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四章外伝

16

 戻りはじめた意識は激しく歪んでいた。殴られた痛みを未だ引きずっているせいか、後頭部が痛みを訴える度に、強い吐き気がする。
 こんな状態に耐えるくらいならば眠っていたほうがいくらかましかもしれないと思いながらも、シーラは懸命に目を開く。すると、ぼんやりとした橙色が目に飛び込んできて、眩しさに慌てて顔を背けた。どうやら顔のすぐ近くに、燭台が置かれているようだ。
「シーラ? よかった、気がついたのね」
 少しずつ明りに目を慣らしていると、アーシェリナの声が耳に届く。それがあまりに心地よい響きだったからか、シーラの意識を覆っていた闇は、一瞬にして晴れていった。
 渇いた喉で声を出すのは億劫で、けれど自分は大丈夫だと示すために、シーラは体を起こそうとした。だが、体は意志に従ってくれなかった。
 頭を強打したせいで体と意志の繋がりが切れたのかと一瞬焦ったが、そうではなかった。縄で後ろ手に縛られた上、両足には枷がはめられ、鎖で繋がれていたからだ。
 自由に動かせるのは首から上だけだと判ると、シーラは必死に首を巡らせ、アーシェリナを探した。ちょうど、頭の上の方に座っていたアーシェリナは、腕と足をそれぞれ縄で縛られているだけで、シーラとは少し待遇が違っていた。古代語魔法の使い手は、腕か口を封じてしまえが魔法を使えないのだと、山賊たちは知っているのだろう。
「ここは、やつらのアジトか?」
「そうね。打ち捨てられた洞窟を利用しているみたい。ご丁寧に、入口のところや、部屋として使っているところには、扉みたいなものを付けて、少しでも暮らしやすくしているみたいよ。空気穴もそこかしこにあいている。あと、自由に見て回れたわけじゃないからはっきりとは言い切れないけれど、多分入口はひとつだけね。扉の向こうの、人の動きを聞いている限り」
「そこまでわかるのか。さすが、俺の惚れた女」
 弱ったエルディの声が、シーラの背中の向こうから聞こえた。声のくぐもり方からして、どうやら転がっているようだ。
「私は意識がある状態でここに運び込まれたから、貴女たちより情報が多いのよ」
 エルディの台詞を聞かなかったふりをしているのか、聞いても何も感じないのか、アーシェリナがあまりにも冷静に答えるので、少々哀れみを感じたシーラは、エルディに声をかけた。
「生きているようだな」
「かろうじてな。あいつら、あんたらと違って俺には手加減しねーから、ぼろぼろだよ」
「殺されなかっただけありがたく思え。良かったな、見目良く生まれて」
「どう言う意味だよ」
「殺して捨て置けばいいものを、わざわざ連れて来たと言う事は、山賊たちがお前に商品価値を見出したと言う事だろう。あるいは、利用価値を。もしかすると、山賊たちの中に、私たちよりもお前を好む者が居たのかもしれんぞ」
「うげっ……」
 エルディは自らの行く末を想像して気が滅入ったらしく、唸ったきり静かになった。
「半分くらいは冗談だぞ」
「でも、半分本気なんだろ? 勘弁してくれ」
「半分ですむのだからいいではないか。私たちは洒落ですまないのだぞ」
「そうよね。今無事でいる事が、すでに奇跡かもしれないってくらいよね」
 エルディはまた言葉を失った。そろそろ相手をする事が面倒になって来ていたので、シーラはエルディを無視してアーシェリナとの会話に戻った。
「この洞窟の構造は、ある程度判ると思って良いのか?」
 アーシェリナは頷いた。
「シーラから見えるか判らないけれど、そこ、部屋の入口に、扉みたいなものがあってね。上下に隙間があるものだから、扉の向こうの音とか聞こえてきてしまうんだけど。その扉を開けると短い通路になっていて、何歩か歩くと丁字路になっているの。向かって左にずっと行けば出口のはず。右に少し行くと、大きな広間みたいになっているんじゃないかしら。大勢の声が聞こえてくるし……今日の稼ぎの計算とか、分配でもしているのかしらね」
「私たちの分配が決まるまでに逃げないと危険だな」
「そうね。でも、あまり賢くなさそうなのが幸いだわ。私たちに見張りも付けていないし、手が届かないところとは言え、私たちの武器を同じ部屋の中に置いておくなんて」
 そこまで言うと、アーシェリナはシーラのそばまで這いずってきた。
 目的はシーラではなく、シーラの近くにある燭台だ。小さく灯る火に、手首を固く縛る縄を近付け、じりじりと焦がしはじめている。鼻先に嫌な匂いがしたが、シーラは黙って見守った。
「おいおい、そんな事して大丈夫か? あんたの綺麗な肌に火傷が残るなんて、俺には耐えられねぇ」
「大丈夫よ。私の肌には、とっくに火傷よりすごい傷がついているもの。それに、ここまで届くのは足かせをつけられていない私だけでしょう?」
 時の流れが自分たちに不利に働くと判っている今、焦りを堪えるのは至難の業だったが、ふたりは耐えた。アーシェリナを戒める縄が黒く染まり、拘束力が弱まっていくのをただ待った。やがて、肌まで焼くのではないかと言うところまで黒が浸透すると、アーシェリナはようやく縄を引きちぎる事に成功した。
