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三章



 エイラたちが懐かしい家に――ヨシュアは一度帰っているのであまり懐かしくはないだろうが――たどりついたのは、今まさに空全体が墨色に染めあげられようと言う頃合いだった。
 家の脇の大木を見上げ、ほっとひと息を吐くと、温かな香りが鼻に届く。夕食を作っているのだろうか。空腹を刺激する匂いは、台所に立つ者がゾーグではない事と同時に、アーロたちも居るだろう事を教えてくれた。
「腹減ったなー。俺たちのぶん、あるかな?」
「ないだろうね」
「ですよねー。しょうがないから、半分ずつにしようか」
「どう言う計算だい?」
「俺が色々な貸しの代わりにアーロから奪って、半分エイラに分けてあげる計算」
 なるほど、と小さく唸ってから、エイラは声を殺して笑う。いつもそう言う扱いのアーロを、不憫だなと思っての事だった。
 だがまあ、ヨシュアほどの力を持つ<守護者>を半年もただ働きさせた事を思えば、一食奪われるくらい安いものかもしれない。それに、脱走の罰も与えるべきであるのだし。
 エイラは少しだけ足を早め、家の扉を開ける。そうして視界が開けると、食卓につく師の姿と、皿を食卓に運ぶ弟弟子の姿と、台所に立つ小柄な少女の後ろ姿が見えた。
「エイラ」
「おや。帰ってきたのかい。おかえり」
 アーロの声に反応したゾーグが、わざわざ食事の手を止めて振り返ってくれた事に、エイラは少しだけ嬉しくなった。
「ただいま戻りました。ご心配おかけして申し訳ありません」
「別に心配はしてないけどねぇ」
「自分の食生活についてもですか?」
「ああ、それならだいぶ心配したね。まったく、心配かけるんじゃないよ」
 言ってゾーグは再び夕食に向きなおり、一心不乱に食べはじめた。
「おかえり、エイラ」
「ただいま。あと、アーロもおかえり」
「うん、ただいま。それと、エイラに紹介したいんだけど」
 アーロは小走りで台所のほうに向かうと、小柄な少女の隣に立った。
 人見知りする質なのか、単純に緊張しているのか、エイラに向き直った少女はうつむき気味で、エイラの視点からでは顔がよく見えない。それでも、よく似ていると思った。特に、ほっそりとした輪郭を包む栗色の髪の質感など、そっくり同じだ。
「はじめまして。メイヴェルです。今日から、ゾ……師匠の下に弟子入りする事になりました。よろしくお願いします」
 深々と頭を下げる。丸見えになった後頭部も体と同じく小さくて、可愛らしいなとエイラは思った。<守護者>になって誰かを守るより、守られている事が似合いそうな、可憐な女の子。
 そうしてメイヴェルとコーラルとの違いを探そうとする自分に気付いたエイラは、真っ直ぐにメイヴェルに向き直ってか手を差し出した。
「よろしく、メイヴェル。私はエイラ。判らない事があったら、何でも聞いて」
「ありがとうございます!」
 メイヴェルの小さな両手が、エイラの手を包む。
 細い指、白くて柔らかい手。記憶の中にあるコーラルと背丈は同じくらいのようだが、性差も手伝ってか、やはり違う部分が多いなと感じた。
「気をつけろよ、メイヴェル。エイラもヨシュア先輩と同じで、後輩いびったりこきつかったりするの当たり前だと思ってるから」
「何を言ってるんだアーロ!」
 ヨシュアが少しだけ声を荒げる。
「俺たちがこんな可愛い子いびるわけないだろ」
「はいはい、可愛くない後輩ですみません」
「違うよアーロ。私たちは君が可愛いから、ついついいびってしまうんだよ」
「いりませんそんな愛」
 アーロが拗ねた口振りで顔を逸らすと、メイヴェルが小さく吹き出した。
 ああ、その笑顔は。
 とても、似ている。
「そんな事よりさ」
