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四章外伝

11

 タイデルに到着してすぐ、シーラとアーシェリナは、全ての宿屋の名や位置を確認し、聞き込みをはじめた。
 宿に泊まっていてくれれば、これで見つかるか、少なくとも情報は掴めるはずだ。セインは髪の色も瞳の色も珍しい類であるから、客として来ていれば店の者なら大抵覚えているだろう。
 だが、どこぞの民家に部屋を借りていたとなると、情報が得られる確率はぐんと下がってしまう。目立つ容姿である事は変わらないので、目にした者が覚えている可能性は高いかもしれないが、そもそも、誰が目撃したのか見当をつけるのが難しくなるからだ。
 アーシェリナはチャ・ザに幸運を祈りながら歩き続け、店の主人に訊ねては落胆するを繰り返し――町の片隅に立つ古い宿屋で、ようやく目を輝かせた。
「ああ、そんな人なら、数日前まで、うちに泊まってたよ。怪我だらけでさ。あれだろ? 陰気な感じの、けっこう綺麗な顔した男だろ?」
「……本当に、こちらに?」
 ソフィアを抱くアーシェリナに詰め寄られた宿屋の主人は、勢いに飲まれたのか、あまりの美貌に近付く事すら恐れたのか、すぐさま一歩後ずさる。
「本当さ。セインって言ったっけ? ここら辺のやつら、そいつに感謝してるくらいなんだ。ラキシエル先生を何日か引き止めてくれてさ」
「ラキシエル先生とは……」
「旅をしているお医者様だよ。貧乏人でも嫌がらずに治療してくれる、腕のいい先生でさ。つっても、『治療費がほとんどもらえないので、宿代が払えません』なんて悪びれもせず言う、ちょっとずうずうしい人でもあってね、まあその方が、こっちも遠慮なく診てもらえて気楽だったし、この街に居るあいだは、ずっとここに泊まってもらってたよ。ただで。ま、ラキシエル先生に診てもらいたくてこの店に来たやつらがついでに飯食ってったり、患者だったやつらが『ラキシエル先生に食べさせて』って野菜とか肉とか置いてったり、掃除手伝ってくれたり、結果的に損はなかったんだろうけどさ」
「そうですか……それで、その人がどうしてセインと一緒に?」
「さあ。そう言う人だから、怪我人拾って放っておけなかったんじゃないか? 『次の街に行きます』って言って出てったその日にそいつ拾って帰ってきてさ、また何日か泊まってったんだ。その間に、うちの女房が風邪こじらせたから、俺としてはそのセインってやつに怪我してくれてありがとうって言いたいくらいだよ。先生がちゃっかり、『この子僕の助手になるんで、この子の分もただにしてください』って去り際に言った時はちょっと驚いたけど」
 アーシェリナは胸を撫で下ろした。セインが生きていて、腕のいい(性格も別の意味でいい)医者に診てもらえた事が判り、安心したのだろう。シーラも、その点では安心した。心のどこかでセインを呪っていたので、死んでいては寝覚めが悪い気がしていたからだ。
「そう言えば、人を探している風だったけど、もしかしてあんたかな。豊かな黒髪の綺麗な娘さんと、一歳くらいの子供って言ってたし」
「あ――はい。多分、そうです」
 アーシェリナは表情を更に明るくし、強く、何度も頷いた。
「そっかあ。その、なんだっけ? セイン? そいつが動けるくらいに回復したら、すぐに出てっちゃったんだよ、ふたりで。こんな事になるなら、ひきとめておけばよかったな。悪い事したなあ。助手って言ってたくらいだから、たぶんふたりで一緒にいると思うけど、どこに行くとか言ってなかったし。多分さ、先生がそう言う主義なんだと思うんだ。どこに行くって言っちゃったら、呼びに来るやつとかいそうだろ? そう言うの、やってほしくないんだろうなって感じた」
 アーシェリナは残念そうに少しだけ肩を落としたが、本当に少しだった。「どこに行ったか判らない」と言う絶望に勝る、「生きて自分を探してくれている」と言う希望があるからだろう。
 シーラはもうこれ以上情報を引き出せないと悟ると、店の主人に礼を言い、アーシェリナの背を押して店を出た。自分たちが今晩を過ごすためにとった宿に帰るために歩きながら、考える。
