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三章



 想像以上に面倒な状況だ、とエイラは思う。きっとそばに居る師や弟弟子たちも、同じように考えているのだろう。
「とりあえず、見えないと不便だから、明かりつけていいかな。光の王が力を貸してくれたら、だけど」
 ヨシュアの提案に、まず反応したのはゾーグだった。
「いいんじゃないか。見えないと、間違ってアーロを殴っちまいそうだ」
「何で俺だけ!」
「アーロ静かに。ヨシュア、一応賛成。ただ、私たちの場所を相手に教えるだけのような形にはしないように」
「それはもちろん」
 相変わらずの軽い口調で答えてから、ヨシュアは唱えはじめた。
【光の王よ、ヨシュアの名において、闇を晴らす優しき明かりを】
 ヨシュアの呪文に、光の王は応えたようだった。月と星がかすかに輝くだけの夜空に、光が生まれる。昼の太陽ほど眩しいものではないが、辺りを照らし出すには充分だった。
 そうして視界が晴れる事で、人影が見えるようになる。木や草などの影に隠れる者――が居るとすれば――は相変わらず判らないが、闇に紛れていただけの者たちは、あっさりと姿を現した。とりあえず、エイラの視界に入っている者だけで十二人。背中の向こうや隠れている者も合わせれば、きっと倍以上になるのだろう。
「メイヴェル、下がってろ。師匠のそばに」
「え……あ、うん」
 不安げに声を震わせた少女は、アーロの指示に従って、ゾーグのそばに寄る。エイラたち三人は、ふたりを背中に庇うようにしながら、ちょうど正三角形を描くように立った。
 思っていたよりも相手の人数が多い。相手にどれだけ武術の心得があるか判らないが、仮にみな素人だったとしても、このまま戦うのは骨が折れるだろう。まして、腕に覚えがある者が居たとすれば。
『数が多いな』
 思っている事と同じ言葉が聞こえてくる。一瞬仲間の誰かかと思ったが、そうではなかった。年を重ねた男性の声。おそらく襲撃者の中の誰かの声だろう。
『話が違う』
『確かに……いつの間に合流したのやら。まあ、多少予定は狂いましたが、何とかなりましょう』
 何の話と違ったのか。
 どんな予定と違ったのか。
 とっつかまえて訊きたい事、考えたい事が次々と出てくる。聞こえるのもいい事ばかりではないなと、少し笑いたくなってきたエイラだった。
「これ、俺たちだけで全部相手はちょっときついですよね」
 アーロがため息混じりの口調でこぼすと、間髪入れずにヨシュアが同意した。
「魔法で一網打尽にできればいいんだが、そうもいかないしな。誰かが街まで救援を呼びに言って、それが来るまで逃げたり隠れたりで時間を稼ぐのが一番、かな?」
「誰が街まで呼びにいくんだい?」
「エイラがいいと思うひとー。はーい」
「はい」
「って事で、エイラよろしく」
「なっ……!」
 エイラは思わず振り向きかけたが、敵に隙を見せてはなるまいと、なんとか踏みとどまった。
「どうして私なんだ」
「だって、こっちに戦力残しておきたいから、行くのはひとりだろ。どう考えても」
「この時点で、師匠とメイヴェルちゃんは論外。それで主戦力のアーロも論外。エイラと俺なら、エイラのほうが街を守る仕事してるし、顔知られてるから、信頼されてる。信頼されているほうが、たぶん話が早い。はい、何か反論は?」
 エイラは軽く唇を噛んだ。
「ない」
「はい、じゃあ、合図で一斉に走ろうか」
「合図って――」
 訳が分からずに問うより前に、「合図」はきた。
【大地の王よ、メイヴェルの名において、何者をも遮る高き壁を】
 可憐な少女の声が、不安に震えながらも力強く唱える。
 不安定な魔力の波動が、そばに居るゾーグによって整えられていた。なるほどメイヴェルをゾーグのそばにやったのは、ただ下がっているためだけではなかった、と言う事か。
 エイラの左右の地面が盛り上がる。すぐにぐんぐんと背を伸ばし、背の高い壁となった。まるで壁の間だけ世界が遮断されたかのようで、少しの息苦しさを感じた。
 これが合図だと悟ったエイラは、振り返って走り出す。他の四人が地面を蹴ったのも、ほぼ同時だった。
 ヨシュアとアーロは、少し足が遅いゾーグとメイヴェルを挟むような位置につく。エイラはヨシュアの隣に並んだ。
 するとヨシュアは懐を探ってから、エイラの手を掴む。冷たく固い感触が指先に触れた。
「何のつもりだ」
「俺の愛。持ってって」
「こんな状況でふざけた事を言うな」
