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四章外伝

15

 マルクスの商隊は、二頭立ての大きな馬車が二台と、一頭立ての小さな馬車が一台、そして二頭の馬で全てである。
 先頭を行く馬には、マルクスたち商隊の者たちの中で、馬も馬車も操らない者たちが乗っている。次に進む小さな馬車には全員の着替えや生活用品が入っていた。本来ならば商隊の者たちは、生活用品が詰め込んである馬車に乗るそうなのだが、いつもは商品を詰め込まれている馬車のひとつがほぼ空となっていて広く使えるため、そうしているそうだ。「タイデルでは思っていた以上によく物が売れたから、次の町ではこの馬車がいっぱいになるくらい沢山仕入れないとな」と、出発前にマルクスやエルディが口にしていたか。
 アーシェリナは一番後ろを進む馬車に乗り、シーラは自身の馬に乗って最後尾を進んでいた。商品のほとんどがここに詰め込まれており、マルクス曰く、最も狙われやすく、最も守って欲しいもの、らしい。一応前方にもアーシェリナが使い魔の鴉を飛ばしているが、ふたりがもっとも警戒しているのは、やはり一番最後の馬車だった。
 しかし警戒も空しく、シーラたちが同行してからこちら、山賊どころか、獣一匹も出てきていない。ありがたい事ではあるのだが、護衛として雇われた身としては、やや寂しいものがあった。もしこのまま何事もなく山を越えられたら、報酬をいくらか辞退した方が良いかもしれないと考えはじめてしまうくらいだ。
 今日も朝からシーラは、愛馬にゆられ、流れゆく景色の中に異常を探している。気付けば太陽が天高く昇っており、そろそろ昼食休憩を取る頃かと思っていると、ふと、左手の方角から葉のこすれあう音が聞こえた。
 直後、強い風が吹き、木々や茂みがいっせいに騒ぎ出した。だがシーラが最初に察知した音は、どこか一点からの不自然な音で、風のせいでないのは明らかだ。
 即座にシーラは音がした方角に視線を送ったが、自然な緑色以外には何も見えなかった。茂みの中隠れる程度の大きさしかない獣が動いたのか――何かが、意図的に隠れているのか。
 一番後ろを走る馬車が激しく揺れたのは、その時だった。
「どうした!?」
 見ると、シーラが乗る馬車を引く馬の一頭が鳴き、暴れていた。その付近の地面には、矢がつきささっている。どうやらその矢が、馬の鼻先を掠めたようだった。現在御者を務めているエルディは、それを抑えようと必死になっているが、しばらく時間がかかりそうだ。
「シーラ、左手の方向、三十歩くらいの距離に、ふたり居るわ。茂みが深いわね。よく弓で狙えたものだわ」
 突然の事に慌てる事なく、鴉の目を通して周囲を探ったアーシェリナが言った。
 シーラは頷き、馬から飛び降りると、剣を引き抜いた。同時に、アーシェリナが示した方向を見る。もう隠れる気はないのか、茂みが大きく揺れていた。
「前の二台は」
「大丈夫、鴉が不自然に鳴いたら全力で走れって、事前に指示したとおりにしてくれているわ。あれなら、山賊たちを振り切れるでしょう」
「ソフィアはどうしている?」
「おばちゃんたちと遊ぶって、前の馬車に乗っていたから、大丈夫よ」
「ならば、私たちはこの馬車だけ守ればいいのだな」
「そうね――ううん、エルディもよ。彼も護衛対象のひとりよ」
 シーラに歩み寄りながら、アーシェリナは視線だけ御者台に送った。そこには馬を操るのを諦め、手綱を手放し、転がるように馬車を降りたエルディが居る。
「貴方も逃げるといい。山賊たちは私達が引きつけるから、馬が落ち着いたらすぐに行け」
「馬鹿言うな。惚れた女を置いて逃げるほど情けない男じゃないぜ、俺は」
「あら。いつ誰にそんなに惚れたの?」
「相変わらず冷たいなぁ。さすがの俺でも、ちょっと空しくなるぞ」
 エルディは乱雑に首をかいてから、自らも剣を抜いた。構える姿はなかなか様になっていて、なるほど確かに、平時であればそれなりに頼れる護衛なのだろうとシーラは思った。
『大いなるマナよ、凍てつく冷気の嵐となれ』
 杖を掲げ、振り回しながら、アーシェリナは唱える。上位古代語の不思議な響きで素早く詠唱を終えると、杖の先をうごめく茂みへと向けた。
