INDEX BACK NEXT


五章 episode2



 レンシアが短い詠唱を終えると、彼女の手の中にある杖の先が、薄青色に光る。古代語魔法によって生み出される明かりが、周囲を照らしだしたのだ。
 同時に、アークが光の精霊であるウィル・オー・ウィプスを呼び出し、前方に飛ばす。浮遊する精霊は、レンシアの光が届かないところを照らし出したので、セインたちの視界は一気に広がった。
 自然によって切り出さされているためにいくらかいびつだが、しかしまっすぐと言って問題ない道が、しばらく続いている事が判る。道は少しぬかるんでいて、少し足を踏み入れてみると、海の近くを歩いてきたこれまでよりも、ずっと強い潮の香りに鼻をつかれた。
 おそらく、潮が満ちれば、この道は海水に浸るのだろう。洞窟に入っている間に水が入り、溺れ死ぬ事はなったりしないかと気になったセインは、「調べろ」と指示しようとアークに振り返ったが、その時すでにアークは、ごつごつとした岩壁に近付き、調査をはじめていた。
「満ち潮の時でも、海水はせいぜい僕の膝くらいの高さまでしかこないみたいですね」
「そうか」
「奥まで大丈夫だって保障はまだできませんけど、でも、すでに中に人が居るわけですし、入っても心配ないと思いますよ」
 小さな一歩を踏み出したアークの目が、すっと細まった。足裏からの感触、空気の流れ、かすかな匂いからも何かを見つけ出そうと、気を張っている事が判る。
 幼くとも一流と言える腕の盗賊である彼ならば、危険や、仕掛けられているかもしれない罠から、自分たちを守ってくれるだろう。ならばそんなアークの身を守る事が、戦士である自分の仕事だ。セインはアークの隣に並び、洞窟の中に足を踏み入れた。
「複雑な道の分岐はなさそうだな。目的のやつら、あっと言う間に見つかるんじゃないか」
 殿を守るロバートの声が、レンシアの頭をこえ、セインたちの背中にかかる。
「いい事だな。レンシアの話の通りならば、中には高位の魔法使いが居るのだろう。余計な体力は消耗しないほうがいい」
「そりゃそうか」
 ロバートは小さく笑った。
 それきり四人はひと言もしゃべらず、静かに歩みを進めた。足音や、鎧が発する金属音、ときおりある小さな水たまりにはまった時に立つ水音だけが、小さく響くのみだった。
 細まったり太くなったり安定しない道を進んだ四人は、やがて足を止める。常に前方を進んでいた光の精霊が照らす先に、道がなくなったからだった。
 扉がある。木でできた、簡素な扉だ。視界を塞ぐ目的で作ったのだろう。いびつな道に無理やり合わせて、扉はやや斜めになっている。だが扉としての力はそれなりに発揮しているようで、向こうの様子は何も見えなかったし、音も聞こえてこなかった。
 セインが目配せすると、アークは頷き、扉に近付く。扉や、その周辺の罠を確認すると、扉に耳を付け、向こうの音を聞こうとした。
 すぐに何かが聞き取れたのか、アークは彼にしては厳しい表情で振り返る。目があった瞬間、セインは走り出していた。後ろのふたりも、セインに続いた。
 アークは扉の鍵を開けようとしたが、それよりもセインの到着の方が早かった。セインが走ってきた勢いのまま、扉に体当たりをすると、蝶番はあっさりとその役目を放棄する。扉は岩の地面に倒れ伏し、セインたちの視界は再び開けた。やはり自然がつくりだしたのだろう、綺麗な立方体でも球体でもない、けれど大きなホールが、そこに広がっていた。
 正面奥にはいかにも禍々しい祭壇があり、その手前に置いてある、やはり禍々しい奇妙な椅子には、眠っているのか気絶しているのか、意識を手放した少年が座っている。年齢のせいもありどこか少女じみた面差しは、レンシアによく似ていて、彼がレンシアが語った双子の兄リーゼルであろう事を、セインはひと目で理解した。
 少年より手前には、ローブを着た中年の男が立っている。その更に手前には、ローブの男の部下と思わしき数名の男たち。ホールの端には、二体の竜牙兵。ローブの男以外は、いつでも戦闘体勢に入れる様子だったが、彼らはすぐに動こうとしなかった。おそらく、待っているのだ。主たる男の指示を。
 その主と思わしき男は、指示をするでもなく、セインたちをひとりひとり、ゆっくりと見つめる。そしてセインの斜め後ろに立つレンシアに視点を定めると、不気味に笑った。
「どいて!」
 突然、レンシアが飛び出してくる。その手にあるのは杖ではなく、大きな鏡だった。この日のために彼女が大切に守ってきた、真実の鏡だ。
 真実の鏡を求めた時点で、確信に近いものがすでに彼女の中にあったはずだった。それでも、真実を見つめる事は、勇気が必要だったのだろう。レンシアは恐る恐る、覗き込むようにして鏡を見た。ローブの男を映しているはずなのに、全く違う男が映っている事を確認すると、なお強い眼差しで、ローブの男を睨みつけた。
「やっぱり、こいつ父様じゃないわ!」
「ほぅ……『真実の鏡』か。そうとも、俺は貴様の父親じゃない」
 正体が露見してもなお、ローブの男は、レンシアの父――オーディバルトの声で語る。そもそもの顔立ちは、気品ある中年男性のもののはずだが、今はいやらしい笑みに歪んで見る影もなく、セインはレンシアの震える背中を見つめながら、不快感に耐えていた。
 他人であるセインですら、それだけ不愉快なのだ。父の姿を利用されているレンシアの怒りは、どれほどのものだろう。もう用済みだとばかりに、真実の鏡を放る無造作な動作や、素早く杖を構えて呪文の詠唱の準備をはじめる様子に、彼女の感情の一端が垣間見える気がした。
「もっとも――肉体は本物だがな」
 レンシアの体の震えが止まった。
 だがそれは、彼女の中で燃え上がる怒りが消え去った証ではない。感情が飽和状態となり、外に表現する事ができなくなっただけなのだ。
「我が神の復活に憑主となるおまえの肉体と、エイルダーク家の杖にある宝珠が必要なんでな。換魂の儀式でこいつの肉体を乗っ取らせてもらったのさ」
 レンシアの小さな手が、細い指が、男の語る杖を強く握り締める。けして奪わせはしないと言う、決意表明のように。
「わざわざ出向いてくれるとは手間が省けた。……神の下僕よ!」
 男は悠然と左手を掲げ、高らかに述べる。
「邪魔するものを殺しその娘を捕らえるのだ!」


 レンシアを庇うように前に出ながら、セインは考える。本当にこれでよかったのだろうか、と。
 レンシアが何を望みここまでやってきたのか、セインは知っていたはずだった。知っていたのに、知らないふりをして、ここまで来てしまったのだ。
 だからきっと、罰なのだろう。
 見たくないものを突然見せ付けられ、困惑する事は――


INDEX BACK NEXT 

Copyright(C) 2011 Nao Katsuragi.