 和やかな雰囲気を断ち切るかのごとく、ヨシュアが乾いた口ぶりで言った。
「先輩たちのご飯は作ってませんよ。少しくらいは余るかもしれませんが」
「そうじゃねえよ。いやそれはそれで大切な事だけど、それより重要な話だ。のんきに夕飯の準備して食ってるって事は、今のところ大丈夫みたいだが」
 アーロはまずメイヴェルを見下ろし、メイヴェルが首を傾げると、ゾーグに視線を移した。ゾーグは話を聞いていないのか、聞いていても興味がないのか、無言で夕食を食べ進めている。
「師匠、最近、変なやつをこの辺りで見かけたりしませんでした?」
「アタシ以上に怪しい奴が居るとでも?」
「そうでしたね。すみません」
 素直に謝るヨシュアを横目で見ながら、「そこは謝るところなのだろうか」と思うエイラだったが、ふたりがそれで話を流しているので、良い事にしておいた。
「さっき聞いた話なんですけど、異界とか闇の眷族が大好きな奴らが居て、<守護者>が目障りなんだそうです」
「そう言うやつらは、昔っから居ただろう」
「そうなんですか? じゃあ、思想がより過激になったのか、力をつけたのか……エイラの帰りが遅くなったのは、そいつらのひとりに狙われて、怪我したせいです」
「怪我したって、軽く言うね。私は死にかけたんだが」
「え、そうなんだ?」
「まあね。大地の王の力がなかったら、確実に死んでいたと思うよ」
 言ってエイラが胸元の、力を失った宝玉を握りしめると同時に、ヨシュアは目を細めた。
 またコーラルの事を思い出させてしまったのだろうか。この宝玉はコーラルからもらったものだ、と教えた事はなかったけれど、エイラが肌身離さず身につけている事に、大地の王の力が秘められていた事を合わせれば、容易に想像がつくだろう。
 しかしヨシュアはエイラに対して何も言わなかった。ただ細めた目を、どこか一点に向けている。不審に思ったエイラが視線の先を見ると、換気用の小さな窓があった。窓の向こうはただ黒く、何も見えない。
「どうした?」
「いや、一瞬ちらっと、まぶしかった気がするんだけど……」
 普段ならば「気のせい」で片付けてしまったかもしれない発言だが、今の状況でそう流せるほど、エイラの警戒心は足りなくなかった。
【音響の王よ。エイラの名において、周囲の音を我が耳に届けよ】
 素早く唱える。とたん、耳の奥が騒がしくなった。本来ならば聞こえないはずの、窓の向こうのかすかな風の音や虫の声が重なり合う。その中に、人の声と思わしきものを見つけ、エイラは師や弟弟子たちに向き直った。
「エイラが契約しているのは、水の王と音響の王なんだ」
「アーロ黙って。聞こえなくなるから」
 エイラは鋭い口調で、のんきにメイヴェルに説明しているアーロの声を遮った。
「みんな、すぐに家を出て。気付かれないよう静かに、明かりも点けずに。少なくとも、十人以上は居そうだら」
「やばいなー、それ」
 ヨシュアは下ろしかけていた荷物を再び抱え、呟く。それから、まだ戸惑いぎみのアーロの背中を軽く叩いた。
「頼んだぞ、アーロ」
「この状況で、何を頼まれているんですか、俺は」
「いや、相手が人なら、この中で一番強いの、お前だと思ってるんだよ、俺は」
「そうなんですか?」
「そうだろうね。私もヨシュアも、闇の眷族と戦う時は魔法主体だから、剣術や対術の訓練は適当にこなしてきたから」
「そんな理由聞きたくなか――」
「急いで! 奴ら、火矢の準備をしてる!!」
 エイラが声を抑えながら叫ぶと、ヨシュアが静かに扉を開けた。アーロは急いで使えそうな荷物をたぐり寄せてから、メイヴェルの手を引いて飛び出す。ゾーグも「やれやれ」と呟きながら、杖だけを手に外に出た。
