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四章



 殺そうとしても殺しきれていない複数の足音から、人が接近しているのを感じたアーロは、大木の幹に身を隠したまま、ちらりと左に視線を送る。隣の大木に、同様に隠れていたヨシュアは、アーロの視線に気付いて頷いた。
 絶望的な状況に追いやられ、死を覚悟する男の顔になる。いやそれはさすがに演技過剰すぎはしないかと、内心思ったアーロだったが、声をかける余裕はない。アーロは息を潜めたまま、ヨシュアの動向を見守る。
 ひと呼吸置いてから、ヨシュアは走り出した。近付いてくる足音とは逆の方向へ。
 ちっとも隠そうとしないヨシュアの足音に気付いた者たちは、木からはみ出たヨシュアの姿を見つける。「居たぞ!」「あっちだ!」と互いに声をかけあい、逃げるヨシュアの背中を追いかけた。
 先頭を走る男が、アーロが隠れている木とヨシュアが隠れていた大木の間にさしかかる。その瞬間、転倒した。すぐ後ろを走っていた男も制止が間に合わずに、転倒して顔から土まみれになった。
「どうした!?」
「おい、何があった!」
 続いていた者たちが足を止め、ひとりは倒れた者に手を差し伸べ、ひとりは周囲に何があるのかを確認する。残ったひとりはとりあえずその場を迂回してヨシュアを追いかけようと考えたらしい――が、それをさせないのが残ったアーロの仕事だ。
 皆ヨシュアに意識が向いていたから、アーロが潜んでいる事に気付いてた者はひとりもおらず、故にアーロの踵は遮るものも容赦もなく、男の鳩尾に埋まった。男は何かを吐き出し、腹を押さえながら倒れ、そのまま動かなくなる。
 残りの四人のうち、最初にアーロに反応できたのは確認作業をしていた者だ。手にした短剣をアーロに突き出すその様は、明らかに素人のものだったが、恐れや遠慮と言うものがない。力強くアーロを睨みつける眼差しは、汚物でも見るかのようで、よほどアーロを――と言うよりは<守護者>を――消し去りたいのだろうと感じた。
 本当に、心から、信じているのだろう。アーロたちが闇の眷族と呼ぶ異界の生物が、自分たちを救ってくれるのだと。闇夜に隠れきれず逃げきれず、ただ食い散らかされた者たちは、幸福の世界で過ごしているのだと。
 どうすればそんなおめでたい思考に到達するのか、理解できない。だが、それは仕方がないのだろう。すべての者の考えを理解できるわけがない。そしてアーロは、考えの違う者のすべてを否定したいと思っていない。この男が、闇の眷族に食われる事が幸せだと考えるなら、別に良い――とは、命に関わる事なのでやはり言いたくはないが、仕方がないと思う。たとえば、母子ふたりで生きていく事を放棄して命を絶ったアーロの母と、似たようなものだと納得できる。この世界で生きる希望を失ってしまったのだと。
 けれど、目の前の男たちがやろうとしている事は、その更に先だ。母の例でたとえるならば、アーロを巻き添えに無理心中するようなもの。闇の眷族に味方し、<守護者>の命を断つと言うのは、日常が続く事を当たり前に望む者たちの命をも奪う事に通じる。
 守っているのだ、<守護者>たちは。生きたいと願う者たちを。その誇りは、まだ半人前のアーロの中にも、ある。
 アーロは狙いを定め、強く、すくい上げるように、己の剣を短剣に叩きつける。弾け飛んだ短剣は弧を描いてから地面に突き刺さる――よりも早く、アーロの体当たりが男を突き飛ばしていた。男は、後ろに立っていた者を巻き込んで倒れ込んだ。
 入れ替わりのように、転んでいた者たちが立ち上がり、ふたり同時にアーロに飛びかかってくる。まだ体勢を立て直しきってなかったアーロに、できる動きは少なく、仕方ないと覚悟を決めて、アーロは剣を大きくなぎ払った。切っ先が男たちの腕と腹をかすめる。服が裂け、赤い液体が宙を舞った。嫌な手応えだった。
 <守護者>になるための修行を六年続ける中で、師や兄弟子たちに武術を習い、魔法を使わなくともそれなりに戦える力をアーロは持っている。けれどそれは、人と戦うための力ではない、とも思っている。異界よりやってくる、人を脅かす異形の者を、倒すためだけの力だと。
 だから人を傷付けるのは、やはり楽しい事ではない。殴る蹴る、までならば喧嘩の延長と思えなくもないのだが、こうして武器を振り回し人を切ったり刺したりするのは、何となく嫌悪を覚えた。
 そうアーロが考えていると読みとっていたのだろう、ヨシュアはついさっき、「いざとなったらためらうなよ。お前だけならともかく、メイヴェルちゃんの命に関わるかもしれないんだからな」とアーロに言った。あの人はそれこそがアーロにとってもっとも逃げ道のない言葉だと判って言ったのだ。まったく、たちが悪い。
「このガキが!!」
 左腕を切られた男が、右腕をアーロに振りおろす。それは後ろに飛んで避けた。腹を切られうずくまっていた男が、立ち上がる勢いを借りて剣を振り上げる。それを剣ではじこうとしたところで、男が突然、アーロから見て右の方向へ吹き飛んだ。
