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四章 芽生えたもの


11

 暗い森に眩い光が溢れる。
 光は一瞬にしてはじけて消えたはずだったが、森を永遠に照らし続けるのではと錯覚するほどの存在感を示した。神の光をはじめて見るわけではないリタですらそう感じたのだから、聖騎士たちやナタリヤの感動は大きかったようで、皆一様に呆然とし、立ち尽くしている。
 直前まで魔物と戦っていた事を忘れてしまったのだろうか。周囲を見回したリタは、呆れてため息を吐いた。光によって魔物は全て消え去ったので、間抜けに突っ立っていても大きな問題にはならないのだが、それにしても間抜けすぎはしないか。
 魔物は全て消え去った?
 リタはふいに、蜂蜜色の髪を持つ少年の事を思い出した。どうやら、聖騎士たちを冷たい目で見る権利などなかったようだ。自分だって、光によって思考能力を奪われていたのだから。
 ユーシスよりも先にアストを見つけた。疲れた顔をしている。当然か、とリタは思った。今日アストが放った光から感じた力は、四年前に一度だけ見た光を、遥かに上回っていた。意図的にそうしたのか、自身の力を制御できなかっただけかは判らないが、おそらくは後者だろう。先ほどまでの彼に、自分を抑えるだけの精神力を求めるのは、酷と言うものだ。
 少し離れたリタにも聞こえるほど激しい呼吸を繰り返し、肩を上下させるアストは、細めた目で前方を見つめていた。彼の表情からは、どうなっているか予想がつかなかった。
 アストのそばに立つカイを見てみる。顔には完璧と言えるほどの無表情が張り付いていて、状況を読むのは難しかった。
 リタは仕方なく自身の目で確かめる覚悟を決め、ふたりが見つめる先に視線を送る。
 人が倒れていた。この場に居る誰よりも小柄で、細い体の――ユーシスだ。
 安堵のあまり体から力が抜ける。倒れ込みそうになったが、それはあまりにみっともないと、リタは手近に立つ者の肩を勝手に借りる事で、何とか立ち続けた。
 リタの体重がかかる事で、ナタリヤは正気を取り戻したようだった。何が起こったのか確認するように周囲を見回し、よろけているリタを心配そうに見下ろした彼女は、ユーシスの無事――がはっきりと確認されたわけではないが、他の魔物と共に消滅しなかっただけでも少しは救われる――を知ると、両手で自身の口元を抑えた。そうして、勝手に飛び出そうとする感情を抑えているのだろうか? 声に出さなくとも、潤む瞳や震える体が、充分すぎるほど語っていると言うのに。
「ユーシス……」
 剣を鞘に納めたアストが走り出した。力の無い足を無理に動かす、ぎこちない格好で。半ば転ぶような形でユーシスの傍らに膝を着き、うつ伏せに倒れるユーシスの体を抱き起こすと、顔を覗き込んだ。
 ふたりに駆け寄るべきなのかもしれない。駆け寄って、癒しの力を使ってやるなり、両腕を貸してやるなりで、助けてやるべきなのかもしれない。しかしリタは、今のふたりに近付いてはいけないと感じていた。
 皆、同じ事を考えているのかもしれない。カイも、ナタリヤも、ハリスも、他の聖騎士たちも、アストとユーシスに近寄ろうとせず、その場から一歩も動かないで、無言でふたりを見守っていた。
 アストの腕から力が抜け、ユーシスの背中が地に触れると、見守る者たちの間に緊張が走る。
 涙がアストの頬を伝いはじめた時、悪い結果になってしまったのだと、リタは覚悟した。強く唇を噛む。ナタリヤに頼るのをやめ、自由になった両手を、きつく組み合わせる。他の者が見れば祈っているように見えるかもしれないが、どちらかと言えば運命を呪っているのだと、リタは自覚していた。
 だから、涙に濡れたアストの顔が、徐々に笑顔に変わりはじめている事に気付いた時、絡みあった指を解放した。
 再び自由になって行き場を失った両手は、感激のあまりはしゃぎだしたナタリヤに掴まれ、振り回される事となった。無礼な、と振り払う事も許される立場にあるリタだったが、そうはしなかった。一緒になってはしゃぎ回るどころか、いっそ抱き付きたい気分だったのだから。
「あっ……し、失礼いたしました!」
 しばらくしてから気付いたナタリヤは、慌ててリタの手を放し、しきりに頭を下げる。
「気にしないで」と返してナタリヤの背中を軽く叩くと、リタはもう一度辺りを見回した。ユーシスの無事を、泣いて喜ぶアストを、周囲の人間がどう受け止めているのかを見届けるために。
 大なり小なり戸惑いを見せる聖騎士たちは放っておく事にした。おそらく、ユーシスがアストのそばに居る事に対し、不満や嫌悪を強く抱いている者も居るだろう。元々ユーシスを魔物の子として見ている者なら尚更だ。だが、アストが起こした奇跡を見た直後に、強行に出る者はさすがに居ないだろう。居たとしても、ジオールやハリスが抑えてくれると信じる事にした。ふたりとも、部下の管理ができないような人間ではない。
