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四章外伝



 ベルダインの夕空は、雲ひとつなく晴れ渡り、鮮やかな朱が広がっている。それは数十年に一度のめでたき日を祝ってくれているかのように思え、男の表情は空と同じように晴れやかになっていた。
 厳密に言えば、めでたき日が今日であると確実に決まったわけではない。だが男には、そのように瑣末的な事を気にする余裕がなかった。はやる気持ちを抑えきれず、妻が昼過ぎからこもっている部屋の前を、何十往復も繰り返しているくらいなのだから。
 本来なら男は、動揺を表情や行動に現して無為な時間を過ごす事を許される立場ではなかった。だが、今日だけは特別だ。立場を忘れ、ひとりの男、ひとりの父親として、情けない姿をさらしてしまうほどに、大切な日なのだから。
「およしなさい」
 長い通路の向こうから、優雅な足取りで近付いてきた中年の女は、一時は扉の前で足を止めていた男が再び徘徊をはじめる様子を見咎めて言った。
「一国の王ともあろう殿方が、落ち着きを知らないなどと、みっともない事ですよ」
「ですが」
「殿方が何をしようと、子供は産まれてくるものです」
 女は呆れ交じりのため息をもらす。
「ですが、母上。私だけではなく、国民すべてが待ち望んだ日が、今にも訪れようとしているのですよ。おちつかないのも無理はないでしょう」
 息子の言い訳を聞いて、女は多少納得したのか、眉間に刻んだ皺の数を減らした。
「喜ばしいできごとが起ころうとしている事は否定しません。このわたくしとて、心は浮かれて……」
「そうでしょう?」
 母親の同意を得た男は、得意げに胸を張って頷くと、母の言葉を遮って話を続けた。
「実は、生まれてくる子の名も決めてあるのです」
「そんな勝手な。お前ひとりで決めていいものではないでしょう」
「判っておりますが、いいではありませんか。父親権限で、候補のひとつくらいには、無理やりねじこむつもりです」
「そこで国王権限を使おうとしないところを、褒めてやるべきなのでしょうかね」
 女は再び呆れ交じりのため息を吐いたが、しかし息子をたしなめるような言葉は口にしなかった。
 母が厳しくとも優しい人でもある事を、男は知っている。実の子に付ける名前さえ自由にならない立場にある息子を哀れみ、想像する自由くらいは許してくれたのだろう――はじめての子を産んだ二十八年前の自身の不自由を思い出しながら。
「それで? まだ王子か姫かも判っていない状態で、どちらの名を考えたのです?」
 男は十も二十も若返ったかのように、無邪気な笑みを浮かべた。
「もちろん、両方です」
「そうですか」
「ええ。生まれてくる子が姫であれば、エリーシア。世継ぎの王子であれば――」
 男はひと呼吸挟んでから続けた。
「エルディラーンと、そう、名付けたいのです」


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