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四章外伝

14

「セイン……?」
 シーラが無言でマルクスの息子を見つめ続けていると、アーシェリナの声が耳に届いた。可憐な声は、彼女の探し人の名を紡いでいた。
 ようやく正気を取り戻したシーラは、アーシェリナを見る。すると、驚愕のあまり何も浮かんでいなかった表情に、徐々に陰りが浮かび上がっていく。
 シーラがマルクスの息子に視線を戻すと、風に流された雲が太陽を覆ったせいで陽の光が翳っており、それまで曖昧だった青年の髪の色が、はっきりと灰色を示していた。それによって、シーラはアーシェリナが落胆した意味を理解した。青年の面差しは、セインによく似ているのだろう。そして、太陽のいたずらで銀髪に見えたせいで、見間違えてしまったのだろう。
 シーラは己の手が震え出すのを感じていた。アーシェリナとは逆であったために――陽が翳ったからこそ、目の前の青年は、シーラの知る人物に余計に似てしまったのだ。
「エルリック様……」
「何だよお前ら。俺を別の名前で呼びやがって。俺みたいにかっこいいやつが、他に居るってのか?」
 青年は何か調子の良い事を勝手に口にしていたが、シーラの耳には届かない。心臓が高鳴りすぎてうるさくて、他の音など聞こえなかった。
 普段は胸の奥に押し込めているエルリックをむりやり引きずり出され、シーラは泣きたくなった。耐えるためには微動だにできなかったし、瞬きもできなかった。
 彼はエルリックではない。そのくらい判っている。エルリックは何年も前に亡くなっているし、生きていてもこんなところに居るわけがない。だが、判っていても心が乱れるほどに、彼はエルリックに生き写しなのだった。
「エルリック様に、似ているの?」
「ああ……」
「そう。話に聞いていただけで、似ているなって思っていたけれど、エルリック様とセインは、顔だけなら本当に、よく似ているのね。遠縁とは言え血の繋がりがあるんだから、不思議はないけれど」
 シーラは息を飲んだ。目の前の青年がエルディラーンかもしれないと考えたからだった。それはあまりに自分に都合のよい奇跡のような偶然だが、エルリックの双子の弟以外に、これほどエルリックに似ている青年が居る事の方が、よほど奇跡に思える。
「何こそこそ話してんだ?」
「あ、いや……」
「ま、いいや。俺はエルディだ。よろしくな」
 エルディと名乗る青年は、無造作に手を差し出した。
 その時、違うかもしれない、とシーラは思った。
 容姿だけでなく、名前まで似ている。けれど、仕草のひとつひとつに品がないのだ。表面上ごまかしていると言うわけでなく、根っから粗雑なのだろうと感じた。
 エルディラーン王子はローゼンタール侯爵家に預けられ、王子である事を知らずに育てられていただろうが、侯爵家の一族としてでも客人としてでも、侯爵家が崩壊した日まで、それなりの教育を受けていたはずだ。つまりは九歳まで――その後ずっと平民として生きてきたからと言って、ここまで変貌できるものであろうか。
「私はアルマシーラ・ローウェル。シーラと呼んでくれて結構だ」
 疑いが浮かぶと、動揺していた事が嘘のように落ち着いた。シーラはエルディの手を握り返した。
「アーシェリナと申します」
 アーシェリナが挨拶をすると、エルディは急に機嫌が良くなる。絶世の美女に挨拶されて、浮かれたようだった。
 判りやすい男だ。
 やはり、別人なのかもしれない。

 エルディは口数の多い男だった。移動中も、休憩中も、しきりにふたりに話しかけてくるのだ。はじめは、商隊に若い女性がひとりも居ないせいで浮かれているからかと思ったが、他の誰に対しても同じ様子だったので、元々の性格だと判った。
「あんたみたいな美人が、なんでこんな事してるんだ?」
