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五章 砂漠の神殿へ




 凶暴な風が砂漠をかき乱し、赤い砂塵が視界を埋め尽くす。砂が目や口に入らないよう、風が流れ行く方向を追って見ると、自身の残した足跡がすでに消えているのが判った。
 空に雲は無く、地には熱い砂以外見られない。強く照りつける太陽を遮るものは何ひとつなく、地上を歩むエアは容赦無く攻め立てられる。日の光を遮断するため、ゆったりとした外套で全身を覆っているが、刺すような痛みを抑えられるだけで、熱せられた空気から逃れる術はなかった。
 エアは目を細めて太陽を見上げ、舌打ちをする。
 畑仕事に従事していた頃は必要不可欠な存在であったし、王都で生活していた頃も嫌いな存在ではなかったが、今は何よりも忌々しい。空にあって地上に恵みを与える事から、エイドルードの化身と呼ばれている事実を知ってからはなおさらだ。
 風が少し治まると、エアは腰につるした水袋を手に取り、ひと口だけ口に含んだ。
 丹念に舌の上で転がしてから、喉を通した。ぬるいはずの水は灼熱の太陽に照らされた身には心地よい冷たさで、ゆっくりと体に浸透していく。無味無臭のはずの水が、今は何よりも美味いものに感じられた。
 乾いた唇を舐めて湿らせると、地図を広げた。
 大丈夫だ。おそらくはまだ、方向を見失っていない。
 エアは自身にそう言い聞かせ、冷静さを保つ。
 砂漠の中心にほど近いオアシスで、そこまで道案内をしてくれた砂漠の民と別れたのは半日ほど前だ。それまでもエアは、ただ彼らに着いて行ったわけではない。砂漠での歩き方、方向感覚の保ち方、水の効果的な配分法なども学んだ。学んだものを実践し、彼らと別れてから砂漠の中心にあるオアシスまで、迷う事なくひとりで辿り着けた。オアシスから目的地まで、迷わず進める最低限の力はあるはずだ。
 砂嵐に負けないよう、エアは視線を巡らせる。自分が地図の示す場所に迷う事なく進めていたならば、そろそろ目的地に到着しているはずだった。
 もし到着できなければ、広大な砂漠で迷ってしまったと言う事だ。つまり、よほど運が良くない限り、水を失い命を落とす道しか残されておらず、求める物を探す視線が厳しくなるは自然の事だった。
 間近に迫る砂丘に怯んでいると、きらりと輝く何かに目を焼かれ、眩しさに目を細める。元々目元以外は全て覆っている格好だが、腕を翳して目元も覆う。焼き付いた残像を掃おうと硬く目を瞑り――慌てて両目を見開く。
 エアはたまらず走り出していた。今の輝きは太陽から降りそそいだものではなく、光が何かに反射したものであったからだ。砂が反射させるものよりも強烈で、水か、人が持ち歩く何かの道具か、エアが求めているものどれかが先にあるとしか考えられない。いずれにせよ、エアの命を繋いてくれる可能性は高かった。
 エアは気ままな風に導かれ流れていく砂を両足でしっかりと踏みしめた。
 眼下に鈍くきらめくは、金属板に刻まれた聖印。
 エアは無意識に笑みを浮かべていた。それこそが、エアが一番求めていたものだった。
 一番近いオアシスからも随分離れているし、別の集落や都市に至る道の途中でも、獲物が取れるわけでもないため、砂漠の民すら滅多に近寄らない。そんな場所に、砂漠の神殿への入り口はあった。
 すぐに合言葉を紡ごうとして、乾いた喉では上手く声が出せなかったため、エアは再度水を口に含む。先程水を飲んでからあまり間を空けていない事が多少気がかりだったが、水はまだ充分残っていたので、躊躇いはしなかった。陽の光が完全に遮られる迷宮の中ならば、砂漠を歩いていた時よりも楽であろうし、砂漠の神殿には水が豊富にあると言うから、帰りの分はそこでたっぷりと補給すればいい。
『神の寝所はただひとつ天のみに』
 エアは咳払いをして喉の調子を整えてから、流麗な神聖語で紡いだ。
 風が止んでいだが、砂だけが小刻みに震えていた。振動はやがて体にも伝わり、エアは砂に足を取られないよう気を付けなければならなかった。
 盛り上がっていた砂が、低い場所を求めて勢いよく流れ落ちていく。砂に飲まれないよう少し距離をおいてから、舞い上がる砂煙に耐えるため、エアは顔を伏せる。
 やがて、砂が滑る音や地面から伝わる振動がやんだ。
 エアはゆっくり目を開く。目の前にあったはずの砂丘は消え失せ、代わりに背の高い重厚な扉がそこにあった。
 合言葉だけでなく扉そのものも、森の神殿への道とまったく同じだ。もしや、と考えたエアは、素早く中に入ってから明かりを点けると扉を閉め、アシュレイから貰った迷宮の地図を取り出した。
 人目に付く事を恐れ、完全に他者から切り離されるこの時まで一度も開く事のなかった地図を眺めると、言いようのない倦怠感に襲われ、エアは低い笑い声を上げていた。笑いでもしなければ、立っているのも億劫になった事だろう。
「手抜きか? エイドルード」
 無意識に呟き、また笑う。
 森の神殿への迷宮の地図はアシュレイ渡してしまったため、おぼろげな記憶だよりとなるが、エアが覚えている森の神殿への迷宮の道筋と、今エアが手にしている地図は、ほとんど一致していた。合言葉も同じなのだから、違うのはたったひとつ、最後の分岐のみである。
 最後の分岐だけでも違っていたのはありがたかった。もし全く同じであったとしたら、人目を忍んで地図を交換した事は無駄になる。いや、エアが聖騎士となり、森の神殿へ派遣された事までもが、無駄になっていたかもしれない。
 エアは深いため息を吐いてから、道を進んだ。はじめて歩く、しかし懐かしさを覚える、長い道を。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.