 タイデルから出ている街道は三つある。そのうちのひとつ、南のタラントへ通じる街道は、シーラたちが進んできた道だ。人を探しながら進む中で、わざわざ街道を外れはしないだろうから、セインたちが南の街道を使っていれば、よほどの事がない限り、シーラたちとすれ違う事になる。つまり、南へ行った可能性は、無とは言わないもののかなり低いと言っていいだろう。
 残りはふたつだ。東と西。東はシーラの目的地であるファンドリアに繋がる道で、西はここタイデルからはじまるテン・チルドレンを繋げる街道であり、やがてベルダインへ辿りつく――シーラがあえて今回通らなかった――道だ。
「二択だ、アーシェリナ殿。西と東。どちらを選ぶ?」
 アーシェリナは迷っているようだった。
「東に賭ける気はないか」
 急かすように、シーラは言った。
 シーラはセインの事をほとんど知らないし、ラキシエル先生とやらの事はもっと判らない。だから、ふたりがどこへ向かったかなど、想像もつかない。だとう言うのに東を進めたのは、アーシェリナに自分の目的地と同じ東を選んでほしいから、ただそれだけだった。
 もしアーシェリナが西に行くと言えば、そこで道が分かれてしまう。シーラはこのいかにも頼りない母子と別れたくなかった。この母子がふたりだけで生きていけるとは到底思えず、もし別れてしまえば見捨てたような気になって、きっと毎晩、「どこかでのたれ死んでいるのではないか」とうなされるだろう。だからと言って、主君に命じられただが目的を忘れて西に同行する事は、もっとできない事だ。だから、彼女たちが自分と共に東に来てくれる事を願ったのだ。
「西か、東か、なら――私も、東ではないかと、思っています」
「そうなのか?」
「東の街道はファンドリアに続きます。私達の、故郷です」
 シーラはふと、自身の目的地を語った日の事を思い出していた。
 アーシェリナはあの日、重苦しい空気をにじみ出し、苦しそうに、ファンドリアの名を呟いた。あれはどう見ても、愛すべき故郷の名を口にした様子ではない。
 ならばきっとその国は、彼女にとって――もしかすると彼女の愛する少年にとっても――苦い思い出があるところなのだろう。そう言えば彼女は言っていた。色々なものから逃げてきたと。その中に、ファンドリアと言う国も含まれているのだろうか。
「私たちが一緒に行動していたら、絶対に帰らないところです。意図的に分かれて行動したとしても。けれど、探すためならば、もしかすると」
 アーシェリナは顔を上げ、シーラを見つめ、迷いながらシーラの名を呼んだ。
「シーラさん」
 シーラは軽く笑い、言い辛そうなアーシェリナに代わって続けた。
「『ファンドリアまで一緒に行ってください』と言おうとしたのか?」
 アーシェリナはゆっくりと頷いた。
「本当は、連れて行ってください、と言おうとしたのですが」
「そう言う一方的な関係はやめよう。私も重いし、貴女も気を使う。互いに助け合い、利用しあおうではないか。私だって、ひとり旅は何かと不便だったから、同行者がいるのはありがたい。それに故郷だと言うのなら、貴女は私よりいくらかファンドリアを知っているだろう? ファンドリアに着いた時には、協力してもらいたい」
「シーラさん……」
 泣きそうな目でしばらくシーラを見上げていたアーシェリナは、やがて頭を下げた。
「だから、そう言うのをやめよう。私が貴女たちを養うわけでもなし。私たちは同行者、と言うのも寂しいか。協力者……いや、仲間だ。少なくとも、ファンドリアまでの間はな」
 シーラは微笑み、そっと右手を差し出す。
 アーシェリナも同じように微笑んで、ソフィアを片手に抱きなおすと、右手を差し出した。
「しばらくよろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 ふたりの手が、しっかりと、固く結ばれる。
 その時ソフィアが右手を上げたのは、ただの偶然だろうか。それとも彼女も、この結びつきに参加したかったのだろうか。


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