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四章

14

 どうやらラキシエルは、うたた寝をしてしまったようだった。
 寝台に腰かけた記憶はある。だがその後、目を閉じた記憶も、横になった記憶もない。短時間で、落ちるように、眠ってしまったのだ。
 体をゆすられた。それだけならば、気持ち良い振動によってなおさら眠りを深くしたかもしれないが、同時に名を呼ばれてしまっては、そうもいかなかった。
「おい、ラキシエル」
 ラキシエルは重い瞼を開く。
 すぐさま視界に入ってきた、蝋燭の灯りに照らされるセインの顔は、やけに神妙だった。寝ぼけた頭で、もう灯りが必要な時間になってしまったのかと一瞬思ってから、よほどの事がなければ仏頂面を貫くセインの表情が変わっている事に、異常事態の予兆を感じ取り、慌てて体を起こす。
「何かあったの?」
「何もないな」
「嘘だろ。じゃなきゃ僕を起こす必要ないし。それにどうして、そんな難しい顔をしているんだい?」
「何もないから、だな」
 セインの返事があまりにそっけなかったので、ラキシエルは一瞬やけになり、ふて寝してやろうかと考えたが、四年の付き合いでセインがそう言う人間である事や、セインの感覚がそれなりに信用できる事を知っていたので、少々嫌味交じりの口調で応えるにとどめた。
「もう少し具体的に、判りやすく説明してもらえるとありがたいんだけど」
「気が付かないのか? もう夜だぞ」
「それくらいは気付いてるよ。君も灯りをつけているようだしね」
「だと言うのに、まだ誰も食事に呼びにこない」
「あ、ほんとだ」
 言われて気付いたラキシエルは、腹部をさするように押さえる。眠気が先にあったので忘れていたが、今にも鳴りそうなほど空腹になっていった。
「まあ、食事時間の常識って言うのは、その土地によって違うからね。ここは特別、遅めに夕食……と言うか夜食を食べる地域なのかな」
「それならばいいが」
「あんまりよくないけどね。泊めてもらってる身で、ご飯いつ頃ですかって訊けないし。干し肉でも食べて飢えをしのいでおこうか?」
「もっと気になる事がある」
「何?」
「夜だと言うのに、神殿の中から子供の声がしない」
 ラキシエルはすぐさま窓の外を見た。外はやはり真っ暗で、開け放たれた窓からは、少し冷たい風が流れ込んできた。
 子供に遊び回る元気があるのはいい事だが、こんな時間まで自由に遊ばせるのは、あまり良い事と言えないだろう。ラキシエルはこの神殿の神官たち全てを知っているわけではないので、最初に案内してくれた女性の印象から、優しいがゆえに甘い教育をしているのだろうかと一度疑った。
 しかしその疑いは、扉や窓の向こうから伝わってくる慌しい空気によって、すぐに晴れたのだった。
 駆け回る明らかに大人の足音や、いくつかの名を呼ぶ声が、近くから遠くから聞こえてくる。誰か――おそらくは子供たちを、捜しているに違いない。どうやらこの神殿や町で暮らす者たちにとっても、子供たちの不在は異常なようだ。教育が悪いわけではないらしい。
 ラキシエルは扉を開け、通路を覗き見る。すると運よく、人の姿がすぐ近くにあった。落ち着きのない歩き方をする女性だ。
「何かあったんですか?」
 声をかけると、女性は振り返り、泣きそうな顔をラキシエルに見せた。大地母神の聖印を胸元で揺らしていて、どうやら彼女もこの神殿の人間らしい。
「すみません、騒がしくて。気にせずお休みください」
 見た目どおりの年齢ならば、彼女はラキシエルよりいくつか年上のようで、充分に大人と言っていい年齢だ。そんな彼女に強い不安をあらわにする表情を見せられて、黙って引き下がれるわけもなかった。
「いえ、もう、気にしないのは無理ですよ。そちらにご迷惑でなければ、状況を聞かせていただいてもいいですか?」
 女性は少々戸惑ってから応じた。胸の前で組んだ手に、力がこもった。
「外に遊びに行った子供たちが帰ってこないのです。今、町の人たちや神官長が探してくれていますが……そんなに遠くに行くはずもないのに、どうして……」
「子供たちの顔を知らないので、どれほどお役に立てるか判りませんが、探すの、お手伝いしましょうか?」
「いえ、お客様にそんな……」
「ジェシカ!」
 遠くから、女性の名を呼ぶ子供の声がする。その名の持ち主はラキシエルの目の前に居る女性のようで、彼女はラキシエルの存在を忘れ去ったかのように、意識と視線を通路の先にやった。
 そこには泥にまみれ、激しく息を切らし疲れきった様子の男の子が居た。彼は視界に入る位置に立つジェシカまでの距離を詰める体力すら残って居ないのか、その場に膝をついた。
「どうしたの!? 何があったの!?」
 ジェシカと呼ばれた女性は、少年に駆け寄り、彼の横に身を屈める。ふたりの目線が重なると、ほぼ同時に少年は大粒の涙をこぼし、ジェシカにしがみついた。
「ライ……ライネが、木から落ちて。呼んでも、返事しないんだ! すごく、血が出てて、俺たち、怖くて……どうしよう」
 今度はラキシエルが走り、少年に駆け寄った。半ば混乱した子供に乱暴だと思わないわけではなかったが、彼に気遣うより優先すべき点があると信じて疑わなかったラキシエルは、少年の肩を掴み、小さな体を軽く揺さぶった。
「怪我した子のところに案内できる?」
「え、あ……うん、でき、できるけど、でも」
「セイン、鞄持って来て!」
「判った」
 セインの脚力ならばすぐに追いつくだろうと判っていたので、ラキシエルは待つ事をせず、少年の手を取り、彼を立ち上がらせた。夜風で冷たくなった肩と背中が不憫で、優しく手を置き温めてやる。
「もう一度走れる?」
「うん、うん、大丈夫」
「いい子だ。よし、行こう」
 背中に置いた手に、そっと力を込める。すると少年は、力強く走りはじめた。

