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五章 episode1



 アークと名乗った少年は、どうやらめげるとか、諦めるとか、遠慮するといった感覚を、どこかに置き忘れてきたらしい。セインが簡潔に、率直に、冷たく断ったあとも、落ち込む様子を微塵も見せず、隙あらば同じ問いを繰り返すのだった。
「で、僕を弟子にする気になりました?」
 セインの半歩後ろを歩き、下からセインの顔を覗き込みながら、少年は言う。
「何度も言わせるな。俺は弟子を取る気など微塵もない」
 セインは心底うんざりしていた。窮地から救っただけでは意味がないかと、アークを故郷の村まで送ってやる事にしたのだが、大して時間が過ぎていないはずだと言うのに、このやりとりはすでに十回を越えている。
 おそらくアークは、村に辿り着くまでの間に、何とかしてセインの了承を得ようとしているのだろう。つまり、アークと共に居る限り、この問答が続くと言う事だ。すでに飽きている状態なのだが、彼を無事に送り届けるまで、耐えられるだろうか?
「せっかく強いんですから、その技を誰かに引き継がないと、もったいないですよ、師匠」
「勝手に師匠と呼ぶな」
「判りました、師匠!」
 言ってアークは、不慣れな、けれど真剣な想いを込めた様子で、敬礼した。
 悪気はないのだろう。それは見れば判る。だからと言って我慢できる事ではなかったし、彼の望みを受け入れようとは思えなかった。
 思い出すのは、アークと同じ年頃だった自分だ。偉そうな態度で弟子入りし、リュクセルからあらゆる武術を習っていた頃――あの頃のリュクセルも、今のセインと同じように、内心では疎ましがっていたのだろうか。あの男の心中など知った事ではないし、嫌がっていたとしてもざまあみろと思うだけだが。
「あ、もう陽がずいぶん傾いてますね。そろそろ、野営の準備をはじめたほうがいいんじゃないですか?」
 アークは橙色に染まりはじめた空を指し示した。
 確かにアークが言う通りだ。少なくとも、暗くなる前に火を起こしたほうがいいだろう。セインは道の傍らに、ちょっとした広場のような場所を見つけると、荷物を置いた。かつてこの道を通った旅人も、ここで一晩を過ごしたのだろう。薪の燃えかすが少し残っている。
「あ、食事は僕に任せてくださいね! 僕、料理は得意なんですよ」
 セインの隣に荷物を置いたアークは、楽しそうに鼻歌を交えながら、持ち手のついた小さめの鍋を取り出した。どうやら彼は、簡単な調理道具を持ち歩いているらしい。
「おい」
「何です?」
「お前の村は本当にこの方向でいいのか? もう、ずいぶん歩いているぞ。とてもお前がひとりであそこまで行けたとは思えないが」
「あれ? 師匠って、意外と素直なんですね」
 アークはセインに振り返り、大きな目をより大きくして見つめてきたかと思うと、邪気のない笑顔を浮かべた。
「嘘ですよ。僕の村は、まったくの反対方向にあるんです。ですから、かなり遠くまで来てしまいました」
 咄嗟に拳を握りしめたセインだが、それをアークに叩きつけはしなかった。衝動的に殴り飛ばしたくなったが、理性で耐えたのである。
 セインは自分が、大の大人の中でも怪力と言って過言ではないほどの力の持ち主だと自覚していて、この拳で下手をすれば人が殺せるとも判っていて、アークのように細身の少年ならそれこそ一撃だと理解していた。していたが、それでも、この状況で理性が上回った自分を褒めてやりたい気になるくらい、腹を立てていた。
 ここで我慢してしまうからこそ、アークは調子に乗るのだろうか? もしかするとアークは、自分の幼さや弱さを、武器として利用しているのかもしれない。彼が成人男性だったら、あるいはもう少し頼もしい外見をしていたら、セインは彼を村まで送り届けてやろうとは思わなかっただろうし、少なくとも今、殴る事を躊躇しなかっただろう。
「そうだな。無条件に他人を信用した俺が馬鹿だった。できるだけ早く、お前を突き放す事にしよう」
「えー!」
