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四章

16

 ラキシエルは夕食時にセインに告げた。「後で話したい事があるんだ」と。
 ふたりきりの空間を作れさえすれば、いつ話してもいい事だった。むしろ、早いほうがいいくらいだ。けれど少しでも先延ばしにしたいと言うのがラキシエルの本音で、ライネの様子を見る事を言い訳に、部屋に戻るのを遅らせた。
 ライネの部屋でラキシエルは、健やかに寝息を立てるライネの顔を長い事見つめていた。このままここで朝を迎えてしまおうかと、考えなかったと言えば嘘になる。だが逃げる事の無意味さを知っているラキシエルは、覚悟を決めて席を立ち、部屋に戻った。部屋の扉を開けると、セインは椅子に座って、ラキシエルの帰りを待っていたようだった。
 ラキシエルは一瞬だけ戸惑ってから、セインの正面に椅子を運び、そこに座る。正面から見ると、セインの表情は悲壮に見えた。横からあたるランタンの灯りのせいで錯覚しているだけかもしれない。
 椅子に腰かけてすぐに、ラキシエルは深呼吸をした。けれど、すぐに話を切り出せなかった。ラキシエルは内心焦りはじめたが、セインはけしてラキシエルをせかそうとはせず、黙ってラキシエル言葉を待ってくれた。
 きっとセインは判っているのだろう。ラキシエルが、セインに何を告げようとしているのか。
 それを感じると、ラキシエルは口を開いた。判っている答えを待たせるような残酷な事を、これ以上したくなかったからだ。
「ライネちゃんには、この先も僕が必要だと思うんだ」
「ああ」
「これまで通り過ぎてきた町や村でも、今頃僕を必要としているかも知れない。そう考えると、ライネちゃんやこの町だけずるいと思ったりもするけれど、でもやっぱり、目の前に助けられる人が居るのに、僕しか助けられないと判っているのに、置き去りにする事はできそうにない」
「そうだろうな」
 あっさりと頷くセインを見つめながら、ラキシエルはもう一度深呼吸をした。今度は言葉に詰まる事なく、すぐに次の言葉を紡いだ。
「だから、君とはここでお別れだ」
「え?」
 セインが驚く。その反応が予想外で、ラキシエルも驚いてしまった。
 だが、すぐにセインが驚いた理由に気付いた。セインはきっと、ラキシエルが「ライネのためにこの町に残る」と言い出す事までしか予想をしていなかったのだろう。そうした時に自分がどうするかは、考えていなかったか――あるいは、ラキシエルが「一緒に残ってくれ」と言うと思ったのだろう。
 そんな事、言うはずがない。言えるはずがない。
「セイン、僕は君に、本当に感謝しているんだ。君に出会う事で、生きる勇気が湧いてきたと思う。生きていていい存在なんだと、自分を認められるようになったんだって。こんな事言うと怒られるかもしれないけど、今ではね、ときどき、フィアナの事を忘れて眠る日があるんだ。昔の僕からは信じられないよね」
「ラキシエル?」
 そんな事は訊いていないとでも言いたげに、セインは肘かけに手をつく。ラキシエルはセインが立ち上がろうとしている気配を察し、手を伸ばして制した。
「君は大事な人たちを探しているんだろう?」
 セインは戸惑いながら、ぎこちなく頷いた。
「僕たちには、旅をする目的がありながら、目的地が判らないと言う共通点があったから、今日まで一緒に旅する事ができたんだ。でも今は違う。一生のではないだろうけれど、ここが僕の目的地になった。だから僕はこれ以上旅を続けられない。けれど君は、この先も旅を続けなければいけない――ここでお別れするのが、必然なんだよ」
 沈黙が耳と胸に痛くて、ラキシエルは軽く指を絡ませていた両手に力をこめた。固く握り合わせた両手に生まれた力が、自分に強さを与えてくれるような気がしたからだ。
 目を反らさずにセインを見上げる。引き締まった唇以外の表情に、少しずつ変化が現れはじめた。寂しさが色濃く見えたので、ラキシエルは彼が自分の言葉を受け入れ、納得してくれているのだろうと感じた。
 ラキシエルは、共に旅してきた四年間の中で、セインについて疑問に思っていた事があったのだが、その答えを今、提示された気がした。