 さて、どうするか。最後にヨシュアが出てくるのを確認しながら、エイラは考える。無人の家に火矢が放たれたところで、誰が死ぬわけでもないが、事前に判っていると言うのに住み慣れた場所をみすみす失うのも悔しい。
【炎の王よ】
「ここは雨でも降らせようか。逃げる時の足音も消せるから……」などとエイラが考えをまとめるよりはやく、唱えたのはゾーグだった。
【ゾーグの名において、我らを守る業火の壁を】
 急激に熱が発生し、周囲が明るくなる。
 ゾーグが唱えた通り、エイラたちの前に高く長い炎の壁が現れた。それは敵が放った矢を易々と飲み込んで、家に到達する事のない消し炭と変えた。
「師匠! これは! 目立ちます!!」
 エイラはゾーグの耳に口を寄せ、囁き声で怒鳴る。
「目立つも何も、もう前後から囲まれてんだろ」
「え?」
 エイラはもう一度、耳に届く音を聞き分けようと集中する。確かにゾーグの言う通り、人の声は二方向から聞こえていた。
「向こうの奴らはこの壁を越えられないし、迂回するのに多少時間がかかるだろ。さっさとこっちのやつらを片付けちまいな。アタシはこっから見ててやるから」
「師匠は動かないんですか!」
「腹減ってるからねぇ」
「食べはじめてもいなかった俺たちのほうが減ってますよ!」
 などと文句を言いつつ、アーロはおとなしく剣を抜いた。ヨシュアも、短剣を一本。通常ならば闇の眷族以外と戦う事はないはずなので、人間相手に使える武器は、ふたりともそれしか持っていない。
 エイラもふたりに続き、剣を抜いた。耳に届く音の中に、何か自分たちに有利な情報がないかを探りながら。
『悪魔の使いを産み育てたお前は、たとえ神の使徒によって死を与えられようとも、今生で歓びの世界に辿りつく事はかなわぬ』
 偉そうな語り口が気にかかり、エイラはその声に意識を集中させた。
 襲撃者が異界教の奴らだとすると、声の主が語る神の使徒とやらは、闇の眷族の事であろう。ならば悪魔とやらは、王たちの事になるだろうか。すると、悪魔の使いは<守護者>の事か?
『しかし殉教によって、お前の魂は洗われる。次の生と、神の慈悲を待て。さすれば来世こそ、お前は幸福の地にたどり着けるだろう』
 殉教、との言葉がひっかかった。嫌な予感しかしない中でも、とびきり気にかかる嫌な響きだ。
 今彼らは、彼らの神や神の使徒のために、悪魔の使い――つまりは<守護者>――を消そうとしている。そのために、命を投げろと? 相打ちで死ねと言いたいのだろうか。
 いや、違う。
【水の王よ。エイラの名において、潤沢なる恵みの雨を地に落とせ!】
 相手の意図に気付いた瞬間、エイラは唱えていた。強く、鋭い雨が、一帯に降り注ぐように。それはもちろん、ゾーグが作り出した炎の壁の上にも落ち、互いの力が相殺され、暗くなった場に熱気ある水蒸気となって広がった。
「何するんだい、エイラ!」
「せっかく作ったのに」と言いたげな師に、エイラは向き直った。
「すみません、師匠。根本的な事を勘違いしてました。あいつらの目的は、私たちを殺す事ではありません。ひとりでも多くの<守護者>を消す事なんです」
「同じじゃないか」
「少し違います。殺すのは手段のひとつでしかない。別に殺さなくても、<守護者>を消す事はできます」
 ゾーグはエイラが言わんとした事を理解したらしい。引き締まった唇の先を尖らせて、苛立ちを表現した。
「みんなもできる限り魔法を使わないように、使っても、使い方に気をつけて。下手な使い方をすると、あいつらはそれを利用して、喜んで死に走る。今も、師匠の炎の中に飛び込もうとしてた」
 暗くて、さほど離れていないはずの弟弟子たちの姿は見えない。
 けれど耳に届くかすかな音から、彼らが緊張をより強めた事が伝わってきた。


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