 現場はそう遠くなく、日頃あまり運動をしないラキシエルでも、なんとか走りきる事ができる距離だった。
 四、五人の子供たちと、子供たちを見つけた大人がふたり、円を描き、中心に視線を注いでいる。子供たちは全員泣いていた。静かに涙をこぼすか、大声を張り上げて泣くか、その違いはあったが。
 そんな子供たちを慰めようと、細く柔らかな手が伸びた。ジェシカだ。ラキシエルたちの後ろに着いてきていた彼女は、乱れた息を整えながら、子供たちに優しい声をかけている。取り乱した子供たちは、可哀想だと思いつつも本音を言えば邪魔な存在で、彼らを抑えてくれるジェシカの存在は、ラキシエルにとってありがたかった。
 どうすればいいか判らない様子でどまどう大人たちは、円の中心に手を伸ばそうとしていた。血だまりを広げる、ありえない方向に足を曲げた子供に、できるかぎりの手当をしようと考えたのかもしれない。
「どいてください!」
 ラキシエルがどなると、円を作る者たちは、いっせいにラキシエルを見上げた。そして、身を引いた。ラキシエルは不審人物と思われてもしかたないと覚悟していたくらいなので、彼らのその態度に拍子抜けしつつも、安堵した。もしかすると彼らも、安堵したのかもしれない。何か行動しなければと思いつつも、どうしていいか判らない中で、何かしら動いてくれる存在は、それだけでありがたいはずだ。
「先に神殿に運ぶか?」
 ライネと言う名の少女の傍らに、ラキシエルは膝を着く。同時に、追いついてきたセインがラキシエルの横に立った。
「いや。とりあえず止血を先にするよ。この量は危ない」
「そうか」
 セインは一歩下がり、それまで立っていた場所に、医療道具が詰まった鞄を開いて置いた。
「来てもらった早々悪いけど、セイン、戻ってすぐに治療をはじめられるよう、準備しておいてくれる? ライネちゃんを運ぶ時は、この人たちの力借りるから」
「判った」
「ジェシカさんも、申し訳ないですが、子供たちを先に連れ帰ってください。集中したいので」
「わ、判りました。ですが、貴方は……」
「旅の医者です」
 ラキシエルは袖をまくりながら答えた。
「いきなりで難しいかもしれませんが、信用してください。今の僕に言えるのは、それだけです」


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