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二章 封印




 アスト――正しく言うならば、アストの持つ剣――を中心として、光が弾けた。
 光が周囲にある全てを飲み込んだのはほんの一瞬だったが、ごく限られた者を除き、人間も魔物も、等しく目が眩んだ。光に背を向けていた者も、目を閉じていた者もだ。
 例外は、封印の儀式に集中しているアストとリタを除けば、カイだけだった。戦場を自由に動ける唯一の存在となったカイは、絶好の機会を逃すほど愚鈍ではなく、目を押さえながら騒ぐ魔物を何体か切り捨て、あるいはがむしゃらに暴れる魔物から逃げ道を見失った聖騎士を救出した。
「ありがとう!」
 はっきりと目が見えていない聖騎士の青年は、救い主か誰か気付かぬまま、気安く礼を口にした。もし相手がカイだと気付いたらどれほど慌てふためくのか、興味がないわけではなかったが、わざわざいじめる事もなかろうと、声を出さずに軽く肩を叩いてその場を離れる。
 時間と共に、皆が徐々に視力を取り戻しはじめていた。一概には言えないが、平均して、魔物たちよりも人間の方が回復が早いようだ。元々優勢ぎみだった聖騎士たちは、未だ目が眩んだままの魔物たちを、圧倒しはじめていた。
 強い脚力を持った魔物が大地を蹴り、人の壁を飛び超えて姿を現したのは、カイが勝利を確信した時だ。
 再度の封印を阻止するため、アストやリタを狙って来たのだろう魔物は、運が悪い事に、カイの目の前に着地する。再度地面を蹴る余裕を与える事なく、首を鋭く突くと、魔物は地面に赤黒い池を造りながら倒れ込んだ。
「お怪我はないようですね」
 カイと同様に、人垣を乗り越えて現れた魔物を切り捨て、背後のアストを守りきったハリスが言った。
「かすり傷ひとつない。たとえあったとしても気にするな」
「お命さえご無事ならばよろしいとでも?」
「まあ、そう言う事だ。役目を果たせなくなるような後遺症を負ったら困るだろうが、そうはならないしな。俺の事は放っておいて、アストの護衛に専念してくれ。優勢とは言え、戦力が有り余ってるわけではないんだ」
 突然影が生まれたので、カイは空を舞う魔物を警戒し身構えたが、羽に大量の矢の雨を浴びて失速するのを確認すると、視線を地上へ戻した。
「私の隊の任務はアスト様とカイ様をお守りする事です」
「言われなくても知っている。それに俺は、『俺の命なんかどうなってもいい』なんて、無責任な事を言っているつもりはない。アストも、リタも、俺も、全員が生還するためには、俺を無視してふたりを守った方が確実だ、と提案しているだけだ。何が不満なんだ。仕事が楽になっていいだろう」
 ハリスはまだもの言いたげな顔をしていたが、諦めたようで、それ以上何も言おうとはせず、鋭い眼差しを大地や空に向けた。一分の隙も作らずアストを守り通そうとの意志がこもった眼差しは頼もしく、カイは安心し、視線をリタにずらした。
 彼女もアストと同様に、頼もしい男に守られている。ジオールはリタのそばで、時に左手に持った剣で魔物を切り裂きながら、部下たちに指示や激を飛ばしていた。
 カイは最後に、鞘が突き立つ大地を見た。神の一族しか触れる事のできないそれは、誰かの守りを得る事無く、孤高の姿を保っている。額に汗し、熱心に祈り続けるアストやリタと違い、涼しげに祈り続けるシェリアの美しい横顔が見えるようで、カイは思わず目を細め、顔を反らす。
 剣を持つアストの手が震えはじめている事に気が付いた。疲労が小さな体にのしかかっているせいであろうか。それとも、内側から沸き出る力が、小さな体を執拗に責めているからか。
「もういい」と、止めてやる事ができれば、どれほど気が楽だろう。アストに頼らずとも、地上を救う術があればいいのに――神に祈る事を知らないカイが、神に祈りたくなるほどに、アストの姿は痛々しいものだった。
 せめて封印が早く終われば良い。カイはアストを見つめながら願ったが、完成までにあとどれほどの時間が必要なのかは、カイにすら判らない事だった。祈りの言葉は完成しており、あとは待つしかないのだ。アストと、リタと、シェリアだったものが放つ力が、洞穴の入り口を塞ぐ瞬間を。
「封印の完了までにいかほど時間が必要か、お判りになりますか?」
 空の一点を見つめながらハリスが言った。
「いや、判らない。アストとリタ次第としか言いようがないんだ。もしかすると、封印が終わるよりも、魔物たちを全滅させる方が早いかもしれないな」
「それは、少々難しいかと」
 ハリスの口ぶりが気になり、カイは彼が見つめる先を見た。青空の中に点在する黒い影を目にすると納得し、ハリスの隣に並ぶ。
「俺は基本的に魔物は嫌いだが、中でも一番嫌いなのは、羽が生えていて空を飛ぶやつなんだ」
「私もです」
