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四章外伝

13

 エルディラーンもセインも見つからないままに、いくつもの季節が流れた。
 穏やかな空気の中、鮮やかな青空を窓越しに見上げたシーラはふいに、アーシェリナやソフィアと共に迎えた夏はこれで何度目になるだろうと考える。四回目――いや、五回目だろうか?
 店内に向き直ったシーラは、無邪気に走り回ってアーシェリナに叱られるソフィアを見つめ、「大きくなるはずだな」と呟いた。出会ったばかりの頃のソフィアは、自力で歩く事などできず、常にアーシェリナの腕に抱かれていたと言うのに。
 もっとも、成長したのはソフィアだけではない。シーラはソフィアから視線をはずし、アーシェリナと、自身のてのひらを見つめる。
 西部諸国の北部から中部にかけて、ふたり組の女性冒険者の名が広まったのは、いつの頃からだっただろう。
 三人で旅を続けるうちに、路銀に不安を覚えたシーラたちは、稼ぐために冒険者として戦う事を選んだ。ふたりは遺跡を漁る技量も、傷を癒す力もなく、できる事は限られていたが、騎士団でも未来を有望視されていたシーラの剣技と、賢者の学院に所属する導師に天才と言わしめたたアーシェリナの魔術は、戦力に不安のあるパーティに参加したり、単純な護衛をしたりなど、充分売りものになった。
 女のふたり組、しかも子連れとなると、実力を見てもらうだけでひと苦労だったが、ひとつひとつ依頼をこなす事で、少しずつ信用を勝ち取っていった。そうして徐々に高い能力が必要とされる仕事が回ってくるようになり、何年か過ぎた頃には、近隣諸国に名が売れるようになったのだ。
 有名になる事はアーシェリナにとって、セインに見つけてもらうために有利であるため、はじめは無条件で歓迎していた。しかし、最近は少しわずらわしい事もある。何度も、シーラは騎士にならないかと誘われていたし、アーシェリナも仕官を勧められていた。それは絶対に断らなければならない――とくにシーラは――申し出なのだが、理由をはっきりと言えないため、断るのに苦労するのだ。
「冗談だろ?」
 店内に響き渡る声に反応し、シーラは声がした方に目を向ける。そこに居たのは店の主人と、カウンターを挟んで立つ中年の男だった。声を上げたのは、聞きなれた主人ではないから、男のほうだ。
 シーラたちが今居るのは、タイデルに滞在するさいは必ず利用している冒険者の店の一階、食堂となっている場所だった。仕事を求める冒険者と、冒険者を求める依頼人を仲介する場所――つまり、主人と話している、食事を取る様子もない中年の男は、依頼人と言う事だろう。
 観察しているうちにシーラは、男がちらちらとこちらを見ている事に気付いた。と言う事は、男が持ち込んだ仕事に対し、店主が薦めた冒険者は、シーラたちなのだろう。
 まずシーラは、久しぶりだな、と思った。単純な戦闘能力であればこの店に滞在する冒険者で一番と言って過言ではないシーラたちは、相応に依頼料が高い。シーラたちとしては生活ができる程度に稼げればそれで良いのだが、ふたりが安い報酬で働いてしまうと、ふたりより腕のない他の冒険者たちに仕事が回らなくなるため困ると、以前店主に言われたのだ。それもそうだと店主の言い分を受け入れてからは、仕事の頻度が大幅に減っていたのだ。
 次にシーラは、またか、と思った。男は店主に対し、苦情めいた事を言い続けているようだ。先ほどの「冗談だろ?」と合わせれば、内容は簡単に予想できる。男は依頼に対してシーラたちでは能力が足りないと思っているのだ。
 どれほど実力があろうと、名が売れていようと、信用しない男はいくらでもいる。シーラが割に見目の良い方である事、アーシェリナが美貌の持ち主である事が、余計にそう思わせるのかもしれない。
 ため息を吐いたシーラは、隣にある主の居ない椅子を蹴り飛ばしながら足を組んだ。突然立った大きな音に反応し、店主と男の会話が一瞬途切れると、すかさず冷たい声を出す。
「主人。今度の依頼内容はどういったものだ?」
 男に対して抱いた苛立ちと、路銀が心もとないわけではないが有り余っているわけでもないために久々の依頼を逃したくないと言う都合、いつも世話になっている主人にこれ以上無意味な負担をかけたくないとの親切心が、シーラを突き動かしたのだった。そんなシーラの意図に気付いたのか、アーシェリナも冷たい視線で男を見ている。
 男勝りの戦士と、心まで凍った冷徹な魔女。それが、少しでも強さを演出しようと言う、ふたりの営業用の顔だった。アーシェリナなどは、『氷の魔女』の雰囲気を守るために、ある程度余裕がある仕事の時は、炎の術よりもより高度な氷の術をわざわざ使うほどだ。
「山越えをしたいから、護衛が欲しいんだとさ。お前たちも知ってるだろ? 近頃山賊が出るって有名な」
「ああ、噂は聞いている。いずれ戦ってみたいと思っていた」
 ちなみにこれは、営業努力ではなく、紛れもない本心であった。
「守ってやってもかまわないぞ。私たちの腕に相応の報酬が払えればな」
「あんたたちは、本当に強いのか? とてもそうは見えん」
「別に信用しなくても構わんぞ。貴方が心から信用できる、見た目がいかついけれど確実に私たちよりも腕の劣る男たちを連れて行くといい。山賊に襲われて死んだり、無一文になったりしても、私たちを恨むなよ」
 ざわりと、空気が逆立つのを肌で感じた。すっかり忘れていたが、この店の中には、仕事にあぶれている冒険者たちが残っているのである。今のシーラの発言は、そんな男たちの気に障ったのだろう。
 この仕事を受けるにしても受けないにしても、しばらくタイデルから離れよう。そう、シーラは心に決めた。
「どうやらそこの御仁は、私たちの武勇伝を知らないようだな。それとも、武勇伝の主が私たちだと信じられないのかな?」
 男は難しい顔で頷いた。
「話を聞くだけで信じられないと言うのなら、実力を見せてあげたいところだけれど」
 アーシェリナの艶っぽい、だが感情の無い声が静かに響く。
 普段の彼女の声から感情が消える事はない。つまりそれもまた営業努力と言う事で、彼女の努力は実ったのか、男は少したじろいだ。
「そうすると依頼主が居なくなってしまうから、できないの。許してちょうだいね」
 どうやら男は、「お前など簡単に消せるのだ」との意味を見出せないほど愚鈍ではなかったらしい。助けを求めるように店主へ視線を送った。
 店主が力強く頷くと、ようやく納得したのか、それとも覚悟を決めたのか。男はシーラたちに歩み寄ってきた。
「あんた達に、仕事を頼みたい」

