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四章外伝

17

 三人はできる限り足音をひそめて部屋を出ると、丁字路まで進んだ。
 アーシェリナの言う通り、右手の少し奥まったところから、多くの男たちが騒ぐ声が聞こえる。かなりの人数を切り捨てたはずだと言うのまだそんなにも残っているのかと嫌気がさす反面、それだけの男たちが騒いでいれば、自分たちが多少音を出したくらいでは気付かれないだろうとの安心感があった。
 シーラは丁字路の中心に集めた布を積み上げると、ランタン用に持っていた油を染み込ませるようにまいた。そして、少しずつ油を引きながら、出口に続く通路を進む。
 ありったけの油を使いきったが、それでも出口には届かなかった。だが、山賊たちからはずいぶん離れたので、充分だろう。シーラはアーシェリナに目で合図した後、とっとと出ていけとばかりにエルディの背を押した。
 アーシェリナは一歩ずつ丁寧に歩き、距離を測る。油で引いた線の終わりから、魔法が届く限界まで離れると振り返り、詠唱をはじめた。
 短い詠唱で生まれた力は、小さな火を生む程度のものだったが、シーラがまいた油を燃え上がらせるには充分だった。着火と共に火は油の線を走り、積み上げた油まみれの衣服まで届くと、勢いよく燃え上がった。
 三人は火と逆方向に走る。こうなってしまえば、忍ぶ事に意味はないので、派手に音を立てながら全力で走った。
 入口に立っている見張りはひとりだった。少年と言っていいほどに若く、雰囲気や体さばきからして明らかに下っ端だ。足が遅いアーシェリナを置いて先に入口に辿りついたシーラは、突然の事に驚き戸惑う見張りに、遠慮のない一撃を繰り出す。少し踏み込みが浅かったようで、絶命させるにいたらず、もう一撃、と構えなおしたところで、別の一撃が見張りを襲った。シーラの後ろから飛び込んできたエルディだった。
「ようやく役に立ったな」
「本来なら、役に立たなくても許される立場だろ、俺は!」
 まったくその通りで、シーラは笑いながら、見張りの男を探り、鍵を見つける。そうして入口の扉を開け、エルディやようやく追いついてきたアーシェリナを通すと、自身も外に出て、再び扉を閉めた。
 鍵を閉め、背中で扉を押さえる。扉の向こうからは、すでに複数の足音が聞こえてきていた。だが、アーシェリナの詠唱はすでにはじまっている。これならば、間に合う――
『大いなるマナよ、力ある鍵を』
 扉の内側から取っ手に手がかかるとほぼ同時に、魔法の鍵がかかる。中に居る山賊のうちの誰かが、鍵穴に鍵を差し込んだのは、その直後だった。
 扉にかかっているのは魔法の鍵だ。もはや正規の鍵には何の意味もない。開けるには、アーシェリナが定めた合言葉を口にするか、開錠の魔法を使うしかなく、どちらも不可能な山賊たちは、扉に体当たりをはじめた。
 厚い木の扉に人の体がぶつかる重い音が、空しく響く。
「荷物、燃えたりしないか?」
「あのくらいの火種なら、大丈夫だ。私たちの目的は燃やす事でなく、やつらをいぶす事だからな。出口がひとつしかない洞窟内で予定外の火が起これば、飛び出してくるだろうと予想して」
「もう火は消えているでしょうけどね」
「それでいいのか?」
「いいのよ。火はきっかけ。火を起こしたのが私たちで、すでに脱出していると気付けば、私たちを追いかけて、出てくるでしょう? 私たちは、この状況を作りたかっただけ」
 アーシェリナが、シーラが、扉から距離をあけるために歩き出すと、エルディも同じように扉から離れた。
「この状況って?」
「狭い通路を利用して、私やエルディが山賊たちに近寄られず、シーラが戦える状況を、よ――まあ、本当は、彼らがたまっていた部屋に近付いて、私が魔法を一、二発打ち込んだあと、通路を利用して戦ったほうが楽だったかもしれないけど、それはさすがに、荷物がどうなるか判らなかったから」
 エルディは降参を示そうとしたのか、軽く両手を上げた。
「そろそろかしら」
 扉に振り返り、アーシェリナは胸の前で杖を掲げる。
「いかに鍵が強固でも、扉自体がもろければどうしようもないな」
「ええ、でも、まとまって出てきてくれれば、充分だから」
 体当たりする音が、少しずつ変わってきていた。扉が軋むたびに、いかにも弱々しいちょうつがいのあげる悲鳴が、徐々に大きくなっていく。
 すう、と、アーシェリナの目が細まった。次の術を使うために、意識を集中しているのだ。
 電撃を呼ぶための詠唱は、ちょうつがいがはじけとび、倒れる扉の向こうから、山賊たちが溢れだすのと同時にはじまり、彼らが体勢を修正するよりも前に終わった。
 眩い電撃が真っ直ぐに走り、山賊たちを焼いた。野太い悲鳴を聞くのは、今日何度目だろう。
 感心しているのか、怯えているのか、判断のつかない間抜けな顔で、エルディはアーシェリナを見下ろしている。しかしアーシェリナはその視線に応じず――気付いてすらいないのかもしれない――次の詠唱の準備をはじめていた。
「油断するなよ、エルディ。奥に隠れている奴に電撃は届いていないし、そもそも、あの雷撃を食らっても生きている奴はいる」
「あんたら……強いって言うか、ためらいってもんがないんだな。戦う事に対して」
「そうでもないぞ。私は多少、ためらう事がある。アーシェリナ殿はないだろうが」
