日は、仲間たちに強行を強いる事に対し罪悪感を抱いている事もあって、レンシアの要請に素直に従う事にした。
意地など張っていていい時ではない。自分の全てを犠牲にしても良い、犠牲にするが当たり前なほど、大切な事なのだから。
「判った。説明しよう」
セインは仲間たちと目線の高さを近付けようと、椅子に座った。
「俺の旅の目的は、人探しだ」
「そう言えば、そうだったっけ?」
「誰を探してるのか、聞いた事はないけどね?」
レンシアは興味本位である事を隠そうともしない輝いた瞳で、セインを見上げてくる。
珍しい事だとセインは思った。我侭な言動が多いレンシアだが、自身の境遇や心情を隠し続けてきた事もあってか、他人が隠そうとしている境遇を詮索するような言動は、これまであまり見せてこなかったのだ。自分のほうが明らかにしたからなのか、それとも――
「言わなければ駄目か」
「駄目ね」
きっぱりと言い切るその口調と、張り付く笑みのいびつさが、レンシアの機嫌の悪さを現しているようだった。
セインは静かにため息を吐く。あまり話したくない事だが、できる限りの誠意は見せねばならない。説明しようと口を開きかけ、アーシェリナの事をどう説明するべきか判らなくなり、しばしの沈黙を呼び込んだ。
主だと、そう言えばいいのだろうか。けれどセインは、自分がアーシェリナを今日まで探し続けてきたのは、彼女が主だからではないような気がしていた。主でなかったとしても、やはり同じように、探していただろうと思うからだ。
「恩人と、その人の娘だ。俺は、彼女が居なければとっくに死んでいただろうと思う時が、少なく見積もっても二回ある」
悩んだ末にセインが導き出した答えに、レンシアは驚いたそぶりを見せた後、眉間の皺の大半を消し去った。
「それはまた、ずいぶんな恩人ね」
「ああ」
「じゃあ、お前の命の恩人でもあるな、アーク。セインが居なきゃ、お前はとっくに死んでたんだから」
「そうだよ。でもそれは、ロバートやレンシアだって同じだろ? 僕たちは、師匠が一番前で戦ってくれるからこそ、なんだから」
「それは否定しねーけど、いいんだよ。俺たちの場合、お互い様だから」
噛みついてくるアークを笑いながらいなしたロバートは、どこかにいたずら心を隠しているような笑みで、セインに振り返った。
「じゃあさっき、あの女の子を脅しているように見えたのは、脅していたわけじゃなく、情報を貰っていたわけだ」
「そうだ。二日前までこの店に居た、と聞いたものだからな」
「必死すぎだろ」
「否定はしない」
「素直だな」
ロバートは心底楽しそうに、声にして笑いながら、今度はレンシアに振り返った。
レンシアは盛大なため息を吐き出すと、わざとらしくセインから目を反らし、無言で手を上げる。呼ばれて、先ほどの給仕の少女が怯えながら近付いてくると、気だるそうな口ぶりで、あまり統一感がない注文を大量に告げた。どうやら、料理も飲み物も、値段が高そうなものを選んでいるようだ。
「――あたしは、それくらいでいいや。ロバートとアークはどうするの? 今夜はセインのおごりだから、遠慮はいらないわよ」
「は?」
「何よ。違うの?」
レンシアはふんぞり返りながら、唇の端を僅かに上げた。勝ち誇る者だけが浮かべられる笑みだ。
セインはレンシアに負けじと、盛大なため息を吐き、「仕方ないな」と呟いた。
Copyright(C) 2011 Nao Katsuragi.