 簡潔に同意を示すハリスの態度に、カイは小さく笑った。隣に立つ男が、「エア」についてだけではなく、「ジーク」について語れる唯一の人物である事を思い出したからだ。
「ここは任せた、向こうは俺が行く、と言いたいところだが……」
「カイ様」
「やめておく。ここは俺や他の聖騎士たちに任せておけ」
 カイがハリスの目を見ると、ハリスは強く肯いた。
「申し訳ありません。一度こちらを離れます」
 走り去るハリスの背を見送ってから、カイは周囲の警戒を強める。
 周囲は地を駆ける魔物と聖騎士たちの戦いが強固な壁となっており、聖騎士たちの敗北の様子がない今、先ほどのように高く跳ぶか、あるいは飛ぶ以外に、カイたちの元に魔物が到達する術はない。この争いの中で最も安全な場所と言って良い程だが、魔物たちが最も狙いたい場所であるのも確かなため、気を抜くわけにはいかなかった。
 ちょうど地に伏した聖騎士を踏み台に、数匹の魔物が飛び込んできた。周囲に構える聖騎士たちの数や立ち位置と、脇目も振らずに洞穴を目指してくる魔物たちとを脳内で照らし合わせた結果、絶対に任せられない一匹を見つけたカイは、それを自分の相手と決めた。
 迫り来る魔物の体を狙って剣をなぎ払う。だが魔物は素早く身を引き、鼻先を掠めるのみだった。
 魔物は、長く伸びた角をカイに向けたまま、その場で土を均す。鼻息が荒く、傷付けられた事で腹を立てている事は明らかだった。
 魔物は前触れもなく、カイに向けて突進してきた。カイは当然避けたが、カイの後ろにはアストが居る。ただ避ける事によって、魔物がアストに突進するのを許すわけにはいかず、魔物の足に力強く剣を叩き付けた。
 足を痛めた魔物は、体を大きく傾けたが、倒れ込むまではしなかった。皮膚が固いからか、それとも当たり方が弱かったが、腫れた足に刻んだ傷は思いの外小さく、残り三本の足に大きく頼りながらも何とか立ち、カイに向き直る。
 カイは舌打ちし、再度魔物に切っ先を向けた。
 なかなか戦いにくい相手だった。角は鋭く、突進の勢いと合わせれば、人間の体などあっさり貫けると予想できるからだ。避ける事は難しくなさそうだが、下手に避けてしまえば、アストの体が貫かれてしまう。幼いゆえに脆い体や精神で、角の一撃を食らえば、一体どうなる事か。きっと耐え切れまい。
 今度はカイの方が先に地面を蹴った。魔物の角を根本から叩くと、折れるまではしなかったが、魔物の体が大きく揺らいだ。
 崩れかけた体勢を持ち直すため、痛めた足に体重の大部分をかける事となった魔物は身を屈めた。だが、足以外はさほど傷付いていないため、鼻息を荒くしたまま、自由に動く首を大きく旋回させる。
 追撃のために近付いていたカイは、側面から迫る角を避けるためにいったん身を引いてから地面を蹴り、魔物との距離を詰め直したが、即座に魔物の角が正面から迫ったので、後方に跳びながらそれを避ける。着地と同時に体勢を整えたが、魔物もほぼ同時に四本足で立ち上がっており、カイに向けて跳びかかってきた。
 魔物は足の負傷のため当初の素早さを失っており、警戒していた角の一撃は容易に避けられた。しかし、間髪入れずに続いた牙の攻撃は避けきれそうにない。カイは左足を振り上げ、大きく開いた魔物の口に放り込んだ。下手な部位に喰いつかれるよりは、はじめから鎧に守られている場所を差し出した方が良いと判断しての事だが、脛に噛り付いた魔物の牙や顎の力は、カイが予想していたよりも強く鋭かった。
 鉄製の脛あてが歪み、カイの足を圧迫する。
 痛みを飲み込みながらカイが剣を振るうと、魔物は一瞬カイのそばを離れたが、避けきれずに背中を切られた事に気を立て、すかさず飛びかかってくる。カイの足元に向いていた角を素早く振り上げ、カイの足を掬った。
 カイはしばらく防戦に回る事にした。剣を握った右手で、繰り返される魔物の攻撃をはじく事に専念する。そうしていくらか後退しながら、左手で何とか脛あて部分の留め金を外し、自身の足を解放した。魔物の牙は鉄を僅かに貫いており、少し血が出ていたが、傷自体はかすり傷のようなものだった。
 負った傷からは考えられない痛みと熱が脛に走ったのは、反撃に転じようと決めた瞬間だ。
 大地を力強く踏みしめていたはずの左足が、突然強烈な痛みを訴える。カイは体勢を崩しながら、気力で角を避けてはみたが、魔物の体そのものを避ける事はできなかった。自身と魔物の体の間に剣を入れ、かろうじて受け止めようと試みたが、自身の体重すら支えられなくなった左足に、衝撃をこらえきるだけの力があるはずもなかった。
 カイの足は容易く地面を放棄し、体が吹き飛ぶ。大きく後方に飛ぶと、背中から地面に落下し、勢いが衰えぬまま転がり落ちた。


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