 シーラは静かに剣を抜き、エルディに見せつけるように、にやりと笑った。
「奴らがセインでない限りは、な」
 二発目の雷が走る。それが合図のように、シーラは山賊たちに向き直った。
 シーラたちから目に見える位置に立っている山賊たちは、今は全て地に倒れ伏している。額に汗するアーシェリナが、長く吐き出した息の中から達成感を感じ取ったシーラは、アーシェリナを背中にかばう位置に立った。
「ごめんなさい。大きい魔法は、あともう一回で限界」
「いやいや、充分過ぎるほどだ。あとは私に任せてくれ」
「できるかぎり援護するわ。簡単な防護の魔法や、付与の魔法なら、持っている魔晶石でなんとかできるから」
 洞窟の中で、ゆらりと動く影が見えた。
 積みあがる遺体を乗り越え、現れた影は五つ。かもしだす空気が、今まで相手にしてきた者たちと少し違っていた。おそらく、隊長格、あるいは首領格だろう。
『爆炎よ来たれ、熱風よ、わが障害を打ち払え』
 アーシェリナが最後の力を振り絞って素早く詠唱すると、山賊たちを中心に爆炎が起こる。
 肉や土が焼ける匂い、砕ける音、熱い風が流れの中、シーラは飛び出した。たちこめる煙が晴れるよりもはやく。
「なっ……」
 ひとりの男は、まともな悲鳴を上げる間もなく絶命した。返り血がはね、シーラの頬を汚す。
「この野郎!」
 仲間がやられた気配を察した男たちが、シーラに飛びかかってきた。いっせいに、三人。後ろのひとり残る男こそが、首領だろうか。
 シーラは冷静に、ふたりの剣を受け流し、最後のひとりの一撃を後ろに跳ぶ事で避けたかと思うと、着地とほぼ同時に再び前方へ跳び、男の懐の内に滑り込んで胸を突いた。
 ふと気付けば、手にした剣の刃が、淡く光っている。アーシェリナが魔法で援護してくれたのだろう。今も彼女は、別の魔法を唱えている。これまでも数え切れないほどかけてもらい、命を救われてきた、防護の魔法を。
 しかし振り返ったり、礼を口にしたりする余裕はない。今のシーラがアーシェリナの気持ちに応える唯一の方法は、目の前の敵を片付ける事だ。
 声を出し、気合をこめ、剣をふるう。さすがにここまで残った男たちは、強さも装備も、雑魚たちとは違っていた。一撃で致命傷を与える事は難しく、足を切りつけ、地面に引きずり倒し、確実にとどめを刺さなければならなかった。それにはどうしても時間がかかってしまい、最後に残る男が、シーラたちが繰り広げる激戦を潜り抜けるに、充分過ぎる余裕を与える事となった。
 シーラが相対する男たちを全て片付けるよりも数瞬早く、最後のひとりは走り出していた。また人質にとるつもりか、もはや確定した壊滅の恨みを少しでも返そうとしているのか。
 シーラが解放され、振り返る余裕ができた時、首領と思わしき男の刃は、アーシェリナに向けて振りかざされていた。
 間に合わない――!
「アーシェリナ殿!」
 高い金属音が響く。続いて、アーシェリナが地面にしりもちをつくと同時に上げた、小さな悲鳴が。
 アーシェリナを突き飛ばしたのはエルディだった。彼は山賊とアーシェリナの間に体を入れ、剣を頭上にかかげ、山賊の刃を受けた。しかし不利な体勢と勢い、元々の技量の差があいまって、エルディはあっさりと押し切られ、肩から斜めに切り下ろされる。
 自らが流した赤がはねる中、エルディは負けじと男に切りかかったが、狙いの定まらない一撃を、男はたやすく避けるのだった。
「下がれ、エルディ!」
 叫んだシーラは、盾を捨てて両手でしっかりと柄を握りしめながら、走る。そのまま、更なる一撃を加えようと刃を振りかざす男に、体当たりするように突撃した。
 背中から深々と貫く一撃に、男が鈍い呻き声を上げた。
 手間と時間を惜しんだシーラは、男に突き刺したまま剣を手放すと、軽い足取りで数歩進み、血にまみれたエルディの傍らに移動する。何事かと凝視するエルディに説明する間すら惜しみ、青年の手から剣を奪い取ると、まだ刃向かう意志を失っていない最後の山賊に向けて下から剣を降り上げた。
 力なく握られた剣が宙を跳ぶ。その剣は、二度と持ち主の手に返る事はなかった。シーラが次に剣を降り下ろした時、男が絶命したからだ。
「思っていたより弱かったが、やはり数があると言うのは、それだけで脅威だな」
 シーラは乱れた呼吸を整えるためた後、呟いた。
「すまない。お前の武器、勝手に借りた。あとで手入れして返す」
「いや……それはいいけどよ」
「アーシェリナ殿を守ってくれてありがとう。それから、怪我をさせてすまなかった」
「気にすんな。そんなに深い傷じゃねえから」
 そう言って笑うエルディだが、顔色が不調を物語っている。本人の言う通り、傷は浅いのかもしれないが、出血量は充分問題だ。
 シーラはその場に剣を置き、洞窟に向き直った。
「まずすべきは、貴方の手当だな。アーシェリナ殿、私が戻るまで、エルディを頼む」
「どこにいくの?」
「中を漁ってくる。これだけの人間が暮らしているんだ、水のたくわえがあるだろう。この汚れた手で治療しては、彼の傷がもっと悪化してしまう」
「判ったわ。まだ何かあるかもしれないから、気を付けてね」
 力強く頷いたシーラは、再び洞窟の中に足を踏み入れる。
 人の気配がまったくしない空洞は、暗く、寂しいものに感じた。


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