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四章



 もはや全ての力を使いきる事に抵抗はない。エイラは残った全ての力を使い、状況の確認と、師や弟弟子たちと連絡を取る事に費やした。
 どうやら全員無事らしい事が判ると、ほっと胸を撫でおろす。走り続けて悲鳴を上げる足が、不思議と軽く感じる。早く仲間たちの元へ駆けつけたいと思う心がそう感じさせたのかもしれない。
 長い間、逃げ隠れしながら戦っていたのだろう。四人が居た場所は家と街のちょうど真ん中くらいだった。思いの外早くたどり着き、四人の姿を見つけた時は、飛びつきたいくらい心が震えた。
 だが、師は木に寄りかかって眠っていた――いつもならもう寝ている時間だ――し、ヨシュアは嫌だ。結局エイラはアーロとメイヴェルを選び、ふたりの首に腕を回して抱きついた。
「良かった! みんな、無事で……!」
 感極まって声が震える。
「ごめんエイラ。それ以上絞めないで。無事じゃすまないかもしれない。俺今、ようやく立てるようになったくらいだから」
「それは、悪かったね」
 エイラが手放すと、アーロは疲れたのか、その場に座り込んだ。
「エイラ、俺! 俺、怪我したから慰めて!」
 構ってほしいのかヨシュアが、自らの右二の腕を指し示しながら主張する。確かに服が破れ、裂けた部分に血がこびりついているが、その下にある肌は綺麗なもので、傷ひとつついていない。
 エイラはヨシュアの主張を華麗に無視し、メイヴェルの頭を軽く撫でた。
「偉いねメイヴェル。こんな男の傷を治してあげるなんて。疲れなかった?」
「え……えっと」
 まさか自分が褒められるとは予想もしていなかったらしいメイヴェルは戸惑っている。ヨシュアはと言えば、後ろのほうで拗ねていたので、面倒なのでこれも無視しておく事にした。
「ところで今、状況はどうなってるんだい?」
「自警団の人たちが、山狩りしてくれてる。俺たちが倒した奴らも全部捕まえて街に連れてくってさ」
「で、君たちはここに待機?」
「お兄ちゃんもヨシュアも疲れてて、動ける状況じゃなかったから……自警団の方の何人かが、護衛に残ってくれたんです」
 言われて周りを見てみれば、確かに見慣れた姿がちらほらあった。今まで気付かなかった自分に驚くほどだ。
「これからどうするかは、とりあえず俺たちが動けるようになってから考えようかって事になって」
「あと、自警団のほうも、上の人が居ないから、何でもかんでも勝手に決められないってのがあったみたいで」
 ヨシュアの言葉に、走る事に必死になって脳裏から消していた人物を思い出し、エイラは俯いた。
「自警団の人たちがたぶんエイラと一緒だ、って言ってたけど、違うんだ?」
 いつの間にか距離を詰めていたヨシュアが、俯いたままのエイラの顔を、わざわざかがみこむまでして、下から見上げてくる。目が合ってしまい、慌てて顔を反らしてみたが、いちいち追ってきて目を合わせる。それを三度ほど繰り返したところで、エイラはとうとう諦めた。
「下で合ったよ。街の入り口辺りでね。そこで、襲われたところを助けてもらった。ヨシュアは覚えているかな? うちに配達に来てくれてる……」
「あの、でっかい人?」
「そう。あの人も、やつらの仲間だったみたいだ」
 わずかに動揺するヨシュアの後ろで、アーロとメイヴェルも驚いた様子を見せた。
「最初からそうだったのかは判らないけど――一番最近の配達って、たぶん今日だっただろう? それで、私もアーロも居ない事を確認して、今夜襲撃を決行したんだと思う。街に下りる前、やつらの会話が聞こえて、人数が多い事に驚いていたのはなんでだろうと思ったけど、それで納得した」
「つまり、今夜狙われていたのは師匠だけって事?」
 ヨシュアが思いつきを口にすると、弟子一同の視線がほぼ同時にゾーグに向いた。
「俺らとばっちりだよな。師匠だけにしておけばよかったんじゃ……」
「まあ師匠ひとりなら何となくなんとかなりそうな気がしますよね」
「確かに」
「あ、でも」
 メイヴェルは小さく手を挙げる。
「私、配達の時に居て、新しい弟子だって、<守護者>の卵だって、知られてるから……たぶん、私も狙われ」
「みんなが集まっている時で良かったよな! 運が良かった!」
 あっさりと手のひらを返すアーロの態度がおかしくて、エイラは小さく笑った。メイヴェルの事が心底大事なのだと、はっきり伝わってきて微笑ましい。
 そう言えば、ふたりはどう言う関係なのだろう。まだ聞いていなかった事を思い出して首を傾げていると、「義理の兄妹なんだよ」と、ヨシュアがこっそり耳打ちしてくれた。なるほどそれならば納得がいった。アーロは以前から、妹がいかに可愛くて大切かを、鬱陶しいくらい語っていたから。
 そのアーロの妹がコーラルの実妹だと言う部分に、何やら複雑な事情を嗅ぎとったエイラだが、また今度ゆっくり落ち着いた時に聞かせてもらおうと、今は話題にあげないでおいた。
「エイラさん」
 よく知る青年の優しい声に、名を呼ばれた。
 振り返る。ここまで走ってきたのだろう、まだ息が上がったまま、汗をにじませたままの姿で、ルシアンはエイラの前に立っていた。
「皆さん、ご無事のようで何よりです」
「現状についてはご存じなのですか?」
「はい。途中で会った部下に聞きました。皆さんが未だここで待機中だとも」
