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四章外伝

12

 ファンドリアへの道のりは、思っていたよりずっと楽なものだった。
 シーラとアーシェリナは、生まれ育った環境こそずいぶん違うが、ほぼ同じ年代の女同士であったため、打ち解けるまでにさほど時間を必要としなかった。ときどき意見が食い違い、口論する事はあったが、仲良くと言ってよい間柄で、共に歩む事ができたのだ。
 タイデルからファンドリアまでは舗装された街道を通るだけだったので、進行が妨げられる事もなかった。ときおり魔物が出てくる事もあったが、シーラの剣の腕があればほぼ敵でなかったし、アーシェリナが実は魔術師であったので――思い出してみればシーラは、アーシェリナを拾った日に、彼女が魔法を使うところを目にしていた――見た目の儚さとはうらはらに、戦力としてもそれなりに頼りになったのだ。
 しかし、と、シーラは思う。魔法を使えるのは、才能を持った一握りの者だけと聞く。その一握りであるアーシェリナが、男で身を持ち崩すのだとすれば、それはあまりにもったいない、と。
 だがもしかすると、人生とはそんなものなのかもしれない。人々に慕われ、弟の事を思う優しさを持ちながら、若くして亡くなった人をシーラは知っている。
 少し泣きそうな自分に気付いたシーラは、気を引き締めた。今の自分に泣いている暇などない。エルリックの事を、思い出してはいけない。ファンドリアは危険な国だと聞いている。暗黒神の神殿やら、暗殺者同盟やら、普通の国ならば日のあたらないところに隠れているはずの組織が、表立って存在する国だと。油断していたら、自分も、アーシェリナもソフィアも、どうなるか判ったものではない。
「シーラ、ところで」
 警戒しながら歩くシーラに声をかけてきたアーシェリナは、顔をあまり見られたくないと、フードを目深に被っていた。良い判断だろう。彼女の容姿はとにかく目立つ。帰ってきたと吹聴しながら歩いているようなものだ。
「貴女、ファンドリアのどこに行きたかったの?」
 問われ、まだ話していなかった事をシーラは思い出した。目的に関わる事なので、出会ってすぐの頃は、わざわざ話す気にならなかったのだ。
 今も目的を話すつもりはない。しかし、彼女が目的の家を知っていれば、探す手間が省けて好都合だ。シーラはあるていど事情を濁して伝える事にした。
「私が仕える方の、遠い親戚にあたるのだが、ローゼンタール侯爵家だ」
 アーシェリナは、フードの影に隠れていても判るほど、大きく目を見開いた。
「知っているのか?」
「知っているもなにも……」
 アーシェリナは困惑を表情に浮かべ、続ける。
「ローゼンタール侯爵家は、十年以上も前になくなっているわ。当主が国王の命を狙って護衛騎士に殺され、家族はロマールに逃亡、残された領地などの財産は、全て国に没収されているはず」
「そんな……!」
 シーラは悲鳴にも似た声を上げた。そして、耳をふさぐような形で頭を抑える。半ば混乱し、立ち尽くした。体中から力が抜けた。道の途中でなければ、その場に座り込んでいたかもしれない。
 混乱の理由は、事実に衝撃を受けたせいでもあるが、エルディラーン王子に会えたらまずどうするべきかで悩んだ事は多々ありつつも、会えない可能性はまったく考えてなかった自分ののん気さに呆れたせいでもある。
「エルディラーン様は、今いずこに……」
 このままでは、エリーシアの密命を果たす事は不可能だ。生死はもちろん、どこに居るかすら判らないのだから。
「おちついて、シーラ。とりあえず、宿に行きましょう。そこで、私に判る事は全て話すから」
 まともな判断力を失っていたシーラは、アーシェリナの提案に頷く事で精一杯で、珍しく先を行くアーシェリナに、弱々しい足取りでついていく事しかできなかった。

