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四章



 アーロたちが壁の間を抜ける頃には、すでに三人が立ちふさがっていた。
 残り数歩と言うところで、先頭を走っていたアーロは、思い切り地面を蹴る。走る速度を上げ、その勢いのまま突っ込み、抉るように鋭い飛び蹴りをひとりの男の腹に埋めた。
 呻き声と共に男がかがみ込むと、残りの二人が同時に飛びかかってくる。大柄な男の拳は鈍かったので、屈む事であっさりと避け、手にした剣の柄を頬に叩き込んだ。
 もうひとりの小柄な男は、少し腰が引けているようだ。いかにもこう言った荒事と縁のない人生を送っていた雰囲気で、線が細い。とは言え彼が手にするのは、長い木の棒に短剣を括りつけた簡易な槍で、がむしゃらに振り回されるだけでも厄介そうだった。
【闇の王よ、ヨシュアの名において、視界を遮る漆黒をここに】
 素早く唱えたヨシュアが、ごく小さな闇を生み出す。ちょうど人間の頭程度の大きさのそれは、男の顔を包み込む事で、彼の視界だけを奪った。
 その隙に、アーロは槍の柄を掴み、強引に引っ張る。突然の闇に混乱していた男は、突然力が働いた事で余計に混乱し、顔から土の上に倒れ込んだ。
 男の手から力が抜ける。アーロは更に槍を引っ張り、奪い取った。
 剣をしまい、代わりに槍を構える。それを大きくなぎ払う事で、近付いて来る者たちを牽制した。
「アーロ、もう息が上がってるんじゃないかい。頼りないねぇ」
「うわあ、今俺ものすごく、ひとりで逃げたくなりましたよ」
「メイヴェルちゃんを置いて?」
「いけるか畜生!」
 叫ぶ事で、気持ちを奮い立たせる。敵はどんどん集まり、殴る蹴るで倒した者たちも、多少足取りが怪しいとは言え立ち上がってくる。やはり数の上で圧倒的に分が悪かった。メイヴェルが作ってくれた壁のおかげで、横から敵が来る事を想定せずにすむ事だけが幸いだ。
「ここはいい! 何人かは逃げた女を追え!」
 年かさの、尊大な男の声が大きく響くと、アーロたちに群がりかけていた者たちのうち、数人が離れていった。山を下る道を突き進むエイラの目的を読んだのだろう。
 アーロは舌打ちした。この場で持久戦へと持ち込みたかったが、そうもいかなくなった。エイラが逃げきって街から救援を呼んでこなければ、持久戦そのものに意味がなくなるのだ。もっと引きつけなければ。
 そのためには――前に出るしかないか。
 アーロは踏みだそうとした。すると、手にする槍が引っ張られる感覚がした。横目で見ると、いつの間にか隣に立っていたヨシュアが犯人だと判り、アーロは反射的に手から力を抜いた。
「行かせるか!」
 ヨシュアは槍を構えると、踏み込み、力一杯投げる。目の前に居る敵に向けてではなく、もっと遠くへ。槍は風を切り、やがてエイラを追おうと走る集団の先頭にいた男の足下へ突き刺さる。男は「ひぃっ!」と間抜けな悲鳴を上げ、足を止めた。
【大地の王よ、メイヴェルの名において、土を穿ちて巨大なる穴を!】
 背後から聞こえるのは、土に膝と手のひらをつくメイヴェルの声。肩に触れる、細いけれど力強い師の手から助力を得る事で、大地は唱えた通り蠢き、静かに沈み込んだ。
 敵をまとめて穴に落とすのかと思ったが、そうではなかった。よく考えればその手は、意図的に人を傷付けようとしている事が明らかであるし、うっかり殺しかねない。メイヴェルがやったのは、広くそれなりの深さがある溝を、エイラと追う者たちの間に作る事だった。
「すごいな! メイヴェル!」
 妹のとっさの判断に感動して口をついた誉め言葉に、返事はない。ただ聞こえてくるのは、疲労が色濃く出た、激しい呼吸音だ。師の補助があるとは言え、魔法を使いはじめたばかりの身で使うには、大きな力だったのだろう。
「ありがとーメイヴェルちゃん。あとは俺たちにまかせてね」
 いつも通りの軽い口調。どこか間の抜けた笑顔で言いそうな明るい言葉。けれど正面を睨みつけるヨシュアの目は、少しも笑っていなかった。
 妙な気迫に押されかけ、動けないでいたアーロを置いて、ヨシュアは飛び出す。正面に立つ男の膝を強く蹴り飛ばすと同時に、短剣を手にした右手を振るった。隣に居た男の額には横に長く線が刻まれ、さして深くないはずの傷からは血が溢れる。傷口や血がしみる目を押さえ、うずくまろうとする男の顎を下から打ち上げると、男はひっくり返ってそのまま動かなくなった。
