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五章 episode1



「僕、立派な人になりたいんです」
 無数の星が輝く空の下、毛布を頭からかぶり、膝を抱えて縮こまるアークは、揺らめく炎を眺めながら語る。不思議な色の瞳が、朱と交わって、更なる複雑な色を作り出していた。
「僕自身や、家族のみんなが誇れる、強くて格好いい人になりたいって思って。だから、絶対に、師匠に弟子入りしたいんですよ!」
 またその話か。セインはため息に不満を込めて吐き出す。
 聞きたくもない話をいちいち聞いていられないし、明日に備えて早く眠ってしまいたいのだが、アークは目が冴えているのか、朝までにセインの心を動かそうと考えているのか、しきりに話しかけてくる。無視しても何の効果もないとようやく悟ったセインは、しかたなくアークと会話する事にした。
「俺くらいの戦士なら、少し大きな街に行けばいくらでもいる。一流の冒険者の腕は、こんなものではない」
 だいたい、そんなに急いで強くなる必要があるのだろうか。セインがアークくらいの年のころは、もっと、ずっと、弱かったように思う。力だけではなく、精神的にも。
 余裕などなく、周囲に抗う事もできず、傷付け、傷付けられ――自分自身にも、周囲の人にも、深い傷を残した。誰よりも大切な、あの人に。
 誰よりも綺麗な、あの人に。
「僕より強ければ、師匠として問題ないと思いますけど」
 セインは寝返りをうち、炎を背にする。毛布代わりの毛織の外套ごしに、温もりがじわりと伝わってきた。
「ひとつだけ教えてやる。強くなるために必要なのは、訓練だけではない」
「どう言う意味です?」
「俺が強くなろうと思ったのは、人を、あるいは自分の弱さを、恨んだからだ。強い想いがあったからこそ、訓練を続けられた。お前も、強くなりたいならば、まず恨んでみたらどうだ。お前を疎み、迫害した人間たちを。あるいは、生まれてくる子供が苦しむと判りきっていると言うのに結ばれた、身勝手な両親を」
 うーん、と小さく唸ってから、アークは答える。
「残念ですが、と言っていいのか判らないんですが、とりあえず、僕がハーフエルフに生まれてくる事、僕の両親は判りきっていなかったと思うんです。ふたりとも人間ですから」
 セインは上体を起こし、アークを見下ろした。
 取り換え子と呼ばれる、人間同士の夫婦の元に生まれてくるエルフやハーフエルフがいるとの話を、聞いた事はある。だがそれはあまりに稀で、今、この瞬間まで、物語の中だけの存在だと、セインは勝手に思っていたのだ。
 アークはセインの視線に気付いているのかいないのか、遠い夜空を見上げていた。慈しむようなその目に映るのは、生まれ育った村に置いてきた、家族だろうか?
「僕は何も悪い事をしていないのに、僕がハーフエルフだからって苛める人たちは、嫌いです。その人たちは恨めると思いますけど、でも、僕が強くなりたいのは、仕返しをしたいからじゃないんです。おじいちゃんが……おじいちゃんもハーフエルフなんですけど、僕に強くなれって言いました。弟たちを守れるようにって――守れるようになりたいって、思ったんです」
 違う、と、セインは咄嗟に思った。噛み合わないのだ。アークが語る言葉と、自分の感情が。
 何かが決定的に食い違っているせいでアークの言葉が理解できない事は判るのだが、その食い違っているものが何であるのか、セインには判らなかった。
「あの、ところで、師匠はどうして旅をしてるんですかーって、訊いてもいいですか?」
「なぜそんな事を訊く」
「興味があるだけです。なので、訊いてはいけない事なら、答えなくていいですよ」
 考えがまとまらずに動揺する頭でしばらく考えたセインは、あたりさわりのない答えで返す事しかできなかった。
「人を探している」
 どんな人物を探しているかは語る気にならず、セインは再び横になり、目を伏せる。すぐに瞼の裏に、ひとりの少女と、少女の腕に抱かれる赤子の姿が蘇った。
 アーシェリナは、ソフィアは、今頃どこにいて、何をしているのだろうか。セインが思い出せる面影から、ずいぶん変わっているのだろう。ソフィアは大きくなって、とっくに喋れるようになっているだろうし、ひとりで駆け回る事もできるのだろう。アーシェリナはより女性としての輝きを増しているのだろう。
 生き別れてからこちら、ラキシエルと旅を続ける中で、アーシェリナたちの目撃情報を入手する機会は幾度かあった。よく似た、仲の良い母子で、見ていて微笑ましいと、皆が話していた。もうひとり、剣士である女性と行動を共にしており、彼女とも仲良くやっているようだ、とも。
 俺のいない生活があたりまえになって、もう、俺の事を忘れてしまっただろうか?