 他の誰よりもアーシェリナに話しかける事が多い理由は、おそらく彼の趣味思考の問題だろう。今のように個人的な部分に踏み込んだ質問をする相手は、決まってアーシェリナだった。
 もはや病的とも言える彼女のセインへの想いは数年と言う時間でどうにかなるものでもなく、エルディに微塵の興味も抱いていないアーシェリナは、質問に答えようとしない。微笑みながらやんわりと断る事が常だったが、それが逆効果である事に、シーラは気付いていた。思わず見惚れてしまう笑みは、エルディがアーシェリナに付きまとう理由のひとつとなっているからだ。
「いいかげんにしたらどうだ、エルディとやら。しつこい男は嫌われるぞ。特にアーシェリナ殿は、空しいほど淡白な男が好みだからな」
 見かねてシーラは口を挟んだが、反論してきたのはアーシェリナだった。
「シーラってば、セインの事を誤解しすぎよ。セインは貴女が思うようなひどい人ではないのよ」
 そうだな、と、シーラは適当に相槌を打った。アーシェリナにとってエルディがどうでもいいのと同じくらい、シーラにとってセインはどうでもいい存在であった。
「セインって、前も聞いた名前だな。誰だそれ。あんたの恋人?」
「恋人って言うか……」
「疫病神だ」
「シーラ!」
 アーシェリナは少しだけ声を荒げてシーラを呼んだが、すぐにあきらめ、珍しく静かに座るソフィアをぎゅっと抱いた。彼女は軽くすねた時、いつもソフィアを抱きしめる。
「違うのよ、ソフィア。貴女のお父さんは、すっごく素敵な人なんだから」
 するとソフィアは、氷色の瞳を輝かせて訊ねた。
「どんな人なの?」
 ソフィアがそうして訊ねる事で、出会った頃以降、アーシェリナがセインについて話しているところを聞いていない事を、シーラは思い出した。
 それはシーラがセインを嫌っているために、気を使ってシーラの前で話していないのだろうと勝手に解釈していた納得していたのだが、ソフィアの口からそのような質問が出ると言う事は、ソフィアに対してもあまり話していないのだろうか?
「そうね。お顔は、こんな感じ。近くで見ると少し違うけれど、離れて見れば、見間違えるくらい。でも、もっときりっとしてて、かっこいいのよ」
 エルディを示してアーシェリナは言った。エルディは喜んでいいのやら悪いのやら、複雑な顔をしている。
「ソフィアと同じで、髪の色も瞳の色も、とても綺麗なの。それでね、優しい人よ。毎日毎日、お母さんのために花を摘んできてくれてね」
「気障な男だな」
「俺ならあんたに豪華な宝石を送るぞ」
「もう、ふたりとも、話の邪魔をしないで」
 アーシェリナが拳を振り上げると、ふたりは仕方なく口を閉じた。殴られる事が怖かったわけではない。彼女の真剣さが伝わってきたからだ。
「お母さん、ときどき、もしお父さんが居なかったらって考えるの。きっと、毎日寂しくて、泣いて、泣きすぎて、消えてしまっていたと思うわ。だから、ソフィアが居るのも、お母さんが居るのも、お父さんのおかげなのよ」
 そしてアーシェリナは、シーラやエルディではけして引き出す事のできない、極上の微笑みを浮かべる。
 彼女の表情を見れば、アーシェリナの想いがまやかしなどではない事を、嫌でも思い知る。けれど、どうにも納得がいかなかった。アーシェリナの中で、セインと言う男が、不当に美化されているとしか思えないのだ。幼い時から十年以上も共に暮らしてきた相手を美化するなどと、難しいと判っていても。
「セインって言ったっけ? そいつ、今どうしてんだ?」
 瞬時にアーシェリナの笑みは消え、表情が曇った。
 余計な事を言う男だと、シーラはエルディを睨みつける。
「判らないの」
「そうなんだ。じゃあ、あんた今男居ないんじゃん。俺なんかどうよ。俺は了見の狭い男じゃないから、あんたに子供が居たって、別に気にしないぜ」
「無理よ。貴方はセインではないでしょう?」
