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五章 episode2



 セインが「不思議なものだな」とふいに思ったのは、ある日の夕方だった。朝方までかかった仕事を終え、宿に帰ると真っ先に寝台に飛び込んで体を休め、目覚めてからようやく風呂に入り、手に入れた報酬でやや豪華な酒と食事を注文し、口をつけはじめたその時だ。
 いつもよりも美味い酒や料理を楽しむ時に、ひとりではない事が当たり前になっている。不思議に思ったのは、その事実だった。そもそもセインは、ラキシエルと別れたあと、ひとり旅を続けるつもりだったのだ。懐が寂しくなれば用心棒なり傭兵なりで日銭を稼ぎ、金ができたらまたアーシェリナたちを捜して放浪する、それを繰り返せばいいと考えていた。
 だが、気まぐれか、あるいは運命だろうか。アークと出会い、共に行く事が決まってしまったその時から、予定は大きく狂ってしまった。ふたり旅をはじめてすぐに立ち寄った宿で、戦の神マイリーに仕えるロバートに出会うと、どう言う話の流れだったのかもはや思い出せないが、とにかく、三人でパーティを組む事になったのである。重戦士であるセイン、精霊使いにして盗賊の技を持つアーク、剣士であり神聖魔法を操るロバート、この三人なら、互いの力を支え合い、欠点を補えあえると考えたからかもしれない。
 簡単な依頼をいくつかこなした後、立ち寄った町の近辺に廃墟と化した神殿があると聞きつけた三人は、そこに向かった。魔物が住み着いている可能性があると言われたが、古い遺跡ならば、宝物が眠っている可能性もあり、そう言うところを探索して日々の糧を得ようと考えられる程度に、三人の行き方は冒険者のものとなっていた。
 その廃神殿で出会ったのが、ひとりで調査をしていた古代語魔術師のレンシアだ。
 まだ十五歳になったばかりの、幼さが残る眼差しは、厳しく、他人を拒絶しているように見えた。触れようと手を伸ばせば、噛みつかれるのではないかと、本気で心配になってしまうほどに。
 そんな彼女が、自分たちの仲間になる事を選んだ時、セインは正直驚いた。四人パーティとしてそれなりに名の売れた今でも、まだ信じられないほどだ。
 おそらく、彼女が自分たちを選んだのは、信頼ではないだろう。魔術師のひとり旅は不都合が多い。魔法は強力だが、そもそも呪文を唱える余裕がなければ何の意味もないのだ。魔法が完成するまで、身を守り時間を稼いでくれる戦士と組むのは、戦いに身を置く魔術師たちにとって必要不可欠と言ってもよく、自分たちはたまたま彼女のそばに居たから選ばれたのだろう、とセインは考えている。
 利用されているだけ、と考えられなくもないが、別に構わなかった。セインとて、レンシアの力を利用しているようなものだからだ。魔術師を仲間にし、もっと多彩で複雑な仕事をこなせるようになれば、容易に金を稼けるようになるだろう。そうして空き時間が増えれば、アーシェリナたちを捜す事に多くの時間を費やせる――彼女を仲間にする時に、そんな事を考えなかった、と言ってしまえば嘘になる。

 レンシアの事は、常々、不思議な少女だと思っていた。
 年齢の割に、高度な魔術を使いこなす点から気になっていた。アークやロバートを困惑させるほど、わがままで奔放とも言えるふるまいをしている割に、行動のはしばしから品を感じられるのも疑問だった。銀色の髪や暗い緑色の瞳、端整な顔立ちと相まって、口を開きさえしなければ、どこぞの令嬢にも見えるのだ。
 もしセインが感じ取った印象の通り、レンシアが相当の教育を受けられる上流階級で生まれ育ったのだとすれば、冒険者と言う職業とも言えない職業にわざわざ就いている事に何らかの理由があるはずなのだが、彼女は自分の事について、一切語ろうとはしなかった。冒険者になった理由も、旅の目的も、生まれや家族の事も。
 それはもしかすると、セインが自分の事を語ろうとしなかったせいなのだろうか? セインがもし、訊ねてもないのに自分の事をべらべらとしゃべるアークや、隠す気が無いらしく会話の端々に過去が垣間見えていたロバートにのようにしていれば、レンシアも心を開いてくれたのだろうか。
 ともあれ、レンシアがセインの前で己の事を剥き出しにしたのは、たった一度限りだった。財宝を目当てに潜った遺跡で、古代王国時代の魔法の品である、真実の鏡を見つけたあの時。
「他の報酬はいらないから、この鏡を私にちょうだい!」
 真実の鏡を誰にも渡すまいと、胸に押し抱く姿は、何も偽ろうとはしていなかった。
 少なくとも、セインにはそう見えたのだ。