 ルシアンはエイラから視線を外し、後ろにいる師や弟弟子たちの無事を確認した。
「本日は皆さん、我が家へお越しいただけますか。異界教の者たちを全て捕らえ、安全が確認されるまでの間、ご滞在ください」
「ですが……」
 ご迷惑ではありませんか、と訊く前に、ルシアンが話を続けた。
「我が家に抵抗があるのでしたら、宿を手配させますが」
「いえ、お言葉に甘えさせていただきます。お気遣いいただきありがとうございます」
「こちらこそ、私たちの力が足りなかったばかりに、大変な事になってしまい申し訳ありません」
 ルシアンはエイラの横を通り過ぎ、一番状態がひどそうなアーロのそばに膝を着くと、「下まで歩けますか?」と確認する。続いてメイヴェル、ヨシュア、ゾーグの状態を確認し、ほっとひと息つくと、エイラに振り返った。
 エイラもルシアンを見ていた。彼がいつ、エイラに、エイラだけに話しかけてくれるのかと待っていた。それが今だと気付くと、エイラは少し場所を移動した。弟弟子たちに声が届かないくらい離れたかったからだ。
 エイラの意図を察したのだろう。ルシアンは急ぎ足で近寄ってきた。
「エイラさん」
「事前に気付いておられたのでしょう。やつらの正体も、今日の襲撃の事も」
 エイラは最初に断言し、それから振り返る。
 強い視線で見上げると、ルシアンがうろたえたのが判った。けれどルシアンは、目を反らしはしない。戸惑いの色に染まる瞳を、真っ直ぐエイラに向けた。
「はい」
 ルシアンは緊張の混じった声で、はっきりと肯定する。
「貴女を襲った者たちを尋問し、事前にある程度把握しておりました。手に入れた情報では、決行日は三日後のはずだったのですが」
「なぜ教えてくださらなかったのですか!」
 結果的に間に合ったからいい。街でたまたま、情報を知る人に会えたから。
 けれどその偶然がなければ、エイラとヨシュアはもう少しゆっくり戻ろうとしていただろう。そしてゾーグたち三人は、何も知らない状態で襲われていたかもしれない。
 いや、それ以上に。あの村に居た時点でルシアンが教えてくれていたら、エイラもヨシュアももっと早く帰っていた。三人を連れて別のところに避難できたかもしれない。
「私たちで何とかするつもりだったからです。奴らがこんなにも早く動き出した事、動いた事に気付けなかった事に関しては、完全に私の判断誤りと力不足です。何度謝罪したところでお許しいただけると思っていません」
「教えてくださった上でそうおっしゃるのでしたら、私たちは貴方がたに従いました。秘密にした説明にはなっていないと思いますが?」
 ルシアンは目を閉じ、唇を引き締めた。何か考え込んでいるようだった。言い訳を? あるいは、語るかどうかそのものを?
「事前に話していたら、貴女はゾーグさんやアーロくんを守るために帰ってしまったでしょう」
「当たり前です」
 ようやく語ったかと思えば、答えが判りきったくだらない質問をさえ、エイラは半ば苛立ちながら強い語気で返した。
「ええ、当たり前です。だからです」
「はい?」
「だから言いたくなかったのです。私は、貴女を守りたかった。貴女だけは、確実に。最悪、貴女ひとりだけでも守れればと、そう考えていました」
 馬鹿げている。
 まず、そう思った。次に呆れた。これがヨシュアだったら、厳しい口調で罵っていたかもしれないと思うほどに。
 けれど、ルシアンは正直だった。その正直な気持ちから逃げた記憶はまだ新しく、胸の奥に痛みを覚えたエイラは、何も言えなくなってしまった。
「あの日私は、貴女をどうしてもそばにとどめておきたくて、慌てて口走ってしまいましたが――気持ちに嘘はありませんでした」
「ルシアン様」
「いいえ。今も変わりはありません、エイラさん」
 今度こそ逃げてはいけないと思った。突然の乱入者が現れたとしても、それに安心してはいけないのだと。
 勇気を出さねばと思った。エイラは右手をそっと胸元に置き、そこで揺れる石に触れた。もはや何の力も残っていない、透明な、冷たいだけの石に。
「私には、忘れられない人が居るんです」
 石を握りしめる。そうする事で――いや、そんな事をしなくても、いつでも、どんな時でも、蘇る少年の記憶。悔恨と涙を引きずり出す、優しくて暗い面影。
「私が忘れさせてみせます、と言っても……?」
 頼もしい言葉だった。
 そう思ってくれている事、それだけ想ってくれている事が、嬉しいと思った。
 だが、それだけだ。喜んだだけ。それ以上でも、それ以下でもない。
「お気持ちは嬉しいです。ですが、無理です。私は彼の事を忘れない。もし」
 もしも、忘れられるとしたら。
 エイラは視線を少しだけずらす。
 その先に、小さく揺れる黒髪を見つけると、そっと目を伏せて首を振った。
「判りました」
 しばしの沈黙の後、ルシアンが突然そう言い出して、エイラは目を開ける。
 その時ルシアンは後ろを見ていた。何を見ていたのだろう。直前までエイラが見ていたものなのか。
「とりあえず、一度引きます」
「あの」
「もしかすると、諦めが悪いかもしれませんが」
 言ってルシアンが浮かべた微笑みは、けして明るいものではなかったが、それでも笑ってくれた事に、エイラは救われた気がした。
 コーラル。
 石を胸に押し当て、その奥で、大切な名を呼ぶ。何度も、何度も。
 ねぇ、コーラル。君は――


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