 おかしな事を言うのね、とアーシェリナは笑った。
 おかしな事を言っているのは貴女だ、とシーラは思った。
 おそらくエルディは、シーラと同じ事を考えているのだろう。格好つけた笑みが、悲しいほどひきつっている。
「あら。余計な事まで話してしまったわ。代わりに、貴方も話しをしてくれる?」
「あんたが訊くなら、何でも答えるさ」
「じゃあ訊くわね。貴方、本当にマルクスさんの息子なの?」
 シーラが訊きたくて仕方がなかった事を、アーシェリナはずばりと訊いた。どうやらシーラに気を使ってくれたらしく、一瞬視線が合うと、目配せしてきた。
 ありがたいと思いつつも、家庭の事情を率直に質問すると言う、即座に不快感を抱かれるかもしれない役目を、アーシェリナが迷わず引き受けた事が、少し恐ろしかった。相手がセインでなければどうでもいい、と言う事なのだろう。
「意外と、いきなり失礼な事訊くな、あんた」
「ごめんなさい」
「あんたが俺に興味を持ってくれたのが嬉しいからいいけどさ。血の繋がりって意味で訊いてんだろ? 違うよ。たまに訊かれるけど、そんなに似てないか、俺たち。まあ、似てないけどな」
 シーラとアーシェリナは同時に身を乗り出した。
 自覚していなかったが、眼差しやかもしだす雰囲気が強すぎたのかもしれない。エルディがわずかに硬直した事に気付いたシーラは、少し反省した。さほど時間をおかず、わざとらしい咳払いを挟む事でエルディが気を取り直すと、すぐに忘れてしまったが。
「俺が赤ん坊の頃、山ん中に捨てられてたんだってさ。ばーさんの見立てによると、生後半年にもなってないだろうってくらいの時に。そんで、今よりもう少し小さかったこの商隊がたまたま通りすがって、親父が俺を息子にしてくれたったわけだ。んで、今に至る、と」
「それは何年前だ?」
「二十六年とか、七年とか、そのくらい」
「つまり貴方は今、二十七才?」
「まあな。誕生日は適当に決めたけど、だいたいそんくらい。な? 俺とあんた、年齢的にも、つりあいが取れてると思わねぇ?」
「別に思わないけれど」
 アーシェリナは笑顔で言い切った。誰もが見惚れる美女でありながら、彼女が魔性の女になれない理由をまざまざと見せつけられたシーラは、愉快な気持ちになった。
 それ以上エルディから役に立つ話は聞けそうになく、シーラはエルディを無視し、ひとり思考にふける。集中力はある方なので、周りが多少うるさいくらいならば問題なかった。唯一、エルディの相手をさせられる事になるアーシェリナが気にかかり、「エルディをいちいち相手にする必要はないぞ」と耳うちしたのだが、「別に嫌じゃないのよ。顔、見ていて落ちつくもの。声もけっこう似ているし」と耳うちが帰ってきたので、放っておく事にした。
 生きていれば、エルリックとエルディラーンは今年二十七歳だ。年齢は合う。
 顔も、似ている。エルリックと双子と言われて、納得できるほどに。
 問題は生い立ちだ。エリーシアから聞いている話とずいぶん違う。そもそも、エルディラーン王子を捨てるなどと、シーラには考えられない事だった。無礼だどうだと言う話ではない。生まれたばかりのエルディラーン王子を遠くに追いやると決めたのは、ベルダインの未来の害にならないように、だ。だと言うのに、いくらでも害になりそうな始末のつけ方をするとは、どうしても思えない。ならばいっそ、殺してしまうのではなかろうか。
 どうにも判断ができず、思考の助けになればと、シーラはこっそりエルディを覗き見る。
 むげにされていると言うのに、それでもしつこくアーシェリナに言い寄る姿を見たシーラは、とりあえず「違う」と結論付ける事にした。
 容姿と声以外の全てが、エルリックに似ていないからだ。


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