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五章 episode2



 声にならない悲鳴をあげながら、セインは体を起こした。
 全身から冷たい汗が吹き出ている。体の芯から震えが湧き出てくるので、それを抑えようと、セインは固く拳を握った。激しく乱れる呼吸を整えようと、ゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「よ。起きたか」
 気持ちが落ち着いた頃を見計らったかのようにかかった声は、ロバートのものだった。声がした方に振り向くと、寝台から少し離れた位置に置かれた椅子に深く腰かけたロバートが、軽く手を上げる。
「師匠!」
 手を上げ返すべきかと悩む間もなく、部屋の扉が豪快な音を立てて開く。犯人はもちろんアークだった。アークは大きな両目にセインを映すと、少しうるませながら、セインに駆け寄ってくる。放っておくと抱きついてきそうな勢いだったので、精一杯腕を伸ばし、アークの頭を抑えると、軽く突き放した。
「ひどいです」
 ハーフエルフの少年ではけして敵わない力で押されたアークは、持ち前の身軽さで転びかけた体勢を立て直しながら、恨みがましい目で不満を訴える。
「そうでもないだろう」
「そうでもなくないですけど、いいです。いつもの師匠だー」
 アークは目を細め、嬉しそうに笑った。
「無事でよかったです。もう、ぜんっぜん目を覚まさないから、すっごく心配したんですよ!」
「ああ、ほんっと、こいつは心からお前を心配していたよ。俺が使った術の効果どころか、信仰心まで疑うほどになな」
 ロバートはひきつった笑みを浮かべながら寝台に歩み寄り、アークの後頭部を殴りつけた。
 どうやら、ずいぶん心配をかけたようだった。アークだけでなく、ロバートにも。癒しの術を使える彼が、明らかに暇をもてあました様子でありながらもセインが眠る部屋に待機してくれていたと言うのは、そう言う事なのだろう。
「俺は、どのくらい眠っていた?」
「二日くらいだな。まったく、何事かと思ったよ。突然走り出したかと思えば、あっさり背中から切られやがって。気を失って倒れて、傷を治しても意識を取り戻さないお前の重い体、ここまで引きずってきたのは当然俺だからな」
「すまないな」
 セインはすぐに素直な謝罪を口にした。身勝手な行動を取った事は自覚していた上、自分の体が荷物としてどれほど邪魔かを想像すると、さすがに申し訳なかった。
「まあいいさ。特に問題もなく、おとなしく眠っていてくれたから」
「でも、師匠、ずいぶんうなされてましたよ。怖い夢でも見てたんですか?」
 率直な問いかけに対する適切な返答を、セインはすぐに見つけ出す事ができなかった。できる事ならば忘れていたかったものを思い出してしまい、落ち着きはじめていた心や思考がまた乱れはじめたからだった。アークたちの前で取り乱さないようにするだけでも精一杯と言う状態で、考えるふりをして目を伏せると、静かに、ゆっくりと呼吸をし、もう一度落ち着く努力をする。
 怖い夢? そう、怖い夢だった。けれど、そんな短い言葉で説明できるようなものではなかった。だからと言って、どんな言葉を集めれば夢見た自分が感じた想いを表現できるか判らなかったし、そうまでしてアークたちに伝えたいとは思わなかった。
「そうだな。恐ろしい夢だったのは確かだ」
『……え?』
 アークとロバートの声が重なる。ほぼ同時に、ふたりは身を乗り出してセインに迫ってきた。妙な圧迫感を覚え、セインは少し身を引く。
「師匠に怖いものなんてあったんですか?」
「うるさい、黙れ」
 今度はセインがアークを殴る番だった。だいぶ手を抜いたつもりだったが、そうとう痛かったようで、両手で頭をおさえてうめいている。
 そんなアークを邪魔だとばかりにどかしたロバートは、寝台横まで引きずってきた椅子に腰かける。
「まあ、それはいい。そんな言い方するくらいだ。どうせ言いたくないんだろ」
「気が利くな」
「そうでもない。たとえお前が言いたくなくても、別の事は説明してもらうつもりだからな」
「何の事だ?」
「どうしてあんな無茶をしたんだって事だよ。竜牙兵を放置して、思いっきり背中向けて走り出すなんて」
 セインはまず苦笑した。困惑が咄嗟に笑顔となって表現されたのだった。
 セインは自分自身の事を、まだまだ不安定で弱く、子供のような部分を持ち合わせた人間だと判っているが、それでも昔に比べればある程度成長しているだろうし、パーティ内では最年長である事と、常に最前線で仲間たちを守る役目を担ってきた事が手伝って、ここ一年程度のセインしか知らないロバートたちから見れば、ある程度の落ち着きや冷静さのある人物に見えるらしい。実際、特別気持ちが乱れるような事がない限り、そう振舞えているだろうとセイン自身も思っているし、彼らと行動する中で、強烈に心が揺れるようなできごとはこれまで起こっていなかった。