 宿を取って部屋に入ると、アーシェリナはすぐにソフィアを寝かしつけた。
 窓と入口の扉を閉め、しっかりと施錠すると、アーシェリナはシーラの向かいに腰を下ろす。そうして、できるだけ顔を近付け、代わりにできる限り声を抑え、語りはじめた。
「シーラ。私は貴女を信用して、全てを話すわね。誰にも言わないで。少なくとも、このファンドリアに居るうちは。私に話しかけるとしても、誰にも聞こえないように気をつけて」
 アーシェリナがこれまで見せた事のない、厳しい表情だった。低く静かに吐き出す声が、余計に緊迫感を増す。
 シーラは黙って頷いた。
「私はローゼンタール家と、少しだけ縁があるの。私自身には血の繋がりなんてないのだけれど――ローゼンタール侯爵が殺された事はさっき話したわね。残された侯爵夫人は、ロマールまで逃亡した後、侯爵の無実を訴えながら自害したと聞いているわ。ふたりの子供と共に、炎に巻かれてね」
「むごいな」
「ええ、そうね。でも、真実は違うのよ。侯爵夫人が自害したのは本当。けれど、ふたりの子供は逃げ延びていたの。焼け跡から見つかった子供ふたり分の骨は、別の……事前に病気や事故でなくなっていた子供の遺体を利用したのだそうよ」
 なるほど、と、声に出さずに納得して、シーラは頷いた。
 他にいくらでも死にようがあっただろうに、わざわざ焼身自殺などと言う方法を選んだのは、死体が誰のものか判別できては困る、と言う事か。
「ともかく、ローゼンタール一族の人たちは、そうして滅びた事になっている。罪の一族として葬られたの。ローゼンタール侯爵は、このファンドリアでは珍しいくらい清廉潔白な人物で、罪の真実は別のところにあると思うけれど、とにかく、そうして片付いてしまった」
「子供の性別は?」
「女の子と男の子よ」
「ではもしや、その男の子供が、私が探しているエルディラーン様と言う事は……」
「ないわ」
 アーシェリナは一片の迷いも見せず断言し、シーラの胸に湧いた不安を霧散させた。
「その男の子こそが、セインだもの」
 シーラは言葉もなく、アーシェリナを凝視した。アーシェリナは、そんなシーラを強い眼差しで受け止めてくれた。
 驚いた。驚きはしたが、同時に納得もした。その事実は、アーシェリナが世間に知られていないだろうローゼンタール家の真実を知り、逃げるようにファンドリアを飛び出した理由に、充分過ぎるほどなる。
「貴女がエルディラーン様と呼ぶ人は、ローゼンタール家にとって、どんな人なのかしら」
「親戚だと聞いている。事情があって、生まれてすぐに預けられたのだと。だからもしや、息子として育てられたのかと……だが、それがセインであると言うのなら、違うな。エルディラーン様は、今年二十二歳だ。セインは確か、貴女と同い年だったな」
 アーシェリナは頷いた。
「ローゼンタール侯爵の側近たちは、主の罪に巻き込まれる事を恐れて逃亡したと聞いた事がある。エルディラーン様がローゼンタール家と親戚関係にあると言うのなら、きっとその中に居るのでしょうね。何人か見つかって処刑されたらしいけれど、その中に子供や少年が居たと言う話は聞いた事がないから、きっと今も、どこかで生きているのでしょうけれど」
「行方を追うのは、難しそうだな」
「……ええ」
 シーラは固く組み合わせた両手に額を預け、長い息を吐く。気が重かった。けれど、まだ希望が残っている事は救いだった。
 どうか、どこかで無事に、健やかに暮らしていますように。
 シーラは祈る。神と、星の瞬きとなって空にあるエルリックに。「どうかエルディラーン様に巡り会わせてください」と。
「手がかりもなく探すしかないが――当時のローゼンタール家の内情が判れば、何らかの手がかりになるかもしれんな。そして、私が当時の事を知るための手がかりは、今のところセイン殿しかない」
「当時のセインはまだ幼かったから、詳しく覚えているか判らないけれど、でも、一緒に暮らしていた親戚のお兄さんの事くらいは、きっと……」
「よし」
 シーラは手を伸ばし、アーシェリナの手を掴む。急な事に驚きを隠せないアーシェリナを見つめ、シーラは笑った。
「利害の一致だ、アーシェリナ殿。私も、貴女と一緒にセイン殿を探そう。おそらくそれが、エルディラーン様への一番の近道だろうから」
「シーラ……!」
 アーシェリナの表情が綻び、安堵交じりの微笑みへと変わった。ファンドリアに到着する事で、今度こそお別れだと、心細く思っていたのかもしれない。
 アーシェリナの温もりをてのひらに感じながら、シーラは頷いた。ともすれば悲観しそうになる己の弱い心を、振りきるために。
 探し人への道はあてのない、険しいものとなった。けれど、完全に失われたわけではない。神は試練だけでなく、素晴らしい偶然をもシーラに与えてくれたのだから――こんなところで諦めてはならない。
「アーシェリナ殿。貴女は重要な秘密を私に話してくれた。だから、私も話そうと思う。私がなぜひとりで旅に出て、エルディラーン様を探しているのか……」


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