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四章外伝

18

 水が蓄えられた樽はすぐに見つかり、血や埃にまみれた手を清潔にしたシーラは、ついでに近くの棚に乱雑に保管されていた治療道具を失敬し、外に出た。
 失血が進んでいるせいだろう、エルディの顔色は青みをましている。しかしその表情は、まんざらでもなさそうだった。アーシェリナが、膝を枕として提供し、にじみ出る汗を献身的に拭うなど、珍しく真剣にエルディの相手しているからかもしれない。シーラが戻った事に気付いたエルディが、やや残念そうな顔をした時、シーラはこのまま放置して見殺しにしてやろうかと、少し考えてしまった。
「アーシェリナ殿、そこまで優しく面倒をみてやる必要はないのだぞ」
「でも、命の恩人かもしれないから」
 そうかもしれなかった。あの時、エルディが守ってくれなければ――アーシェリナでは、男の刃を避ける事はできなかっただろう。もしアーシェリナが直撃を受けていたとすればどうなったか、別の未来を進んだ今となっては判らないが、命を落としていた可能性もある。
「この男が調子にのらなければ、そのくらいしてやってもいいのだがなあ」
 文句を言いつつも、エルディに対し罪悪感と恩を抱いている事は確かで、シーラは黙々と治療をする事にした。治療と言っても、シーラにできる事は簡単な応急手当のみだ。傷を洗い、切り傷にきくと評判の薬を塗り、山賊たちの治療道具から失敬した包帯でぐるぐる巻きにする。それから湯を沸かし、山賊たちが保存していた鎮痛や熱さましにきく薬草を使って薬湯をつくり、飲ませてやった。
 その間アーシェリナは、洞窟内から寝藁や布を持ち出して、簡易的な寝床を作る。手当を終えたエルディに、「しばらくここで寝ていてね」と言うと、エルディは「あんたの膝のが良かったなあ」と返してきたが、それは笑顔で無視していた。
「では、私たちは盗まれた荷物を回収してくる。その間お前は休んでいろ」
「その前に、貴女も着替えとか、体拭いたりしたほうがいいんじゃない? 剣の手入れとか」
「……それもそうだな」
 アーシェリナは笑顔で頷き、エルディに振り返った。
「とりあえず私たちは洞窟の中に入るから、私の使い魔を置いていくわね。私も気を付けるけど、何かあったらすぐに呼んで」
「あんたにそばにいて欲しい、とか言ったら、帰ってきてくれんのか?」
「いいえ。実は刃に毒が含まれていて急に体調が悪くなったとか、外に出ていた山賊の仲間が帰ってきたとか、そう言う、危険を感じた時だけね」
 まったく揺らがないアーシェリナの態度に、小さく苦笑を浮かべてから、エルディは手を上げた。行ってこい、と送り出してくれているのだろう。
 アーシェリナの言う通り、身づくろいをしてから、シーラたちは洞窟内の探索をはじめた。中は思っていたよりも広かった。シーラたちが捕らえられていた部屋の奥、山賊たちが集まっていた大広間は、詰め込めば五十人くらいは入れそうなほどであったし、その奥にいくつか扉があった。片っ端からあけてみると、ほとんどは住居として使っている事が判った。内装から予想するに、狭い部屋は幹部級の者たちの私室で、下っ端たちは一番大きな部屋でまとめて寝ているのだろう。
 一番厳重に鍵をかけられている部屋が宝物庫のようで、宝飾品だの絵画だの絨毯だのと言った、判りやすい商品は、全てその部屋に収められていた。品定めの最中だったのか、広間に落ちていたいくつかの品物を集めれば、おそらく、奪われた荷物は全て回収できるだろう。
 奪われたもの以外にも、それなりの財宝がありそうだった。山賊たちに襲われた人々に返せばそれなりの報奨金がもらえるだろうし、持ち主がいなければ、シーラたちの収入にできる。可能な限り持ち帰ろうと決め、シーラたちは荷物の運び出しをはじめた。
 奪われた馬車やシーラの愛馬は、住居となっている洞窟から少し離れたところにある、小さな洞窟の中に繋がれていた。他にも、山賊たちのものだろう馬が何匹か繋がれていたか、全部を連れていくのは難しい。とりあえず飢え死にしないよう、解放してやる事にした。そうしても、飼い葉や水がたっぷりあるから、しばらくここに留まるかもしれないが、シーラはどこか町に突いたら、山賊の事を報告するつもりだった。そうすれば、官憲か誰かがここに来て、馬たちを連れて行くだろう。
 馬車を洞窟の入口につけ、シーラとアーシェリナは荷物を積み込みはじめた。そうすると、やはり気になるらしい。鈍い動作でエルディが起き上がる。
「単純な力仕事なら、手伝うぞ」
 応急手当が良かったのか、少し休んだのが良かったのか、エルディの顔色がいくらか良くなっていて、シーラは胸を撫で下ろす。
「そうして欲しいところだが、傷口が開かれると迷惑だ。寝てろ」
「冷たいな」
「私なりの労わりだ。これでも、護衛対象を二度もぼろぼろにした事を、申し訳なく思ってるんだぞ」
「はいはい。そーゆー事にしておいてやるよ」
