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五章 episode2



 エイルダークの屋敷は存外に広く、事前にアークたちから説明を受けていても、少し驚くほどだった。
 一部三階建ての部分もあるが、基本的には二階建てと、高さはそれほどでもないが、広さはなかなかのもので、その辺の貴族の邸宅にひけをとらない。しかし、防衛面を考えての事だろう、ぶ厚く見上げるほどの高さがある外壁のせいで、おそらく屋敷に見合った広さであろう庭を覗く事はできそうもなかった。一定の距離ごとに植えてある、背の高い木を目にするのがやっとだ。
 この屋敷の中にレンシアが居るのはほぼ間違いないだろうが、どの辺りに彼女が過ごす部屋があるのか、外から見るだけではさっぱり予想できなかった。これだけの広さがあるのだ、部屋数は軽く十を超えているだろうし、もしかすると、隠し部屋などに幽閉されているかもしれない。
「アーク、お前、夜中に忍び込んでみたりはしていないのか?」
「え、師匠、僕を殺す気ですか」
 門前払いをくらった経験があるため、屋敷を目の前にやや怯みぎみのアークは、セインが軽い気持ちで口にした問いに、過剰とも言えるほどの反応をした。
「常時門番置いてるような屋敷ですよ。警備がしっかりしてるに決まってるじゃないですか。ひとりで忍び込むのは、無理です」
「ひとりでなければいけるのか?」
「そうですね。ロバートが派手に門番ぶち倒したあと、警備の気を引いて逃げ回ってくれれば、がんばりますよ」
「お前、ロバートを殺す気か?」
「え、師匠、僕とロバートの扱い、差がありすぎじゃないですか?」
「そうかもな」
 不満げに見上げてくる青灰色の瞳が急にうっとうしくなったセインは、むりやり話を打ち切ると、屋敷に向き直った。
 元々セインは、本気で屋敷に忍び込もうと考えていたわけではなく、正面から門をくぐるつもりだった。時間の経過によってエイルダーク家が冷静さを取り戻している可能性や、昨日までに訊ねたアークたちの熱意が通じ、快く通してもらえるのが最良だが、それでも駄目で強行突破せざるをえない場合は、屋敷内の配置が判っていたほうが都合がよい、と思っただけだった。
 セインは腰から釣り下げた剣の柄を撫でる。相手の態度が軟化している場合を考え、印象を無駄に悪くしないよう、大きい武器は持ってきていないセインだが、このくらいの武器は携帯している。いざとなれば、暴れる覚悟はできてきた。
 レンシアと自分たちとを合流させたくないと考える者――おそらくは現エイルダークの主である、レンシアの兄リーゼル――の気持ちを、セインはそれなりに判っているつもりだった。レンシアは本来、こんな立派な屋敷で暮らせるお嬢様なのだから、内部の問題が収まった今、わざわざ危険な冒険者家業を続けなくとも、と思うのは当然だろう。ましてリーゼルにとってレンシアは、今や唯一残った肉親なのだ。できるかぎり安全な場所にいてほしいと望むのはあたりまえだろう。
 だからセインは、リーゼルの意志がレンシアの意志と一致していると言うならば、素直に受け入れ、おとなしく引き下がるつもりだ。けれど、それは、人伝に聞いて確かめていい事ではない。本人の口から、はっきりと、「あんたたちとは行かない」と言ってもらわなければ。
 セインは門に近付く。アークとロバートは、多少近付きはしたものの、それだけだった。セインの同行を見守るつもりなのか、単純に門番に近付き辛いのか。
 門番はじろり、とセインを睨んだ。値踏みするような眼差しだ。
「レ……と、リアラお嬢様に会わせてもらえないだろうか」
 レンシアの本名を出すと、門番の視線に凄みが増した。
「俺の名はセインと言う。リアラお嬢様の友人だ」
「ああ……」
 門番は己の中で何かを噛みしめたかのように頷くと、少しだけ視線を柔らかくした。どうやら、元々目つきが悪いらしい。
「貴方おひとりで?」
「いや、昨日以前に訪ねて門前払いをくらった連中が、そこに」
 セインが肩越しにアークたちを示すと、門番の視線がふたりに移る。
 巻き込まれた事をいやでも自覚したふたりは、しぶしぶと言った様子で、セインのそばまで近付いてきた。
「次に貴方がたがいらした時はお通しするよう、リーゼル様より申し付かっております。どうぞお入りください」
「……は?」
「何かご不満でも」
「いや……ありがたい事だが」
 腰の剣に伸ばしかけていたが行き場を失ってしまった手をもてあましたセインは、ごまかすように頬をかきながら苦笑した。