 だが気持ちは――愛ではなく、気遣いの事だ――ありがたかったので、エイラは渡された宝玉を握りしめる。
「エイラは先に行って」と、ヨシュアは小さく言った。エイラは無言で頷く。軽く手を振ってから全力で走り出し、四人を背中の向こうに置き去りにした。
 やがて、壁が途切れる。相手の対処が早く、そこで待ち伏せられている事も覚悟していたが、幸いにもまだ集まろうとこちらに駆け寄ってきているところだった。
 だが、後ろに置いてきた四人がここに到達する頃には塞がれてしまうかもしれない。エイラが走り続ける事を躊躇したその一瞬、耳の奥に聞き慣れた声がはじけた。
『行け!』
 ヨシュアの声だ。大した声量ではないが、はっきりと耳に届いた――届く事が判ってて、彼はそう言ったのだ。
 まったく、聞こえる力は便利だと思うが、聞こえすぎるのはやはりいい事ばかりではない。エイラは失笑しながら、その場を駆け抜けた。
 敵の何人かがエイラを追ってきて、何人かは四人のほうに向かった。やがて背中の遙か向こうで、争う音がする。けれど、エイラは止まれない。自分を追ってくる者たちを何とか振り切り、街まで辿り着かねば。
 木々の隙間を縫い、エイラは走った。落ち葉が散らばる柔らかな地面を蹴りながら周囲を見渡し、もうすぐヨシュアの作り出した明かりが届かない場所になるところまで辿り着いた事を確認する。
【水の王よ。エイラの名において、恵みの雨を地に落とせ!】
 走りながら、必死に唱えた。すぐに、エイラの背後に雨が降りはじめる。今度はかなり限定した狭い範囲だ。地面を濡らせればそれで良かったが、視界を多少でも遮れれば幸いだと、勢いは強くした。
 ただでさえ山道を走り慣れていないのだろう、水に濡れた柔らかな土に足を取られ、葉に足をすべらせる。何人かは転び、そうでない者たちも、失速せざるをえなかった。相変わらずの速度で走り続けるエイラはそうして彼らと距離を置き、暗闇の中に身を投じた。
 少しだけ方向転換してから、木に身を隠す。開いた距離が、あっと言う間にまた縮む。
【音響の王よ、エイラの名において、新たなる響きを作り出せ】
 小さく唱え、遠くを指さす。唱えた通り、そこに音が生まれた。人が土や草を踏みしめ、走り去っていく足音。押さえようとしても押さえきれない呼吸。つい先ほどまでエイラが発していた音とまったく同じだ。
 エイラは必死に息を、気配を殺した。流れてくる汗を拭きたかったが、わずかな動作も我慢した。追いついてきた者たちに、本物のエイラが発する音ではなく、作り出した偽物の音に反応してもらうために。
 エイラは強く祈りながら耳を澄ます。そして、どうやら先ほどの雨が、彼らの追跡の速度をゆるめる事、わずかながら視界を遮る事の他に、第三の役割を果たした事を知る。松明や燭台によって灯りを得ていた者たちは灯りを失い、暗闇の中で月や星の心細い明かりだけを頼りにさまようわけにもいかず、唯一残った灯りの持ち主――どうやらランプか何かを体を張って守ったようである――と共に行動するしかなくなっていた。あれでは、手分けして行動とはいかないだろう。
 彼らは少ない灯りに寄り添いながら、やがて人の足音に気付いた。それが作り出された偽物であるなどと疑わず、エイラ本人が発した者だと信じこみ、走っていく。エイラが本来居る場所とは、全く違う方向へ。
 集団の足音が徐々に遠ざかっていった。彼らの足音が聞こえなくなると、エイラはほっと息を吐いた。汗を拭い、背中を木の幹に預ける。安堵と共に、足の裏から疲労がこみ上げてくるようだった。やはり、まだ万全の状態ではないのだろう。
 だが、ここで休んでいるわけにはいかない。エイラは何度か深呼吸を繰り返すと、すぐに自力で立つ。歩き慣れた道を進み、街へ下りるために。
 まず数歩進んでみた。そして、やはり暗闇の中進むのは無理だと察すると、手の中にある宝玉を握りしめた。
 わずかに力を働かせる。すると、手の中に微かな明かりが生まれる。追っ手との距離はだいぶ開いたが、あまり強い光では気付かれてしまうだろうと考え、最低限、足下を照らす程度の光だ。握り込めば隠せるくらい小さな。
 悔しいが、今は頼もしい力だ。なんて事、ヨシュアには絶対伝えてやらないけれど。
 唇に笑みが浮かびかける。しかしエイラはそれを拭うように拳を押し当て消し去ると、再び地面を蹴って走り出した。


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