INDEX BACK NEXT


二章 封印




「貴方は、私たちが知らないような事を、沢山知っているんじゃないの? アストや、私たちや、この大陸が辿る運命――エイドルードが定めた事を」
 穏やかな口調ながら問い詰める意味合いを込めてリタが言うと、先の話をするためハリスに向いていたカイの目が、リタを捉える。十一年ぶりに見るその目は、以前と同じようでいて、他人のような白々しさがどこかにあった。
 失望したと言っては、身勝手が過ぎるのだろう。過ぎた時間や、彼の人生に起こった数々の経験を思えば、変わる事は至極当然、変わらなければ生きていけなかったのだろうとさえ思える。
 だが、リタは見つけていたのだ。昨日出会ったアストの中に、かつてのカイにあったものを。だから、心のどこかで期待してしまったのだ。
 判ってはいる。カイが変わろうと、変わるまいと、今の自分には何の関係もないのだと。悔しいだの寂しいだのと思う事が、間違っているのだと。
「いいかげん、ひとりで抱え込まずに、全部白状したらどう?」
 叩き付けるように机に手を置くと、会議室には不似合いな大きさの音が響いたが、カイが身動きひとつせず黙ったままでいたので、リタは身を乗り出し、少しでもカイに近付こうとした。
「何から語っていいか判らないほど、貴方が得たものが多いと言うなら、ひとつずつ質問してもいい。たとえば、そうね。アストは何のために生まれてきたのか、あの子の役割は何なのか、まずはそれを教えて」
「役割、と言うと?」
「私は最初、産まれてくる子は、エイドルードの代わりに天に昇って、長く封印を守る者なんだろうって勝手に思ってた。けど、アストが産まれて違うって知った。アストの使命がそんなものなら、あんな物騒なものと共に生まれた意味がないもの」
 語るうちに、語気は徐々に強くなっていく。質問のつもりで音にした言葉は、叫びに近いものとなっていた。
 だがやはりカイは、気を乱す事なく、悠然とした態度で座っていた。
「確かに俺は君たちより多くを知っているが、それは俺が果たすべき役割に必要だからだ。それが君の目に、自分勝手にひとりで抱え込んでいるように映っていたとしても、違うんだ。エイドルードが本当に考えて俺だけに託したかは判らないが、少なくとも俺は、俺だけが知っている事に意味があると思っている」
 リタは大きな目を細めた。
「そうね。意味はあるんでしょう。知っている人間が少ない方がいい事はいくらでもある。多くの地上の民が、未だエイドルードの不在を知らないのも、私たちが今、できる限り人を閉め出しているのも、そう言う事だもの。でもね、それと、貴方ひとりしか知ってはならない事とは、繋がらないでしょう?」
 リタはため息を吐き、髪をかきあげると、そのままこめかみを押さえて目を伏せる。
 上手い言葉が見つからない事に、これほど苛立つ自分が居るとは思っていなかったリタは、何とか感情を押さえ込みながら脳内で模索し、新たな言葉を探りだした。
「言い方を変えるわ。今現在貴方ひとりしか知らない事が、貴方以外の誰も知らなくていい事とは、どうしても思えないの。たとえば、あくまでたとえばよ。貴方が役目を果たす途中で死ぬような事になった時、後を引き継ぐ人間がいなくていいの? 誰かが貴方の役目を引き継がなければならないとしたら――」
「それは無用な心配だ」
 カイの口調は穏やかだったが、他者を切り捨てるかのように冷たいものだった。心配される事が迷惑だとでも言いたいかのように。
「ずいぶんな自信ね」
「大抵の事ならば、何があっても大丈夫なんだと、俺だけは判っているからな」
「それも、貴方しか知ってはいけない事なのかしら?」
 反射的に口に出してから、あまりに嫌味が過ぎる言葉だと気付いたリタだったが、反省する気は微塵もなかった。今のカイの言葉や態度は、どうにも腹が立つ。嫌味のひとつやふたつ言ってやらなければ気がすまない。
 カイはふいに微笑んだ。想いを見透かされているような気がして、リタの苛立ちは更に増した。
「何も知らなかった時の俺と同じように、皆も一度は疑問に思ったんじゃないか。同じエイドルードの子だと言うのに、なぜ俺だけが、目に見える特別な力――リタたちのように、守る力、癒す力、魔物を罰する力を、持っていないのか」
 言葉ではっきりと肯定するものは居なかった。しかし、全員が貫いた無言は、ほぼ肯定を表しているようなものだった。
 カイが指摘した通りだ。リタは疑問に思っていた。だが、カイがリタや地上の民が知らない何かを知っていると感じた時、疑問はどこかに吹き飛んでいった。知識こそが、エイドルードがカイだけに与えた力なのだろうと、勝手に納得していたのだ。
「本当は俺も、産まれた時から力を持っていたんだよ。誰ひとり、俺自身、気付かなかっただけで。だから俺は、役目を終える前に死ぬ事など絶対にない。最後までアストを導き続けるだろう」
「それを信じろって言うの?」
「信じてくれと言うしかない」
「納得いかないけど、納得するしかないわけね」
 カイは苦笑いを浮かべて肯いた。
「そうだな。確かに、君たちの不満を買ってまで、全てを隠す必要はないのかもしれない。たとえば君がさっき訊いたアストの役割。まだ幼いアスト本人に伝えるのは酷だと思って黙っていたが、リタは知るべきだろうし、三人に教える分にも問題はないんだろう」
 カイの言葉の中にひっかかる点を見つけ、リタは正直に反応した。
「私が知るべきってのは、どう言う意味? 私にもまだ何か役割があって、そのために必要な知識って事?」