「先輩!」
 いつの間にやら、ヨシュアが戻ってきていた。どうやらアーロに剣を振り上げようとした男の頬を思い切り蹴りとばしたらしく、蹴られた男は頬から顎のあたりを押さえながら苦しそうに転がっている。
「俺が戻ってくるまでに全部片付けとけよ、このくらい」
「囮役を買ってくれた先輩のために見せ場をとっといたんですよ」
「お、少しは言うようになったなあ、お前」
 ヨシュアは楽しそうに笑いながら、手にしていた短剣を、自身に飛びかかってきた男の手の甲に突き刺した。
 そうしてヨシュアが合流してしまえば、残った三人などもはや敵ではない。一方的な暴力と言われても否定できないほどあっさりと、その場に立つ者がアーロとヨシュアのふたりだけになった。
「逃げながら少しずつ倒してくとか、疲れるなやっぱ」
 息を整えながらヨシュアは、地に伏した五人の様子を観察する。
「エイラが救援を呼んでくるまで完全に隠れていられるのが一番いいんですけどね。向こうは人数が居るから、なかなか」
 深呼吸を繰り返して無理矢理息を落ち着けたアーロは、木の根本に屈み込み、そこに結んでいたものをほどく。
 アーロが常に持ち歩いている白い布を紐状にし、色彩の王の力で色をつけたものだ。周囲にとけこむような色合いにしたので、相手はこれの存在に気付かず、足をひっかけて転んだのだった。単純な罠だが、それなりの効果は上げられたと言っていいだろう。
「夜で良かったですよ。こんな雑な着色でもひっかかってくれましたからね。気付かれたらどうしようかと思いました」
「そう思うなら、完全に周囲に同化するように色を付けりゃ良かったのに」
「細かい模様は時間がかかるんだからしょうがないでしょう」
 アーロはまとめた布を小脇に抱えた。
「さ、メイヴェルたちのところに戻りましょう」
「そうだな。可愛いメイヴェルちゃんのところに早く帰りたいもんな」
 今にも走り出そうとしていたアーロは、ヨシュアのその言葉を聞いて、足を止め振り返った。
「先輩、まさか、メイヴェルの事変な目で見てませんよね?」
「見ねーよ!」
「何で見ないんですか! あんなに可愛いのに!」
「お前は俺にどうしてほしいんだよ!」
 もっともな切り返しをされて、アーロは言葉を噤むしかなかった。
「まあ、変な目で見てほしいって言われても、正直困るわ」
「なんでですか」
「メイヴェルちゃんは、コーラルの妹だからなぁ。しかも、そっくりの」
 ヨシュアの唇から放たれる、一時的に自分の名だった響き。けれど別人の名前なのだと言う事は、もう理解していた。その響きだけで、悲しい空気が漂う事も。
「前は顔がどうのでごまかされてしまった気がするんで」
「んぁ?」
「今度、落ち着いた時に、コーラルさんについて聞かせてくれますか。俺に、と言うより、メイヴェルに」
 覚悟を決めてアーロが問うと、ヨシュアは静かに背中を向けた。
「無理だなー」
 消えない思い出に秘められた感情や重さを語る背とは対照的な、軽い口調でヨシュアは答えた。
「駄目ですか」
「俺があいつについて語れるような事は、全部語ったつもりだよ」
「あれだけで?」
「あれだけで」
 それはきっと、コーラルについてほとんど何も知らないと言う意味とは違うのだろう。辛いのか、悲しいのか、憎いのか、あるいはその全てなのか――ヨシュアが抱える感情が、語る事を阻害しているのではなかろうか。
 ならば、無理強いはできまい。したところで、この兄弟子が従うとは思えなかった。のらりくらりとかわされるならまだいいほうで、逆に暴力でこちらを従えるかもしれない。
「師匠も知ってるんですかね、コーラルさんの事」
「そりゃあ弟子だからな。ただあの人が過去の弟子、しかも途中で居なくなっちゃった弟子に執着するかと言うと」
「あー俺、顔も忘れられてましたわ。もちろんふりでしたけど」
 コーラルと言う前例があったからこそのあのしうちだったと考えると、アーロは納得して受け入れるしかなかった。
「じゃあ、エイラは? エイラのほうが先輩より先に弟子入りしてるんだから、当然知ってますよね?」
「いやー、そりゃあ、知ってるけどさぁ」
 ヨシュアは困ったように笑い、言葉を濁す。
「察しろ」と言う事だろうか。六年間の付き合いで何となく察したアーロは、話をなかった事にしようとした。
 だが、それを止めたのは他ならぬヨシュアだった。
「いや、そうだな。エイラに聞いてみろ」
「いいんですかね?」
「いいんだよ。エイラは多分、黙って抱え込んでるから駄目なんだ。お前とかメイヴェルちゃんに話してしまったほうが、発散できるかもしれない。うん」
 ヨシュアは勝手に納得して、ひとりで何度も頷くと、「ほら行くぞ」とアーロに軽く声をかけて歩き出す。
 もう少し聞きたい事はあったが、今の自分たちにさほど余裕がない事を思い出したアーロは、黙って兄弟子の背を追った。


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