 レンシアは、本名をリアラ・ファルテナ・エイルダークと言い、工業都市エレミアの魔術師ギルドの長、オーディバルトの娘として生を受けた。セインが予想していた通り、彼女は幼い頃から上等な教育を受けられる家庭に生まれていたのだ。
 父であるオーディバルトが、歴史の狭間に消え去ったはずの、学者ですら聞いた事もないような邪教に手を出し、神への貢物としてレンシアを選んだ時、レンシアはまだ十五になっていなかった。レンシアはすぐに双子の兄のリーゼルに助けを求めようとしたが、リーゼルは妹の話を信じようとせず、取り合ってくれなかった。だからレンシアはひとり、逃亡生活をはじめたのだ。家族の元から離れ、ひとりで生きていく事でしか、己の身を守れなかったから。
 セインたちがはじめてレンシアに出会った神殿は、彼女の父が崇める邪教の神殿だった。レンシアは逃亡生活の中で、独自に調査を進めていたのだ。
 父が取り付かれた宗教が何であるのか。
 父の姿をした人物が、本当に父親なのか。
 ずっと何も語ろうとしなかったレンシアが、ようやく己の事を語った時、その腕の中には荷物袋があった。袋の中には、以前の冒険で手に入れ、彼女が所有権を主張した、真実の鏡が入っている。
 自分を贄にしようとした父が、実の父ではない事を証明するために、レンシアが真実の鏡を必要としたのなら――何にも代えがたい強い想いがそこにある気がして、セインは誰にも気付かれないよう、小さく微笑んだ。それはきっと、レンシアなりの愛情なのだろうと思ったのだ。
「逃げ出した頃の私では、敵うような相手じゃなかった。でも、今は違う」
 レンシアは立ち上がり、杖を握り締めると、暗く開いた洞窟の入口を、気丈な眼差しで睨みつけた。
「だから、今度こそ逃げない。今日、ここで、決着をつけるの」
 洞窟の奥には、レンシアがまがいものだと信じているオーディバルトが、兄リーゼルを捉えて居るはずだった。
 少し震える杖の先を眺め、セインは考える。一度は逃げた相手と対峙するために、どれほどの勇気が必要なのだろうと。セインは仲間たちと共に旅を続け、いくつもの仕事をこなし、充分に力のある戦士となった今でも、自分とアーシェリナを引き裂いたゴブリンと対峙する時、奇妙な緊張感に襲われる。負けるはずはない、相手が雑魚だと知っていても――だから、今レンシアが抱えるものは、もっとずっと、暗く淀んだ恐ろしいもののはずだと思うのだ。
 セインは肩に担いでいた武器を構える。その動きを見逃さなかったアークは、まるで跳ねるように元気よく立ち上がった。ロバートはため息ひとつこぼして、硬直するレンシアの背中をそっと叩く。
「相手がどれだけ強いか知らないが、お前は出会った時とは比べ物にならないほど、強くなってる。それに加えて俺たちがいるんだ。なんとかなるだろ」
 振り返ったレンシアの見開かれた瞳は乾いていたが、不思議と、今にも涙がこぼれ落ちそうに見えた。
「協力してくれるの?」
「なんでしないと思うんだ?」
「私は、今日まで、あんたたちを利用してただけだから」
 ロバートが肩をすくめ、セインに振り返るので、セインは小さく頷いてから、少女の緑灰色の瞳を見下ろして言った。
「俺もお前を利用している。これからも、利用させてもらうつもりだ。それで対等だろう」
 間髪入れず、アークが続けた。
「僕は師匠が行くとこならどこにでも行く。それが結果的に、レンシアに協力する事になったとしても、どうでもいいよ」
「俺は修行が目的だからな。正当なる戦いの場なら、導いてくれるのが誰だろうとかまわない」
 レンシアは三人を見回してから、顔を背けた。一度だけ、何か言いたげに口を開いたが、すぐに唇を引き締め、洞窟に向けて颯爽と歩きはじめる。
「何なんでしょう、レンシア」
 不満そうなアークが、セインに訊ねてきた。
「さあな。ありがとうとでも、言いたかったのかもしれんが」
「じゃあ素直に言えばいいのに」
「素直に礼を言うレンシアなんか気持ち悪いだけだよな、セイン」
 ロバートが笑いながら言うと、「確かに」と呟いて、アークは何度も頷いた。
 すると、前方から石が三つ、明らかに狙いを定めて飛んでくる。セインは軽く避けたが、ふたりはそれぞれ頭にぶつけ、小さな痛みを少しでもはやく消そうとさすりはじめた。
「私の話を私の居ないところで勝手にしないで。不愉快だから」
「なんだよ!」
 挑発されたアークが、レンシアのそばに駆けて行く。すぐに、幼い口論がはじまった。放っておけば、延々と続く事だろう。すぐにでも口が達者なレンシアが優位に立ち、アークが一方的に責められる形になるのだが、レンシアはそれでも止めないし、アークは上手い逃げかたをまだ知らない。
 緊張した空気を一瞬にして甘く愉快なものへと変えたふたりを見下ろしながら、セインは柔らかく微笑んだ。
「素直に礼など、言えないよな」
「言えないのか?」
 ひとりごとのつもりだったが、聞きつけたロバートが口を挟んでくる。
「俺が素直に礼を言った事などあったか?」
「ないな。言われてみれば。ま、それはそれで許してやるから、さっさかあのふたり止めて来いよ。俺はお手上げだから」
「俺は子守りか?」
「その才能はあると思うぞ」
 言って、ロバートが豪快に笑った。
 子供がいる事を教えていないはずだが、すでに見抜かれているような気がして、セインは肩を竦める。「仕方ないな」と呟きながら、レンシアとアークの間に割って入った。


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