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四章外伝

20

 荷物とエルディを荷台に乗せた馬車で次の町に辿り着くと、そこではマルクスたちが待っていた。彼らはエルディの帰還を泣いて喜び、ついでに荷物にも特に被害がないと知ると、シーラたちに繰り返し謝辞を述べる。
 一度は荷物を奪われた事、命に別状はないとは言えエルディに大怪我を負わせた事を、シーラたちが謝罪すると、「とんでもない。全員生きて次の町にこれただけでも奇跡だよ」と、言って笑ってくれた。それどころか、「危険な道を通ったせいで、あんたたちに迷惑かけちまったな」と謝ってくれたのだ。
 優しい人たちだ。
 この温かさこそが、エルディが手放しがたいと思っている大切なものなのだろう。
 だが、その絆を断ち切る事こそがシーラの任務で、とりあえず一晩休んだ次の日の朝、シーラはエルディやマルクスを個室に呼び出し、事情を説明した。
 マルクスに話せない事はいくつもあった。それでも、長い話になった。その間マルクスは、ただ黙ってシーラの話に耳を傾けてくれた。
「そうか」
 マルクスがようやく声を出したのは、シーラが説明を終えた後だ。前のめりになっていた体勢を崩し、背もたれに体重を預けると、長い息を吐く。
「良かったじゃないか、エルディ。本当の親が判って。こうして、立派な人を迎えによこしてくれるほどに、必要とされていて」
 呟く事で自身を納得させるマルクスの姿は寂しげで、シーラは目をそむける。少しだけ、胸が痛んだ。
「立派な人、ねぇ……」
 エルディはマルクスの目に映らないよう嫌味たらしく笑いながら、シーラを見つめた。当然、目は笑っていない。
 言いたい事が沢山あるだろうエルディが、嫌味だけで済ませているのは、エルディが本当は王子である事やシーラが騎士である事をマルクスに伝えるべきではないと、彼自身が判断したからだ。故に、エルディが親元に戻ると決めた直接の原因も話せないため、はっきり文句を言えないのである。
 だが、と、シーラは思う。真実を知らなければ、マルクスは、長年育ててきた血の繋がらない息子に、捨てられたような気にならないだろうか。いや、すでになっているのではなかろうか。だから、あんなにも寂しそうなのでは?
 マルクスたちならば今後ベルダインまで足を伸ばす可能性がある。ベルダインまで来てしまえば、エルディの正体を気付かれる可能性は高いだろう。だからシーラは、マルクスくらいには真実を告げてもかまわないのでは、と思っているのだが、今朝その旨を伝えたところ、エルディは断固として反対した。シーラを見る目は疑いと怒りに満ちていて、まるでシーラが、マルクスが真実を知った瞬間殺すとでも思っているかのようだった。
 もっとも、エルディの心配も、あながち間違ってはいないのかもしれない。もしマルクスが、エルディの育ての親である立場を利用しようとしたら。それがやがて、重く、深く、ベルダインに喰らいつき、悪影響を与える可能性があるとすれば、シーラは迷わずマルクスを切るだろう。
 シーラはただ知っているだけのマルクスを始末するつもりはなかったが、自分がエルディにした事を考えれば、エルディがどれほどシーラを疑っても、仕方のない事だと思うのだった――その疑いのために、エルディが自ら憎まれ役を買って出る事は、少し悲しく思ったが。
「私たちは、明日、出発するつもりです」
「あ、そ、そうか。じゃあ、急いで報酬用意しないとな」
 マルクスは慌てて立ち上がり、人を呼ぼうとした。
「いえ。それは結構です。今回、私たちの仕事が成功したとは言いがたいですし」
「充分成功しただろう」
「それに、エルディ……様をお守りした事は、別途報酬をいただく必要のない、私の本来の仕事です」
 金で解決できる問題ではない。だが、言葉だけでなく、何か形になるものでも、謝罪したかった。今の自分に渡せるものは、わずかばかりの金でしかないが、それでも、何かしたかったのだ。
 シーラは頑として受け取らず、部屋を出た。今日まで親子であったふたりが、最後に何を話すのか、最後の夜をどのように過ごすのか――とにかく、シーラにできるのは、ふたりの時間を邪魔しない事だった。