「安心しろ。勉強代として、夜が明けるまでは一緒に居てやる。人里まで送ってほしければ、さっさと食事の準備でもするんだな」
「けっこう、人使い荒いんですね」
 いかにも不満げに呟いたアークだが、彼は素直に、夕食の準備をはじめた。
 準備と言っても、材料が豊富にあるわけではない。持ち歩いている干し肉や、あたりに生えている山菜がせいぜいだ。しかしアークが、それらの材料に持ち歩いているいくらかの調味料加えて作ったスープは、道端で食べられるものとは到底思えないほど、香り高いものだった。
 硬いパンを浸して食べると、良いのは香りだけではない事が判る。素直においしいと言える味だった。ほんのりとした塩味が、具材の味を引き立て、胃の奥から心まで満たしてくれるような気がする。
「おいしいでしょう?」
 と、アークは問うてきたが、素直に答える気にはならなかったので、セインは無言で食事を続けた。食べ続けると言う態度で、アークは感想を受け取った気になるかもしれないが、そこまで気にしていられない。
「粗末な材料でも、上手く調理すれば、豪華な料理に負けないって事ですよね」
 アークは自身もスープをすすり、味に満足したのか、ひとつ頷く。
「師匠、僕ね、料理に限らず、家事全般得意なんですよ? なんたって、五人の弟妹を四年間も面倒みてきましたからね。ほら、僕を連れて行ったほうが特なんじゃないかって、思いはじめてきてません?」
「家に帰って、これからも弟妹の面倒を見てやったらどうだ」
「いやだなあ、師匠ってば。必要ないから出てきたのに、今更戻れるわけないじゃないですか」
 何やら、聞き捨てならない事を耳にした気がする。セインは食事を進める手を止め、一度アークを見つめたが、あまりにも不躾すぎたかと、すぐにまた食事に戻った。
 忘れていた。彼は、人間からもエルフからも迫害される存在、ハーフエルフなのだ。まだ十数年しか過ごしていないはずの人生だが、多くの事情があったのだろう。
「すみません。今、気を使わせちゃいましたよね。そんな、気にする事じゃないんですよ。家族に苛められて育ったわけじゃないんです。家事全般やっていたのだって、単純に家族が多くて忙しいから手伝っていただけですし。今だって、家族に捨てられたとか、追い出されたとかじゃないんです。僕が、僕自身の意志で出てきただけで」
 慌てて説明するアークの姿から、自分のとった態度がどれほど気が利いてなかったかを教えられた気がして、セインは少し気恥ずかしくなった。
「師匠は、不思議な人ですね」
「どこがだ」
「だって、師匠は、僕に同情してないですもん」
 アークは年齢の割に落ちついた、寂しさすら感じさせる笑みを浮かべながら、両手を差し出してくる。セインが、いつの間にか空になっていた器を渡すと、すかさずおかわりをついでくれた。
「僕が今まで出会ってきた人のほとんどは、僕をはじめて見た時、ハーフエルフだーって、嫌がりました。そうじゃない人たちは、可哀想にね、とか言って、すっごく優しくしてくれました。どっちでもなかった人は、師匠がはじめてのような気がします」
 アークの笑顔が、笑顔が底抜けに明るいものへと変わる。
「だから、嬉しくて」
 セインは何も答えられず、奪い取るように器を受け取ると、アークから顔を反らし、食事を再開した。アークが喜ぶような事をしたつもりはないが、否定する事はできなかったし、アークの笑顔を曇らせる事にも意味を見出せなかったので、そうして無言を貫く事しかできなかった。
 同情しなかったと言う事実がそのまま、哀れまなかったに繋がるわけではない。アークがハーフエルフだと気付いた時、セインは確かに、アークを哀れんだ。それが、彼が今まで出会ってきた人々に比べて軽度で、ほとんど態度に出なかったのは、最も哀れむべき別の人物が、常に自分に一番近いところに居るからにすぎない――あたりまえだ。自分自身なのだから。
 そんな事を、説明できるわけがなかった。自分がなぜ可哀想かなんて、知られたくないに決まっている。


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