五章 episode2
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戦闘の開始と同時に前に出てきたのは、二体の竜牙兵と、武装した暗黒神官たちだった。肉弾戦を行うものが前に出て、魔術師たちは後ろで呪文を詠唱する。わかりやすいほどの常套手段で、それはセインたちも同様だ。
同様にならない不安要素があるにはあったが、それも一瞬でかき消えた。レンシアは怒りにまかせて飛び出し、無茶な攻撃をしかけるなどと言う事をしなかった。普段の戦闘の通り、援護魔法によって、冷静にセインたちの援護をする。
『大いなるマナよ。刃に纏い、戦士たちに更なる力を』
セインとロバートの武器が、それぞれ青白い光に包まれる。それを待ってから、セインは武器をふるった。ルーサーン・ハンマーは普段から重い一撃を相手に与える武器だが、今はレンシアの援護によって更に力を増しているため、皮鎧の神官戦士がひとり、あっさりと吹き飛ばされて意識を失った。一撃を耐えた金属鎧の神官戦士も、すかさず降り下ろされたロバートの剣の前に、地に伏す。
<力を貸して、僕の精霊シルフ。あいつらの音を断ち、声を封じて>
アークは契約する風の精霊を呼び出し、邪教の神官たちが発する音を封じようとした。元々の能力差か、はたまた運か、アークの魔法は何人かの抵抗には打ち勝って言葉を奪う。一時的に声を失った神官たちは、紡ぎ途中の詠唱を放棄するしかなかった。
もちろん、全ての詠唱が止まったわけではない。アークの術に勝利した神官たちも居て、彼らの術を止める者は、もはや存在しなかった。力ある言葉が生み出した闇色の衝撃派が、雨のようにセインたちにふりそそぐ。
ひとつひとつはそう重いものではないが、数が多すぎた。全身に鈍い痛みが生まれ、セインは顔をしかめる。今のところ、日々鍛えている体躯の動きを損ねるほどの傷ではないが、神官たちはすでに次の呪文の準備に入っている。同じものを何度も食らっては、耐えられそうにない。
[戦神マイリーよ。勇敢なる戦士たちに、癒しの加護を]
並んで戦っていたロバートは、僅かに後ろに下がったかと思うと、剣の柄を両手で握り締め、彼が信仰する戦の神へと祈りを捧げた。冒険者家業を続ける中で、もっとも聞きなれた詠唱と言えるそれは、セインや、傷付いた仲間たちを癒した。
みな調子がいいようだと、戦いながら周りを見てセインは思う。アークは地の精霊に協力を願い、後方に隠れる神官を石つぶてで倒している。レンシアは、新たな補助魔法によって、セインたちの身を守ってくれている。ロバートは、剣をふるいながらきちんと状況を確認し、仲間たちの傷を回復する事を忘れない。それぞれがそれぞれの役割を知り、上手く動いているのだ。
セインも負けていられなかった。迫り来る暗黒神官たちを次々と屠る事で、肉弾戦においては最も強敵と思われる二体の竜牙兵を自分に引きつける。それから、ルーサーン・ハンマーを構えなおし、力を込めて振り下ろした。竜牙兵の一体は、人間で言えば頭蓋骨にあたる部分が陥没し、破片をぼろぼろと撒き散らす。
人間ならばそれで動きを止めてくれるだろうが、崩れ落ちるその瞬間まで戦い続ける兵器たる竜牙兵は、そうは行かない。顔の半分近くを失いながらも、動きを損なう事なく、鋭い刃をセインに突き出してきた。
一体の攻撃は避け、もう一体の攻撃はルーサーン・ハンマーではじいた。しかし、すかさず繰り出された追撃は避けそこなった。太腿に熱い痛みが走り、生暖かいものが流れはじめた――かと思えば、すぐに温かな空気がセインの体を包み、傷は癒えていった。
ロバートに感謝しつつも、振り返る余裕はない。礼の代わりにセインは、崩れかけた体勢を直すと同時に武器を振り上げた。突然の下からの攻撃にややひるんだか、竜牙兵が数歩後方へ移動する。
その時、セインには僅かな余裕が生まれた。
だからだろうか。視界の端に映る銀髪の少女の姿に、気付いてしまったのは。
本来ならば、レンシアがセインの視界に映る事はありえなかった。実際、つい先ほどまで、彼女は確かにセインの後方に居て、援護魔法で支援してくれたり、敵に攻撃魔法を浴びせていたりしていたはずなのだ――つまり彼女は、何らかの意図をもって、自ら前に出てきたのだ。
急激に冷たい汗が流れ出た気がした。激しい戦いの中で早まった鼓動が、うるさく鳴り響きだしたような気もした。
セインは不安で仕方がなくなった。自分たちの方が優勢を保っていると言うのに、レンシアが目に入るだけで、嫌な予感が唐突に浮き上がってきたのだ。そしてその予感は、まだ根拠と言えるほどのものはどこにもないと言うのに、間違いではないと確信が持てるものだった。
焦る気持ちをむりやり押さえつけながら、セインは竜牙兵を叩き潰す。ようやく一体が崩れ落ちた。そうして開けた視界の真ん中に、レンシアは居た。
レンシアは杖を掲げる。小さな唇が、呪文を紡ぎはじめた。魔法と言うものに縁のないセインが、詠唱の意味を理解する事はできなかったが、レンシアがよく使う術のために聞き慣れてしまったその詠唱が、地を走る電撃を生み出す事は判っていた。
大きな緑色の瞳は、ただ一点を見つめている。強く、強く――レンシアにとって、父親の肉体を持つ男を。
「駄目だ、レンシア!」
セインは声の限り叫んだが、レンシアはセインに振り返りはしなかったし、詠唱を止めもしなかった。そもそも、前方と詠唱に集中する彼女の耳に、セインの声など届いていないのかもしれない。
ならば、力尽くで止めなければならない。
もう詠唱の半分はすぎているはずだ。焦ったセインは武器を持ち替える。大きく振り上げると、薙ぎ払い、竜牙兵の足元を救う。
「やめろ!」
体勢を崩した竜牙兵がその場に倒れるのを視界の端で確認すると、セインは走り出していた。倒れた竜牙兵が起き上がり、再び自分に向かってくるだろう事は判っていたが、先の事など構っていられなかった。
「師匠! なにむちゃくちゃな事してるんですか!」
背後から、自称弟子の引き止める声が聞こえる。
アークの叫びはもっともだった。誰よりも前に立ち仲間を守って戦うべきセインが敵を置き去りにして進むなど、倒れている相手にとは言え無防備に背中を見せるなど、絶対に許されない事で、いつものセインならば絶対にしない事だ。
だがセインは、そんな当たり前の事も判らないほど動揺していた。ただ、逸る気を抑えられなかった。レンシアを、力尽くで押さえ込んででも、殴り飛ばしてでも、止めなければいけないと思っていたのだ。
「やめてくれ!」
背後から竜牙兵の刃が迫っている事にも、正面から邪教の神官たちの魔法が迫っている事にも、セインは気付かなかった。がむしゃらにレンシアに駆け寄り、手を伸ばした。
だが、もう遅かった。セインの手が届くよりも僅かに早く、少女の術は完成した。
セインの目に雷光が焼きつく。青白い光を放つそれは、迷いなくオーディバルトの体を持つ男へと突き進みの体に走り、その身を焼いた。
空気を引き裂く低音は、断末魔の叫びだろうか。
その疑問を確かめる術は、セインにはなかった。背中に、衝撃と強い熱を感じると共に、完全に意識を閉じたからだ。
Copyright(C) 2011 Nao Katsuragi.