 セインはけして人懐こいほうではなく、むしろ人間不信に近い傾向がある。奴隷として生きる日々の中、よほど酷い目にあったのだろうと、推察するのは容易だった。そんな彼が、なぜ自分と共に居てくれるのだろうと、ラキシエルは疑問に思っていたのだ。はじめに無一文と言う弱点を突いてむりやり同行させたのはラキシエルだが、四年もあればいくらでも離れる機会があったはずだ。
 きっとセインは、愛情に飢えているのだろう。そして、永遠にしろ一時的にしろ、血の繋がった家族や家族を産んでくれた女性を失ってしまった彼に、無条件に愛情を与えてくれる相手は、ラキシエルしか居なかった――だから彼は今、寂しいのだ。ラキシエルとの別れを、惜しんでいるのだ。
 ラキシエルとて、別れが惜しいのは同じだ。ひとりで平気だと虚勢を張れるほど弱くないし、本心からひとりで平気だと言えるほど強くはないのだから。
 けれど、本心は言ってはならなかった。セインの本当の幸福を望むならば。セインは、捜し求める少女たちを見つけ出さなければならない。そうすれば、ラキシエルが与えるよりも遥かに大きく尊い愛情を、手に入れる事ができるはずだから。
「そんなに不安そうな顔をしないでよ。君はひとりでも大丈夫だから。出会った頃のみたいに、死を望むような悲しい瞳をしていないから」
「そんな目は」
「してたよ。自覚なかったのかもしれないけどね。でもね、その願望を、君が必死に消そうとしていたのも知ってる。生きなければならないと言う、使命感でね」
 それはきっと、他の誰よりもセインを愛した人物が、セインの生を望んだから、なのだろう。
 セインはきっと、愛情を与えてくれた者に、同じだけのものを返すのだ。だから愛してくれた者の望み通りに生きるのだ――それを知った時、セインが居るべき場所がどこなのか、ラキシエルははっきりと理解した。フィアナランツァが望んだセインの幸福は、ラキシエルのそばにあるものではない。彼が大切にしている少女たち――アーシェリナの、ソフィアの、そばにあるはずなのだ。
「行くんだ、セイン。生きる理由は、そばにあったほうがいい。いっそう生きる勇気が湧いてくる。生きるために必死になれる。君にも、そうなってほしいんだ」
 セインはラキシエルの言葉を否定しなかった。けれど戸惑いが強いあまりに、肯定する事もしなかった。
 不安なのかもしれない。たとえばここにアーシェリナやソフィアが居たならば、彼はさほど迷わずラキシエルと袂を分かっただろう。しかしアーシェリナたちが見つかる保証はないのだ。絶望を探しに行くくらいならば、ラキシエルのそばでぬるま湯に浸るほうがましだと考えているのかもしれない。その選択は逃げかもしれないが、ラキシエルには悪い逃げだと言い切れなかった。
 ラキシエルは懐をあさる。布にくるんで大事にしまっていた指輪をとりだした。
 明らかに女性用の、小さな指輪。それを見てセインは、目を見開いた。
「見覚え、ある?」
「確か、一族で最も位の高い女性が身につけるもので、かつて母のものだった。別れの日に、母が姉に託したものだ」
「そっか。フィアナがさ、この指輪を守り通した事が誇りだって言ってたんだけど、そんなに大切なものなら、当然だよね」
 ラキシエルは指輪をセインに差し出す。
 短い沈黙ののち、おそるおそると言った様子で、セインは手を出した。そのてのひらの上に、ラキシエルが指輪を落とすと、指輪は灯りを跳ね返して眩いほど輝いた。
「フィアナの形見だからと、手放しにくくて今日まで持っていたんだけど――君に返す。この指輪は、君のだ。君がいつか、自分の家族を持った時に、家族の中で一番位が高い女性に渡すべきだよ」
 未来の指輪の持ち主が、アーシェリナの名を持つ少女になるのか、ソフィアなのか、まったく別の女性なのか、ラキシエルには判らない。けれど判る事がひとつだけある。指輪が主を得た時、セインは今よりもずっと幸せになっているはずだと。
「いつかまた、会えるかな」
 ラキシエルは両手でセインの手を包み、セインに指輪を握らせた。
「その時君は、どんなふうに変わっているんだろう」


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