 だからこそ、激しく気が乱れたあの時起こした行動は、ロバートたちの目に明確な違和として映ったのは当然で、故に彼らが疑問を抱くのは当然の事で――けれどセインは、理由を一から説明する事はできなかった。これまで、探し人が居る事を匂わせてはきたものの、アーシェリナやソフィアの事を詳しく説明しようと思えた事など一度もなかったからだ。
「レンシアを止めたかった」
 ようやくひねり出せた言葉は、それだけだった。
 納得がいく回答ではなかったようで、ロバートの眉が一瞬跳ね上がる。
「どうしてだ? レンシアがあそこで敵の頭を挫いてくれたからこそ、お前が倒れた後もなんとか戦線が維持できて、ケリをつける事ができたんだぞ」
「だが、あれはレンシアの父親だったろう」
「体はな。中身は違う」
「それでも、認めたくなかった。させたくなかった。見たくなかっただけだ」
「どうして――」
「判っている。俺の身勝手な行動で、皆に迷惑をかけた事は。すまなかったな」
 そう言ってセインは自身の頭を軽く抱え込むと、口を噤んだ。
 アークはそれ以上何も聞かなかった。ロバートも、諦めたように頭を掻いた。
 これ以上の干渉を拒否するセインと、それを判っていて納得いかない部分を己の中で消化しようとするロバートと、どうしていいか判ず部屋の中を忙しなく歩き回るアークとの間に、長い沈黙が流れる。気まずい雰囲気だった。この雰囲気を作ったのは自分で、打開すべきも自分だと判っていたセインは、ふたりに何か話しかけようと、必死に話題を探した。
「そう言えば、レンシアはどうしたんだ?」
 セインはこの場に居ない少女に縋る事にした。レンシアの事だから、自分の寝室にわざわざ足を踏み入れなくても不思議ではないのだが、他に話の種が見つからなかったのだ。
 そうしてせっかくふった話題だが、沈黙の打破に対する即効性はないようだった。しかし、室内の空気は明らかに変わる。アークとロバートが、気まずそうに目を合わせたのだ。
「何があった?」
「えーっと……」
「アーク」
 厳しい声音で名を呼ぶと、アークは起立し、答えた。
「は、はい! えっとですね、戦いが終わって、僕たち……と言うか、ロバートが師匠の看病している時に、『ちょっと家に戻る』って言って帰ったまま、なんです。僕たちも気になって、レンシアの家に行ってみたんですけど、会わせてもらえなくて」
「『絶対に帰ってくるから』って言ってたんだけどな。まあ、それでも、気が変わって家に残ると決めてもいいんだけどさ。それにしたって、何か言ってきてもいいと思うだろう?」
 セインは前髪をかきあげ、ふたりの説明を頭の中で整理する。
 つまりレンシアは、実家に戻ったきり、連絡を取りたくても取れない状態に追い込まれていると言う事だろうか?
 セインは眠っている間に半端に伸びた髭を撫でながら、小さく笑った。
「笑い事じゃないだろう」
 ため息混じりにたしなめるロバートの声を頭上に聞きながら、セインは頷いた。
「判っている。すまなかったな。あまりに酷すぎて、笑わずにはいられなかったんだ」
 父親ではない、けれど父親を象るものの命を奪った少女は、外部と連絡を取る事もままならない、軟禁状態を強要されている。
 まるで――まるで、あの人のようで。
「まったく、嫌なことばかり思い出させる女だよ」
 セインはひきつった笑みで呟くと、寝台から出た。
 軽く体を動かして見る。眠り続けていたせいかだるく、そこかしこが軋むような感覚だったが、熱があるわけでもどこかが痛むわけでもない、充分健康と言える体調だった。
「師匠、どこかに行くんですか?」
「ああ。会わせてもらえないなら、強奪するしかないだろう?」
「へえ。セインさんらしくない力技だな」
 どこか皮肉めいた口調のロバートだったが、振り返ってみれば、彼は頼もしい笑みを浮かべ、胸を張って立っていた。その表情を見るだけで、セインがやろうとしている事に同意してくれている事が判り、急に心強くなる。
「では、出かける準備をしよう。悪いが待っていてくれるか」
「どのくらいかかりそうだ?」
「そうだな。着替えて、顔洗って、髭剃って……いや、いっそ風呂に入っておくか」
「あとご飯! 大切ですよ! 師匠、二日近く寝てたんですから!」
「そうだな。何か腹に入れておかないといざと言う時力が出ないかもしれん」
「まあ、別に、構わねぇけどさ」
 ロバートが呆れた様子で呟くように言った。
「けっこう気楽と言うか、余裕だよな、お前ら」
 気楽だとか余裕だとか言うつもりはないが、そう見えてもしかたがない発言をした事は自覚していて、セインは笑ってごまかしながら答えるしかなかった。
「ここまで来たら、開き直るしかないからな」


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