 白い肌に赤く痕が残る様は、シーラの目には痛ましく映ったが、アーシェリナは構わなかった。自由になった腕を利用して先ほどよりも少しだけ早く這い、部屋の隅に辿り着くと、壁を利用して立ち上がる。腕を伸ばしてようやく届く位置にまとめられた荷物に手を伸ばし、僅かな時間で目的のものを探り当てると、その場に座りこんだ。
 アーシェリナが手にしたものは、彼女が護身用に持ち歩いている短剣だった。それで足を縛る縄を切ると、再度立ち上がり、荷物の中から杖を手に取り、シーラに歩み寄る。ずっと縛られていたせいか、歩き方は、いつもにも増してぎこちなかった。
 手早くシーラの腕を捕らえる縄を切ったアーシェリナは、杖に持ち変え呪文を唱える。最後に、シーラの足に絡む枷に触れると、かちりと音がして、シーラの足は自由になった。
「ありがとう」
「どういたしまして」
 アーシェリナは可憐に微笑んでから、同様に解放するためエルディに近寄った。
 その間、シーラは荷物の整理をした。まず全員分の荷物を床に下ろし、剣を佩く。それから自身の荷物を漁り、大事にしまっておいた薬瓶を取り出した。
「エルディ、貴方はこれを飲んで置いたほうがいい」
「何だ?」
「以前商人から買っておいた、魔法の薬だ。飲めばすぐに傷が治る」
 エルディは瞬時に表情を歪める。
 シーラたちのように冒険者でない者たちは、魔法や魔法使いを忌避する者が多い。一部の者にしか使えない未知なる力を恐れるからか、栄華を極めながらも大いなる力を求めるあまりに滅びた古代王国の歴史を知るからか、現代が魔法使いたちに虐げられた奴隷たちが築いた世界であるからか――理由はともかくとして、明らかに古代王国時代の遺物である薬に対し、少し腕が立つ程度の商人でしかないエルディが嫌悪感を抱くのは、当然とも言える事だった。
「すまない。気が利いてなかったな。忘れてくれ」
 エルディは薬を荷物の中に戻そうとするシーラの腕を掴んだ。
「飲まないなんて言ってねぇだろ。古そうな薬だから、腹壊さないか心配しただけ……」
 まるで絡め取られたかのように、エルディが一点を凝視する。
 青年の眼差しが自分に向いているので、気になったシーラは、エルディの視線を追った。胸を通り過ぎ、もっと下を見ている。腹ではない。もう少し下――腰だ。
 シーラは動揺したが、それをエルディに気付かれないよう、必死に押さえ込んだ。
 騎士となった時に下賜されたシーラの剣には、騎士団の紋章が刻まれているが、シーラは普段、柄の部分に布を巻く事で、それを隠していた。自身の正体を明かしながら世界をさまよう事は、エリーシアの命を秘密裏に完遂する障害になる可能性があるからだった。
 しかし今、布は剥がれてしまっていた。紋章があらわになっているのだ。
「その紋章……何の紋章だ?」
 どうやらエルディは、ベルダイン騎士団の紋章を知らないらしい。ならば教えなければいいだけの話で、シーラは安堵の息を吐いた。
「誰にも、人に話せる事情と話せぬ事情を抱えているものだろう。そしてこれは、私にとって、極秘事項といっても良いほどのものだ」
「そこをなんとか」
「なんともならん」
「頑固だな」
「性分だ。むしろ、お前がおかしいのだろう。アーシェリナ殿以外のものに、これほど食いつくとは。どうしてそれほどまでに知りたがるのだ」
 訊ね返すと、エルディはシーラから目を反らし、俯いた。どこか寂しげな表情は、これまでエルディが一度も見せた事のないもので――シーラがよく知る人物の横顔に、よく似ていた。
 その表情がシーラに対してどれほどの力があるか、エルディは知らずにやっているのだろう。それでもシーラは腹が立った。あまりにも卑怯な手を使われた気がしたのだ。
「とにかく、その話は後だ。とりあえずお前は薬を飲め。そして、逃げる……いや、奪われた荷物も取り返さねばならんな」
「荷物と俺たちを守るのが、あんたたちの仕事だろ。取り返さなかったら当然報酬は無しだし、あんたらの名声もここまでになるかもな」
「それは困るわ。私、できるだけ有名になりたいの」
 セインに見つけてもらうためにも、とアーシェリナは続けたが、シーラは聞こえなかったふりをした。
「では、おびき出すか。出口が本当にひとつしかないのならば、そう難しくない」
 シーラはまだ蝋燭が半分ばかり残る燭台を手に取った。
「そう言う事ね。でもシーラ、だったら、私の魔法を使いましょう。その方が、距離を稼ぎやすいもの。小さな魔晶石なら、いくらか残っているし」
「ふむ、そうだな」
「マントくらいしか提供できるものがないのが残念だけれど」
「私のマントもある。後は……」
「そうね。エルディは、男の人だから少しくらい寒くても平気よね。上着まで脱いでもらってもいい? 大切なものなら、無理しなくていいけれど」
 アーシェリナが満面の笑みを浮かべると、エルディは何度も頷き、喜んでマントと上着を脱いで差し出してくる。放っておいたらそれ以上脱ぎそうだったので、「汚いものを見せるな」とシーラが力いっぱい止めた。
 天然でここまで男を操れるアーシェリナが、魔性の女になろうと思う事なく生きてくれて良かった。作業を進めながら、シーラは心底そう思った。


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