 シーラは一度荷運びの手を休め、エルディのそばに屈みこんだ。
「貴方を守れなかった事は事実だ。私たちは仕事を完遂できなかった。報酬の後金は辞退させてもらう。それが私たちにできる、せめてもの侘びだ」
「そこまでしなくていいんじゃねえの? 俺は生きてるし、荷物もちゃんと帰ってくるんだし」
「いや、させてくれ。山賊団を壊滅させた事で、他に臨時収入も入りそうだし」
「なんだ、そう言う事か」
「そちらの収入のいくらかも、貴方に渡す。貴方は、協力者だからな」
「まあ、貰えるもんは貰うけど」
 エルディは視線をずらし、ふたりの様子を伺っているアーシェリナを見つめた。
「俺は金よりアーシェリナが欲しいなあ」
 少し離れたアーシェリナにも聞こえるよう、大きめの声でエルディは言ったが、
「駄目よ」
 と応えながらアーシェリナは、極上の笑みを浮かべるのだった。彼女はそれ以上何も言わなかったが、「貴方はセインではないもの」と、シーラは聞いた気がした。おそらく、エルディも同様に幻聴を聞いたのだろう。諦めて話題を切り替えた。
「そうだ。お宝の中にさ、指輪、あったら、教えてくれるか?」
「どさくさに紛れて懐に忍ばせる気か?」
「違うって。俺の指輪、なくなってんだよ。山賊たちが取ったなら、あるんじゃないかと思ってな」
「指輪なら、いくつかあったわよ?」
 ちょうど馬車に運び込んだばかりだったのか、アーシェリナは馬車の中に手を伸ばすと、すぐに小さな箱を取り出して、エルディの眼前に持ってくる。ふたを開けると、六つの指輪が納まっていた。
 細身でひとつぶの金剛石がはまっているものや、色とりどりの小さな宝石が並んで埋め込まれているもの、男性用、女性用……それぞれに魅力ある指輪の中で、シーラはたったひとつに目を止めた。
 ひと目で年代ものとわかる金製の指輪だ。中心に乳白色の石がはめ込まれた台座部分には、複雑な細工がされている。その細工に、シーラは見覚えがあった。
 シーラの愛剣に刻まれた紋章によく似ている――いや、逆だ。騎士団の紋章が、指輪に細工された紋章に似ているのだ。騎士団の紋章は、王家の紋章を守るように剣と盾があしらわれていていて、王家の忠実なる剣となり盾になるのだとの、騎士たちの誓いが込められているのだ。
「あ、これこれ」
 エルディが手に取ったのは、まさに今シーラが注視していた指輪だった。
 シーラは目を見開き、息を飲んだ。
 王家の紋章が刻まれた指輪の持ち主が、ここに居る。その事実は、シーラが一度抱き、消し去っていた疑惑を、再び呼び戻した。いや、呼び戻すだけではすまない。ありえないと流した結論の方こそ正しかったのだと、シーラに示したのだった。
「そんな睨むなよ。でも、似てるだろ? あんたの剣にある紋章とさ。だからさっき、何の紋章か訊いたんだ。それが判れば、俺の出生も判るかもなって思ってさ」
 エルディは指輪を強く握り込んだ。
「知ったからどうするってわけじゃなくてさ。ただ、知るべきだと思ったんだ。自分が何者で、どんな親が居るか知って……その上で俺は、あのくそ親父の息子として生きたいと思ったんだよ」
 シーラは何も返せなかった。何か言おうと口を開きかけたが、乾いた喉の奥から声を引き出す事ができなかった。
 何か言いたそうに、アーシェリナがシーラの袖を引く。彼女も気付いたのだろう。エルディが何者で、シーラがなぜ硬直するほど動揺しているのか。
 気持ちに影がさし、シーラは目を伏せる。悲しかったのは、エルディが探し人だったからではなく、彼の心を知ってしまったからだった。エルディはエルディなりの形で今の父親を愛し、息子である事を誇りとしている。自分を家族として受け入れなかった本当の親を見つけ、それと決別する事によって、誇りを貫こうとしている。そう、感じてしまったからだ。
 尊い心だと思う。好ましい事だとも。だからこそシーラは、彼の心を認めて自由にしてやる事が、けしてできない自分に、息苦しさを感じていた。
 他の指輪を手に取ってくれていれば、と思う。そうであれば、シーラは指輪ひとつだけを手に、国に戻ればすんだのだ。探し人は山賊に命を奪われたのだと言う、悲しい報告と共に。
「貴方の……母君は、亡くなっております。父君はご存命です」
 エルディは首を傾け、奇妙なものを観察する目つきで、シーラを見上げた。
「なんだよ、いきなりかしこまって」
「双子の兄君は五年前にご病気で亡くなり……そして私は、貴方の妹君である、エリーシア・カーナニス様の密命を受け、今日まで旅を続けていたのです」
「……カーナニス?」
 エルディの眉がより、眉間に皺が刻まれる。
「カーナニスって、確か、ベルダインの」
「はい。この指輪に刻まれた紋章は、ベルダイン王家の紋章。貴方は本来ならばベルダインの王太子となられるべき、エルディラーン・カーナニス様なのです」
 シーラは跪き、深く頭を下げ、続けた。
「殿下。どうか、私と共にベルダインにお帰りください」


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