 男はマルクスと名乗り、総勢八名の小さな商隊を率いてアレクラスト大陸を回っていると言った。主に中部や西部が中心だが、時には東方に足を伸ばす事もあるらしく、本当かどうかは判らないが、エレミアで買い付けたと言う金物や、オランで買い付けたと言う装飾品のたぐいをいくつか見せてくれた。なるほど確かに、ほぼ西方から出た事のないシーラには、見慣れないものばかりだ。
「貴方の商隊の中に、戦える者は居るか?」
「どうしてそんな事を聞く」
「相手が何人であろうと、戦闘において遅れを取るつもりはないが、山賊たちがかなりの人数だった場合、数で私たちを足止めしている隙に……との状況は充分考えられるからな。私たちが戦っている間、警戒し、皆を無事逃がす役目を負ってくれる者が居るならありがたい、と思ったのだ」
 男は納得して軽く何度か頷いた。
「そのくらいなら大丈夫だ。一応、全員剣術なりなんなりをかじってはいるし、中でも、俺の息子はなかなかのもんだ。あんたたちから見たら笑える程度の腕前かもしれんが、ちょっとした魔物なら充分あしらえる。だから、普通に街道を通るくらいなら、護衛をつけやしないんなんだがな」
 それはなかなか頼もしい。シーラは少し気持ちが楽になって、薄く笑みを浮かべながら頷く。護衛の仕事を受け持っている以上、依頼人がわの力にあまり頼るつもりはないが、いざと言う時に頼れると判っているだけで、ずいぶん違うものだ。
「他に――」
 他に聞いておく事は他にないかと、アーシェリナに振り返ったシーラの目に、遠い異国で織られた敷布を珍しそうに眺めている母子が移る。
 とたんに、物騒な話をする気が失せて、シーラは言葉を飲み込んだ。
「さっきの様子とえらい違いだな」
 マルクスは肩をすくめながら言った。好奇心に溢れすぎてまとまりのない子供の問いかけに、優しく微笑みかけながらひとつひとつ丁寧に答えるアーシェリナを、苦い顔で見下ろしながら。
「あんな姿しか見ていなければ、貴方はもっと、私たちの実力を疑っていただろう」
「まあ……な」
「安心しろ。雰囲気を偽る事はあっても、実力を偽る事はない。やろうと思えば、私も彼女も、一瞬で貴方の命を奪えるだろう」
「わかったから、物騒なたとえはよしてくれ」
「私などまだ可愛いものだぞ。彼女は、八人程度なら、まとめて始末できる」
「だからな」
 シーラに聞こえるか聞こえないかくらいの声量で、マルクスは「もう許してくれ」と呟いた。シーラはできる限り意地悪くならないよう微笑みかけ、それで話を切り上げた。
「ところで、マルクス殿。私が見た限り、七名しか見当たらないのだが」
 シーラの目の前で、年齢も性別も肌の色すらもまちまちな者たちが出発に向けて慌しく準備をしているのだが、さっきから何度数えても六名しか居ない。彼らに指示を出し、あるいはシーラの質問に答えてくれるマルクスを含めても、七名にしかならないのである。シーラの目に映る七名に、そこそこ腕の立つ戦士らしき者は見当たらないところから察するに、足りないのはおそらくマルクスの息子だろう。
「あー、息子だな。あいつ、まだすねてやがるのか」
 続く「困ったやつだ」とのマルクスのぼやきに、若い男の声が重なった。
「誰がすねてんだ、このくそ親父」
 声に不似合いな暴言だ。
 シーラはまずそう思った。だがすぐに、初めて聞く声に抱くにはおかしな感想だと気付いた。
 そして気付いたのだった。初めて聞く声ではないのだと。
「誰がくそ親父だ、ばか息子。俺の腕が信用できねーのかって、さんざんすねてたのはどこのどいつだ」
「うるせえな。忘れろよ、そんな事」
 これまでに出会った誰の声と同じであるか気付いてしまうと、シーラは大きく動揺した。振り返って声の主を見るだけでも勇気が必要で、胸を押さえ、ひとつ深呼吸をし、少しでも落ち着いてからでなければ、けして振り返れなかった。
 昼の強い陽射しを浴びる事できらめく髪は、銀色にも見えるが、本当は灰色だろう。光のせいで色素が薄く見える瞳も、本当は濃い青だろう。
 色だけではない。柔らかな面立ちまでもが、胸の奥に大切にしまいこんだ思い出の中にある人と同じで――シーラは言葉もなく、立ちつくす事しかできなかった。


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