「俺が昨日来た時は、『お通しできません』の一点張りだったんだが」
「一昨日僕が来た時なんて、名乗ったとたんに武器構えられたけどね!」
 応接室らしきところに通され、三人きりになった途端、ロバートとアークは次々と不満を口にした。昨日までの扱いと大きく違う事をありがたいと思う反面、不愉快に思う部分も強いらしい。
「それなのに今日に限ってどうして、と言いたいのか? 昨日までと違う事は、俺がいる事くらいだろう。人徳、と言うやつだな」
「お前のどこに人徳があるって?」
「師匠、その冗談、あんまりおもしろくないですよ」
 からかうような口調のロバートはいいのだが、真面目な顔をして言うアークに対してやや腹を立てたセインは、無言のまま自称弟子の後頭部をはたく。
 やけにいい音がして、アークの双眸にじわりと涙がにじんだ。アークは後頭部をさすりながらセインを見上げ、何か言いたげに口を開けたが、声を発するよりも、再び部屋の入口が開くほうが早かった。
 ふたり分の足音がして、先に入ってきたのはリーゼルだった。セインはリーゼルが起きて動いているところを見たのはこの時初めてで、暗緑色の双眸が見せる輝きが、レンシアとまったく同じだと思った。もっとも、同じなのは形や色合いだけで、色と同じように落ち着いた雰囲気や、いかにもな優等生的な立ち振る舞いは、セインの知るレンシアには似ても似つかなかったが。
 家を飛び出す前のかつてのレンシアも、こんな感じだったのだろうか。そう思った直後、セインの視界に飛び込んできたのは当のレンシアで、セインは少なからず動揺した。その動揺も、彼女がリーゼルと同じように品のよいローブを身に纏っていれば、少しは弱まったのかもしれないが、対照的とも言える身軽な旅装姿が、拍車をかける事となった。
「はじめまして、と言った方がよろしいでしょうか。私はリアラの兄、リーゼルです」
「ああ、ど……うも」
 呆気に取られてしまったセインは、その程度の事しか言えなかった。ロバートも似たようなもので、アークにいたっては、あんぐりと口を開けたまま、微動だにしない。
「先日は命を助けていただいたというのに、今日までお礼も言う事もできず、失礼いたしました。その節は、ありがとうございました」
「いや……事を収束させたのは、相手の頭を倒したレンシアだ。礼ならば、貴方の妹に言えばいい」
 リーゼルは柔らかく微笑むと、セインたちの向かいに座った。レンシアは数歩近付いてきただけで、けして座ろうとはしなかった。話の輪の中に入る事を、拒絶するかのように。
 セインはリーゼルから視線を反らさないよう、だがちらりと一度だけ、レンシアの顔を覗き見る。
 見ても、彼女が何を考えているかは判らなかった。状況が状況だからか、それともあの戦いがほんの数日前だからか、レンシアの顔に表情と言えるものは張り付いていないのだ。
「それから、昨日以前にもリアラを訪ねてくださったと言うのに、たいへんな無作法をしてしまい、申し訳ありま……」
「前置きはその位でいいだろう。さっさと本題に入ったらどうだ」
 リーゼルの表情が一瞬だけ固まった。
「本題……ですか?」
「とぼけなくてもいいだろう。貴方は、俺たちがわざわざここに来た理由を、判っているはずだ。判っているからこそ、はじめから妹同伴でここに現れたのではないのか? それでも言葉を濁すと言うなら、はっきり言わせてもらうが?」
 リーゼルはかすかに微笑むと、小さく首を振った。
「いいえ、必要ありません」
 そしてリーゼルは、レンシアに目配せする。部屋に入ってくる前に何らかの打ち合わせがあったのか、それとも双子であるがゆえに通じるものがあるのか、見つめ合うだけで意思の疎通ができたらしく、レンシアは小さく肯く。
 レンシアの反応を確かめたリーゼルは立ち上がり、再びレンシアの隣に並ぶと、妹の背中を軽く押した。
「どうか、これからもリアラの事をよろしくお願いします」
「は!?」
 意表を突かれて声も出ないセインに代わり、隣のアークが大声で驚きを表現した。
 リーゼルがいきなりそう出てくるとは思っていなかったセインは、無意識に視線を双子から反らし、ロバートに向ける。助けを求めたつもりはなかったが、やはり動揺しているロバートはそう感じたようで、こっちを向くなとばかりに手を振った。
「貴方がたがこの先もリアラを必要とされるなら、もう一度、と思ったまでです。そうでないとおっしゃるのでしたら、考え直しますが……」
「いや、それは困る」
 言葉だけでなく、腕を伸ばす事により態度でも、セインはリーゼルを制止した。
「俺たちは、貴方の妹を迎えるために、ここに来たのだから」


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