 直立してアストを見つめていたカイが、視線をアストに向けたまま、少しだけ楽な姿勢を取った事に、リタは気付いた。彼もやはり不安を抱き、心配していたのだろう。そして、アストにとって良い結果が出た事に、安堵しているのだ。
「ちょっと冷たかったんじゃないの?」
 からかうような口調でリタが話しかけると、カイは振り返った。
「何の事だ?」
「さっきの、アストに色々言っていたでしょう。黙って聞いていただけの私も同罪なんだろうけど――アストにとって間違いなく辛い選択だったんだろうなあ、って思ったのよ」
 ユーシスは助かった。ならば、苦しみ悩んだ事実を、良い思い出として昇華する事は可能だろう。
 だがそれはあくまで結果論だとリタは思う。もしもユーシスの命が失われるとの結果で終わっていたら、アストの心には、一生涯消えない傷が刻まれていたかもしれないではないか。
「誰のところにも、辛い選択を強いられる時が来るだろう」
 何気ない口調で語られたカイの言葉は、リタの胸を少しだけ痛くした。
「貴方にとってそれはいつだったの」と訊いてやりたい。訊いたところで自分が傷付くだけだと判っていたので、必死に我慢をしたが。
「アストは今日だった。それだけの話だ」
 リタはわざとらしく肩を竦め、唇を尖らせた。
「強いた本人に言われても、あまり説得力がないわね。はたから見ながら、小さな子をいじめなくても、って思ったし」
「アストは十四歳だぞ?」
「充分子供の範疇じゃない」
 間髪入れずに反論すると、カイは緩く腕を組んでから続けた。
「君が魔物狩りとして生きる事を決断したのは、辛い選択ではなかったか? 当時の君の年齢は、今のアストより下だったと思うんだが」
「ひと括りにしていい話かしら。それに、私の場合は私が答えを出すしかなかったけど、アストの場合は違うんじゃない? 誰かが提示した答えをアストに強いれば、それで充分だったんじゃないかしら」
「悪い結果は全て俺が背負えと?」
 落ち着いた声には特別な感情が入っているようには思えなかったが、不満が込められているように感じ取ったリタは、それをかき消すように力強く肯いた。
「貴方はアストの父親なんだから、それくらいしてあげてもいいじゃない」
 カイは口を開く前に、まず苦笑いで答えた。
「そうしてやりたかったのはやまやまなんだが、あまり過保護すぎるのも問題だと、最近思いはじめたところなんだ」
「今更?」
「言われると思った。だが、今でこそ、でもある。俺がわざわざ君を呼び寄せた事で、判ってくれると思うが」
 アストを見守るカイの視線が、愛しい息子を見守る優しく穏やかな眼差しから、真剣な眼差しへと変化する。
 息を飲み、口を噤んだリタは、カイから目を反らした。
 カイから届いた手紙の内容を思い出す。簡潔な文章で、最後にもう一度だけ力を貸して欲しいと書いてあったのだったか。
 手紙には詳しい説明がなかったため、自分が何をすべきなのか、リタは未だに理解していない。しかし、「最後」の言葉が示す意味を理解していないわけではなかった。
 とうとう時が満ちたのだとリタは知った。アストは神の剣を手に、魔獣を倒しに行かなければならないのだと。
「そうね。アストはもうすぐ、貴方を頼る事ができない場所に、ひとりで行かなければならないのよね」
「ああ」
「ひとりで決断して、ひとりで行動する事に慣れた方がいいのは確かだけど――やっぱり今更だわ」
「耳が痛いな」と小さく呟きながら、カイが笑う。
 何でもないふりを装っているが、内心ではかなり堪えているようだ。そう察したリタは、長い息を吐く事によってくすぶる不満を片付けると、アストたちの様子に異常がない事を確認してから、踵を返した。
「リタ様、どちらに?」
「戦いが終わった後の私がやる事なんていつも同じ。怪我人の治療よ。被害を減らせば減らすほど、あの子たちが負うものも軽くなるだろうしね」
 リタは歩きながら背中越しに小さく手を振る。すると、僅かな間を開けた後、小走りで近付いてくる足音が鳴った。
「微力ながら、私もお手伝いします」
 横に並んだナタリヤに、リタは満面の笑みを見せる。
「ありがとう。助かるわ」
「リタ、俺も手伝お」
「貴方は邪魔だからいらない」
 力強く、はっきり言い切る事でカイの言を遮ってからリタは振り返る。驚きのあまり目を見開いたまま立ち尽くしているカイの様子は、少しおもしろかった。
「邪魔はさすがに言いすぎたけど。でも、近寄りがたいとは言え、放置しておくのはどうかと思うからさ。そばに居てもおかしくないのは、やっぱり貴方でしょう」
 リタは腕を伸ばし、迷いなく一点を指し示す。
 そこにはアストとユーシスが居て、リタが言わんとした事を理解したらしいカイは、強い困惑を笑みに混ぜ込んだ。


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