 アーシェリナの魔法が発動するさい、シーラはいつも、ほのかに空気の歪みを感じる。それが大気中のマナを利用する事による変化なのか、単なる気のせいなのかは判らない――アーシェリナはそんなものを感じないと言っている――が、その感覚が、シーラは嫌いではなかった。大いなる力は、シーラの中にある戦意を奮い起こしてくれる。
 アーシェリナが示す一箇所だけ、氷の嵐が吹き荒れた。粗野な男たちの太い悲鳴が重なり合う。
「エルディ、残る気ならば、アーシェリナ殿の護衛を頼む!」
 それだけ言い残し、シーラは茂みの中に飛び込んだ。茂みから顔を出した男のひとりが、シーラに向けて矢を打つが、それを身を捩るだけで避けると、剣を大げさに振りかざして飛びかかってくる男に剣を降りおろす。アーシェリナの氷の嵐によって、全身に凍傷や切り傷を負っていた男は、シーラの一撃を受けて力なく地面に倒れた。
「たった一撃かよ……!」
 恐怖におののく声は、山賊たちのものか、エルディのものだったのか、シーラには判らない。判断するための余裕があれば、ひとりでも多く切る事がシーラの仕事だ。ひと息つく間もなく、別の男が降り下ろす反り返った刃をが目の前に迫るので、盾で受け流し、切り上げる。
 男は腕から血を流し、力なくうめいたが、それでも果敢にシーラに向かってきた。しかしシーラと男の実力差は、気合でどうにかできる程度ではない。軽く横に跳ぶ事で男の攻撃を避けたシーラが、もう一撃を食らわせる事で、ふたつめの死体ができあがった。
「この女!」
 仲間がふたりやられる事で、山賊たちの空気が変わった。
 シーラたちが女であるからと油断していたのか、女だからこそ生け捕りにして利用しようと思っていたのか、理由はどうであれ、本気を出すまでに頭数を浪費してくれたのはありがたい。三人まとめて、飛びかかってくる男たちの剣や斧を避けながら、シーラは薄く笑う。数でかかってこられるのは、単純に厄介だ。
 とは言え数の暴力は、冒険者と言う実力社会で成り上がったシーラがやられる理由にはならなかった。ともすれば散漫になりがちな意識を集中させ、注意して山賊たちの攻撃を避けながら、ひたすら攻撃を繰り返す。一撃はどうしても軽くなりがちだが、何度も繰り返す事で、足元に折り重なる死体が増えていった。
「動くな、女戦士!」
 新たに五、六死体が増えた頃だろうか。背後から、低い怒鳴り声が耳に届いた。
 シーラは前方の男たちを警戒し、構えたままで、声の方に意識を向ける。
 まず目の端に映ったものは、死んでいるのか気を失っているのか、地面に力なく転がるエルディだ。そしてエルディのすぐそばには、杖を叩き落とされて腕を捻り上げられた、アーシェリナの姿があった。
 魔術師たちは一般に、操る魔法は強力でも、体そのものは強くない。アーシェリナも例外ではない――むしろ彼女は一般的な魔術師よりもか弱い――ので、シーラはエルディにアーシェリナの身体の護衛を頼んだのだが、あまり意味はなかったらしい。
 本来護衛対象である彼に仕事を任せた負い目に加え、アーシェリナの周囲に眠りに落ちた男たちが何人も倒れている事から、シーラはエルディに対し申し訳ない気持ちになった。つまり今動いている男は、アーシェリナが作り出した眠りの雲に耐えた、よほどの意志か幸運の持ち主なのだ。それだけの男を相手にするには、エルディではどうしようもなかったのだろう。
「こいつらの命が惜しければ、剣を捨てるんだな」
 シーラは唇を噛み、目を伏せる。山賊たちに従った時点でどうしようもないと判っていても、他に打開策は浮かばず、言われた通り剣を捨てるしかなかった。
 背後から下卑た笑い声が聞こえたかと思うと、頭に強い衝撃を受ける。目の前が真っ暗になり、体から力が抜けた。足元から崩れ落ち、地面に膝を着いたが、感触は何もない。まるで他人の体であるかのようだった。
 再び目を覚ます時は来るのだろうか。来るのだとすれば、その時自分たちはどうなっているのだろう。自分たちの身を案じながら、シーラは意識を手放す。
 最後の瞬間思い浮かべたものは、敬愛していた王子の儚げな笑み。
 ああ、そうだ。身の危険を感じた時に思い返すのは、いつもエルリックだ。


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