 それならばそれで良いと、セインは思っていた。そうして、ふたりが幸せになってくれるならば。
 アーシェリナならば、自分よりもずっといい男が見つかるだろう、とセインは思う。自分はアーシェリナを傷付ける事しかできないから、離れた方が良いとも。ソフィアとて、物心つかない頃に別れた父親の事など、覚えていないだろう。いいのだ。忘れてくれていいのだ。そうしてふたりが、幸せになってくれるならば。
 セインがふたりを探し続けているのは、三人で家族としてやりなおそうと思っているからではない。ふたりが幸せに生きているか、この先も幸せになれる生き方をしているか、自身の目で確かめるためだ。確かめて、アーシェリナたちの幸せのために、自分の存在が邪魔になるならば、ふたりの前から永遠に姿を消そうと考えていた。
 だが、もし。もしもふたりが、セインが共にある未来を求めてくれるのならば。
 ありえない望み抱くのはやめようと、セインは自嘲気味に笑う。望んだものが手に入ったためしなど、ほとんどない。期待するだけ失った時の衝撃が大きい事も知っている。夢を見て苦しむのは、自分だ。
 もしかすると、ソフィアは自分を恨んでいるかもしれないと、セインはときおり考える事がある。なぜなら、自分が心の底で、親を恨んでいるからだった。親がしっかりしていれば、今の自分には考えられないほどの贅沢をして、豪華な世界に身を置き、優雅に暮らしていたに違いない。奴隷などに身を落とす事なく――ああそうだ、もし自分が、母リュシカの面差しを受け継いで産まれてこなければ、あんなおぞましい事件は起こらなかっただろう。今ではもう、ほとんど思い出す事はなくなっているけれど――とにかく、自分がしている事は、別の形で返ってきてしまうのだろうと、セインは思うのだった。
「お前、は」
「はい?」
 返事をするアークの声は、驚いているのか、少し上ずっていた。あまりにも沈黙が長かったので、セインはもう寝ていると思ったのかもしれない。
「両親を恨んだ事はないのか? お前をハーフエルフに産んだ事に」
 アークはしばらく考え込んでから返事をした。
「そういう考え方も、あるんだろうなあとは思います。もし両親が、選んで僕をハーフエルフに産んだのなら、恨んだかもしれません。でも、それが違うって判っているし……両親は、僕の事をすごく大切にしてくれたんです。ふつう、子供が取替え子として産まれたら、虐待したり、捨てたりするものなんでしょう? でも僕の両親は、僕を守ってくれた。だから、恨んだ事はないです」
 アークは小さく微笑んだ。それはあまりに幸せそうで、セインは少しだけ、泣きたい気持ちになった。
「僕は大好きです。両親も、おじいちゃんも、弟たちも」
 だから強くなりたいのだと、好きなのだと、守りたいのだと、温かな想いが空気を介して伝わってくる。
 ようやくセインは理解した。何が噛み合わなかったのかを。
 アークは強いのだ。自分にとって何が大切なのか、はっきりと見極められているから。
 自分は弱すぎるのだ。恨みに押しつぶされて、大切な人を見失い、傷付けてしまった。
 それなのに、アークがセインに弟子入りしたいなどと――もはや、笑い話でしかない。
「もう、寝る」
「そうですか。お休みなさい、師匠」
 セインはそれきりアークと会話を交わす事なく、静かに目を伏せた。早く眠りにつき、ひとりの世界に逃げ込みたいと思ったからだ。
 薪が燃える音すらわずらわしく感じるほど気が立っていたが、アークとのやりとりに疲れていた事が幸いして、セインの意識はすぐに闇の中に落ちた。


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