「まさにその通りだ。別に今知る必要はないんだろうけどな」
「何なのよ、私の役割って……」
 リタは問いかけながら、ずいぶん前から気にかけていた事を思い出し、答えが来る前に続けた。
「そう言えば私、ひとつ気になっていた事があるの。アストが産まれた頃からずっと、北の方角に惹かれ続けていたって事。ザールとか洞穴とかに導かれているのかと思いつつ、放っておいたんだけど、今日、ザールに到着した辺りから、私を惹きつける方向が急に変わったの。正体を探ろうと思って惹かれる方向に進んだら、そこには森があって、アストが居た」
 カイの目の中に鋭い光が生まれる。まるで動揺を押し殺そうとするそれは、リタを見上げた。
「この力は、役割に関係するの?」
 閉じられたカイの唇が、戸惑いを示すように僅かに歪んだ。悩んでいるのだろう。言うべきか、言わざるべきか。
「今はまだ言わないでおこう」
 やや長い沈黙を挟んで届いた返答がそれだったので、リタは乱暴に座り直し、腕を組んだ。心から不愉快な回答だったが、納得すると決めて宣言した以上、苛立ちに任せて口を挟む事はできなかった。
「話を戻そう。アストの役割は、リタの言った通りだ。エイドルードの跡を継ぎ、魔獣の封印を保つ事じゃない。いずれ時と共に封印が消滅しても、人が生きていける大地をつくる事。それこそが、エイドルードがアストに押し付けた使命なんだ」
 アストの誕生を知った時から薄々考えていた事ではあったが、カイの口から語られる事によって予想が真実に変わると、リタの中に鈍く苦い痛みが湧き上がる。
 同情か、あるいは同調なのか、痛みの原因を探るため、リタは自身の胸に手を置いた。
「アストはやがて、神の剣を手に、ひとり洞穴を進む」
 リタは洞穴に足を踏み入れた事がない。近付いた事すらない。だが、地上を脅かす力の根源が、先にあるのだ。暗く、恐ろしく、辛い道のりである事を想像するのは容易い。
 その道を、アストはひとり行くのだ。残された時間、五年の内に――十五歳にもなれないうちに。
「神の剣で、魔獣を滅ぼすために、ね?」
 震える声でリタが言うと、祈るように目を伏せ、俯いた。まずはルスターが、続いてハリスが、最後にジオールが。偉大なる神の末裔とは言え、まだ小さなアストに救済を求める自身を、恥じているようにも見えた。
「良かった」
 リタが素直な想いをこぼすと、カイがためらいながらリタを見つめる。
「良かった? 何がだ?」
「判らないわよ。貴方が教えてくれないんだから。でも、私はアストの使命を知るべきだ、と貴方は言ったでしょう? それは私が、いつかひとり重い使命に向かうアストを、何らかの形で手伝えるって事じゃないの? なら、何もせずに見守ってろって言われるよりは、ずっと気が楽だと思ったの。神の娘として産まれてきた事に、意味を見出せるようになるかもしれない、ともね」
 カイは机の上に放り投げていた手を固く握り締めた。
「君は、意味が欲しかった、と言っているのか?」
 リタは慌てて首を振った。
「ごめんなさい。無神経な事を言ったわ」
 即座に自身の非を認め、リタは謝罪の言葉を口にしたが、けしてカイの目は見なかった。カイに対して謝ったのではないからだ。申し訳ないと思った相手は、神の娘としての運命に殉じた双子の姉であって、カイではない。
 自業自得とは言え、重くなった空気に耐え切れず、リタはジオールに目配せし、退室する意志を伝える。伊達に十年以上も付き合っていないジオールは、すぐに理解し、肯いてから立ち上がった。
「話は終わったし、やる事は決まった。あとの話に、私は必要ないわよね。儀式の日程については合わせるわ。私は今すぐにでもいけるけど、人を集める必要がある分、そっちは時間がかかるでしょう。細かい事が決まったら報告をちょうだい」
「了解いたしました」
 リタは立ち上がると、深呼吸する間に覚悟を決め、カイを見下ろした。
「それからカイ。最後に一応聞いておくわ。答えは期待できないと思ってるけど、貴方に遠慮なくものが言える立場にある人間の義務だと思うから」
「何だ?」
「わざわざ洞穴の封印をする必要はあるのかしら。今すぐアストが洞穴に潜り、魔獣を征伐すると言う選択は無いの? たった十歳のあの子に酷だとは思うけれど、十四、十五になれば酷じゃないって話でもないし……」
「確かに、それが一番てっとり早いな」
 また「今はまだ言えない」などと言われてごまかされると覚悟していたリタは、カイが朗らかに笑ったので驚いた。
「残念だが、それはまだ無理だ。理由も言える。俺はさっき言っただろう?『アストはやがて、神の剣を手に、ひとり洞穴を進むだろう』って。だから、まだ条件が揃っていないんだ。アストが持って産まれた剣は、神の剣ではないからな」
 場が騒然とした。ならばなぜ、アストは剣を持って産まれたのか、その剣にシェリアが引き裂かれてしまったのかと、誰もが疑問に思ったからだった。
「もちろん全く無関係じゃない。あの光の剣は、やがて神の剣に生まれ変わる。だが、その時が来るまで、アストは使命を果たせない――ついでに言っておこう。俺の使命は、『その時』をアストに告げる事だ」
「『その時』はいつ来るの?」
 咄嗟に浮かんだ質問を声に出すと、カイは曖昧に笑う。
 やんわりと相手を拒絶する、柔らかくも冷たい笑み。それだけで全てを理解したリタは、カイに代わって答えを口にした。
「今はまだ言えない、って事ね」


INDEX BACK NEXT 

Copyright(C) 2008 Nao Katsuragi.