 マルクスたちはエルディの旅立ちを、温かく見送ってくれた。エルディの背中が見えなくなるまで手を振り続けるつもりだろうかと思うほど、振り返るたびに、全員が手を振ってくれていた。
「申し訳ございません。エルディラーン様」
 だからシーラは、エルディのかつての家族が見えなくなった時、思わずそう口にしたのだが、いたたまれないあまり呟くように小さくなってしまった謝罪は、豪快な笑い声でかき消えてしまった。
「なんで小さくなってんだよ、らしくねえ。ってか、気持ち悪いな」
「ですが……」
「お前はお前の役割に従っただけ、俺はこうなる運命の元に生まれてきただけ、だろ。気にする事じゃねえんだろうよ。俺もお前も」
 見上げると、明るい笑顔がそこにあった。昨日までは、青年がシーラを見る目には必ず暗い輝きが秘められていたと言うのに、今はそれがない。真実を知る前の彼が見せていた、何も考えていないのではないかと心配になるほどに、一片の影もささない笑みだ。
 ああ。
 この人も、強いのだ。
 その性質は、まるで、青空の中にある眩しい太陽と、夜空に静かにたたずむ月のように、エルリックとは正反対だけれど。
 エルディの事をエルリックは、「お前の望むものになりえる」と語った。シーラはその言葉を、今はじめて、少しだけ、理解したような気がした。
「ま、こうなったからには、立場も、お前ですらも、俺に都合よく利用してやるからな。それくらいしないと、俺が損しっぱなしだ」
「すべては、エルディラーン様のお望みのままに」
「よーし、よく言った。じゃ、手はじめに……」
 エルディは軽い足取りで、ソフィアと共に数歩先を行くアーシェリナの横に並ぶと、彼女の肩に腕を回し、軽く引き寄せる。
 母との語らいの邪魔をされていい気がしないのか、ソフィアが不満を訴えエルディの太腿あたりを殴ったが、エルディは涼しい顔をして無視をした。
「俺、王子様なんだってよ。だから、あんたに好きなだけ贅沢させてやれるぜ? だからいいかげん、俺に決めねぇ?」
 まさか、立場をいきなりくどき文句に使うとは思わなかったシーラは、口をはさもうとした。しかしすぐに思いなおし、のばしかけた手を引っ込める。
 その程度で、他の女ならばともかく、アーシェリナを口説けるわけがない。
「ごめんなさい。贅沢に興味はないの。昔、ちょっとした事があるのだけれど、あまりおもしろくなかったもの」
 そして、お決まりの言葉が続くのだ。
「貴方はセインではないしね」
 可憐に微笑み、アーシェリナはエルディの腕から逃れる。
 エルディは行き場を失った手で頭を支え、盛大なため息を吐いた。
「なんでかねえ。そのセインって男、顔は俺と同じなんだろ? じゃあいいじゃん」
「あら。セインのいいところは、顔だけではないのよ」
「顔以外が俺以上だって? 信じられねーな。一度見てみてぇ」
「ああ、そうね」
 アーシェリナは大きく頷く。
「貴方は、会ったほうがいいかもしれない」
「なんで」
「だってセインは、貴方の事を知っているかもしれないもの。預けられて大切に育てられるはずだった貴方が、捨てられていた理由を――知らないか、昔の事すぎて覚えていないかもしれないから、無理して会う必要はないのでしょうけど」
 緩やかに風が吹きはじめた。
 長い髪を片手で押さえながら、アーシェリナはシーラに振り返る。
「シーラ、私、ようやく、貴女がよく話を聞かせてくれたベルダインに行けるのね。とても楽しみよ」
「おや。興味を持ってくれていたのか。知らなかった」
「だって、言ったら貴女、困ったでしょう? エルディを見つけるまでは絶対に帰れないんだから。だから、我慢していたの」
 一瞬だけ華やかな笑みを見せたあと、アーシェリナは前を向く。彼女の目には、青い空と、長く続く道が映っているのだろう。
 そうだ。ようやく戻れるのだ。生まれ育った故郷に。主の命を果たし、胸を張って堂々と。
 懐かしさがこみ上げるあまり、涙が出そうになったシーラは、一度足を止め、首を傾け、真上を見上げる。鮮やかな青ばかりが、眼前に広がった。
 清々しい気分だった。自然と、笑みがこぼれる。
「帰ろう」
 そうだ、帰ろう。愛らしい主が待つ国へ。
 帰ろう。愛しい思い出が待つ場所へ――


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