 まったく、「頼んだぞ」とか、「対人ならお前が一番強い」とか、よく言ったものだ。この兄弟子が本気を出しさえすれば、自分が敵うものなど弓の腕以外何ひとつない、とアーロは思う。もっとも、自分やアーロに対する危機ならば、よほど追いつめられない限り本気を出しやしないだろうが。
 向こうがエイラを狙おうとした事は、自分たちにとって幸いだったのかもしれないと、アーロは思った。エイラのためとあらば、この人が本気を出さないわけがないのだから――正直ヨシュアとエイラの関係は、よく判らないものとしてアーロの目に映っているわけだが、この際都合が良ければなんでもよかった。
「すみません、加勢します」
 手際の良さにうっかりみとれてしまっていたが、いくら兄弟子が頼もしいとは言え、多勢に無勢だ。何もせずに突っ立っていられるほどの余裕があるはずもない。アーロは再び剣を抜き、兄弟子に続いた。
 そうして目の前の敵を次々と片付け、更に六人ほどが地面に伏したまま動かなくなった頃だろうか。ふたりはどちらからともなく近付いて背中合わせになり、周囲の様子を伺いながら息を整えた。
 相変わらず視界に入るだけでも二十人ほどが居て、辟易する。しかし様子は少し変わりはじめていた。ヨシュアやアーロが次々と倒していくからか、相手におびえが見えてきた。数の暴力で押しても勝てないかもしれないと言う迷いが。
 ヨシュアはともかくアーロはすでに息が上がりはじめているので、残りの全部を相手になどとうてい無理だ。一対一では絶対に負けないような相手でも、この調子で順次投入されれば、そのうち体力不足で適切な処理ができずに負けるだろう。
 だから相手には勘違いしていてほしかった。アーロたちがとんでもなく強く、何十人相手にしても衰えを知らないのだと。戦いを挑むのは無意味だと。そのために必要なのは虚勢だろうと、アーロは周囲を見回しながら笑って見せた。
 正面に居る者たちと、ひとりひとり目を合わせる。武器を持ち慣れていなさそうな者たちは、それだけで怯えを見せた。彼らよりもう少し強そうな、けれど手練れとは縁遠そうな輩も、明らかに気圧されている。多少腕に自慢がありそうな輩は――さすがに戦意を失ってくれそうにない。
 多少なりとも手こずりそうなのは、目に映る範囲で残り九人。そいつらと、あとは後ろに隠れている偉そうな男を引きずり出して倒してしまえば、終わらせられるか。
「しんどいなぁ」
「そうだよなぁ」
 背後の兄弟子が漏らす言葉に、疲労が混じっているように聞こえた。この人でもこんな声を出すのか、と、アーロは変なところに感心した。
 さて、行くか。
 アーロは自身の心を奮い立たせる。休んで、待っていられたら、それが一番いいのだろうが、相手のほうが待ってくれない。今も、いかにも怪力自慢と言った風体の大柄な男が、肩を回して前に出てきている。
 距離は、大股で五歩。アーロは一度、強く地面を踏みしめてから、走り出そうとした。己に気合いを入れるために、叫びながら。
 アーロの声は静かな夜に響きわたるはずだった。しかし、そうはならなかった。より大きな音が突然、木々の向こうから響いてきて、それに混じってしまったからだ。
 大勢の人の足音、雄叫び。がちゃがちゃとうるさいのは、鎧がこすれる音だろうか。
 救援? まさか、まだ早い。まだエイラは街にたどり着いてさえいないはずだ。ではなぜ――
「ヨシュア!」
 騒音を切り開くような師の声が、兄弟子を呼ぶ。彼は状況を掴めているのだろうか、師には振り返らないまま、一度力強く頷いてから、唱えた。
【闇の王よ、ヨシュアの名において、視界を遮る漆黒をここに!】
 そして突如訪れる闇。
 アーロの視界が真っ暗になった。アーロの視界だけ遮るようにした――とは考え辛いので、広範囲を暗くしたのだろうか。何にせよ、突然何も見えなくなり、アーロはどうしていいか判らなくなる。呆然と立ち尽くすしかなかった。
「来い!」
 小さく怒鳴るヨシュアの声が聞こえたかと思うと、強く腕が引かれる。急な事で体勢を崩し、転びかけたが、腕を掴む人物は、けして引く力を緩めてくれない。
 ああこの手加減のなさはきっとヨシュアだなと、変に納得したアーロは、安心して引っ張られるまま走る事にした。


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