INDEX BACK NEXT


三章



 朝食を食べ終えて少し休んでから、ゾーグはそっけなく「外に出な」と言った。ゾーグの視線は誰にも向いていなかったが、メイヴェルは何となく、自分が言われているのだと感じ、すぐに立ち上がった。
 アーロはメイヴェルよりも一瞬早く立ち上がっていたが、「アンタには言ってないよ」と、更にそっけない口振りでゾーグに言われ、居心地悪そうに背中を丸めている。申し訳なくも少しおかしくて、メイヴェルは兄に隠れて声を殺しながら小さく笑った。
「準備、手伝いします!」
 気を持ち直したアーロは、そう宣言して飛び出していく。
「準備も何も、今日は何も使わないけどねぇ」
 アーロの姿が見えなくなってから、ゾーグはため息を吐きながら呟いた。だが、呼び戻すつもりはないらしい。無駄な事をさせるのもまた、アーロへの罰と言う事だろうか。
「あの」
 まだ出会ってからほんの少しの時間しか経過していないが、この短い時間でのやりとりと、到着するまでの間にアーロやヨシュアから聞いていた話で、ゾーグがどんな人物であるか、少しは理解したつもりだ。真に怖い人ではないと思う。けれど表面的にはやはり怖くて、メイヴェルは話かけるために勇気を振り絞らなければならなかった。
 それでも、伝えなければならない事がある。
「お兄ちゃんの事、許してあげてください」
 告げると、ゾーグはメイヴェルに顔を向けた。フードで隠れているはずなのに、鋭い眼差しで睨みつけられているような気がした。
「お兄ちゃんが修行の途中で、許可も取らず、宝玉を勝手に持って飛び出した事、ゾーグさんが……」
「師匠と呼びな」
「師匠、が、怒るのは当然だと思います。でも、お兄ちゃんがやったそれもこれも全部、私のためなんです。闇の眷族に狙われていた私を、守るために。だから……でも、許してあげてくださいと言うのは、勝手かもしれないので、せめて、その怒りの矛先を、私に」
 ゾーグの手が、食卓の上に置かれた。
 激しく叩きつけた訳ではない。だから響いた音は小さかったが、メイヴェルは反射的に身を縮こまらせ、口を噤んだ。
「アタシの仕事は<守護者>の才能を持つ者を一人前に育て上げる事だ」
 不機嫌な様子で、けれど静かに語られた内容を受け入れ、メイヴェルは無言で頷く。
「一人前になる前に死なれちまったら、アタシの仕事にならんだろう」
 正論だ、とメイヴェルは思った。そして言葉だけを取り上げれば、自分勝手で冷たくも聞こえる内容は、声に込められた温かさと合わさる事でとても優しく聞こえて、つい微笑んでしまっていた。
 心配してくれたのだ、この人は。無謀な戦いに挑んだ、弟子の事を。怒りはその裏返しにすぎないのだ。
 判ってしまうと、彼女の怒りを諫める事も、矛先を変える事も、やってはいけないと感じた。そもそもできる事ではない、とも。
「判りました」
「何がだい」
「私が言った事、なかった事にしてください」
「ほう。アタシが腹いせにアーロのやつをどれだけいびってもいいって事だね?」
「いえ、それは、少し手加減してほしいんですけど……」
「さてねぇ。アタシは気が向いた時に気が向いたようにするだけだからねぇ」
 メイヴェルは何も言えず、ただ困惑を笑みに混ぜる事しかできなかった。「あとで私が謝ろう」などと考えながら。
「ああ、時間を無駄にしちまった」
 ゾーグは立てかけておいた杖を手に取ると、床にぶつけて音を立ててから、ゆっくりと立ち上がった。
「さっさと外に出な」
「はい!」
「すんませーん」
 メイヴェルの返事にかぶせるかのように響く、扉の向こうからの野太い声。
 メイヴェルですら勢いを殺がれた気がしたくらいなのだから、ゾーグが機嫌を損ねるのは、至極当然の事と言えるだろう。
「荷物のお届けでーっす!」
「に、荷物だそうです」
「出な」
「は、はい!」
 師の命に素直に従って、メイヴェルは扉に駆け寄ると、急いで開けた。
 まず視界に飛び込んできたのは、厚い胸板。一瞬ためらってから、真上を見るように首を傾ける。そこには目を丸くしてメイヴェルを見下ろす顔が合って、しばらくふたりは無言で見つめ合う形になった。
「え……と、誰?」
 先に口を開いたのは、相手の方だった。
「あ、はい。今日から師匠に弟子入りする事になりました、メイヴェルです」
「つまり、<守護者>の卵?」
「そうなります」
「へぇ……ところで、エイラさんは?」
「エイラさん?」
「あー、まだ帰ってきてないんだな。判った判った。んじゃ、ゾーグさん、荷物はいつもんとこ置いときゃいいっすか?」
「ああ」
「んじゃ、お嬢ちゃん、ちょっと通してね」
 男性は足下に置いていた、重そうな木箱を軽々と持ち上げると、家の中に入っていく。迷わず厨房に向かうと、荷物を下ろした。
「今度はえらく可愛い子が弟子入りしましたね」
「だから何だい?」
「いやいや、別に。んじゃ、おいとましますよっと」
 男性はゾーグの機嫌に気付いたらしく、そそくさと出ていってしまう。最後にメイヴェルに目配せしてから、「頑張れよ」と声をかけてくれた。
 見知らぬ人に応援されて、何となく温かな気持ちになる。元より頑張るつもりだったが、その気持ちがもっと強くなり、メイヴェルは両の拳を握りしめた。
「ったく、これで邪魔者は居なくなったかねぇ」
 詳しい事情を知らないメイヴェルだが、いまのやりとりを見るだけで、彼が麓の街からわざわざ荷物を運んでくれたのだろう事は判る。それを邪魔者と言うのはいささか酷いと思うのだが、今口を挟んでしまったら、更に邪魔になろうと考え、無言を貫いた。
「アンタは大地の王と契約してるんだったね」
「はい」
「大歓迎だよ。大事な力だってのに、宝玉の残りがほとんどなくなっちまったからねぇ。最後に大地の王と契約した弟子は、ええと、何年前だったかな……」
「コーラル、兄さん、ですか」
 存在だけしか知らない兄の事をその名で呼ぶ事に、戸惑いはあった。メイヴェルにとっての兄コーラルは、まだアーロだったから。本当の名はアーロなのだと言われ、それを受け入れると決めたが、決めてからまだ十日ほどしか経っていない。頭では判っていても、胸の奥まで浸透していなかった。
 言い慣れた「お兄ちゃん」ではなく「兄さん」と続けたのは、ささやかな反抗心からだったのかもしれない。
「ああ、アンタ、あいつの妹か。言われてみりゃ、似てるね」
 ゾーグはまじまじとメイヴェルを見つめた――のだろう。フードに隠れているから、彼女の目線をはっきり知る事はできないけれど。
「あいつの妹なら、力を使いこなすのは早いかもしれないね。あの小僧、大地の王の力を使いこなすのは異様に早かった。三日くらいで小さな力ならひとりで使えるようになってたねぇ」
「人や力によって違うものなんですか?」
「そうさね。契約できるできない以外にも、向き不向きがあるんだろうよ。ヨシュアのやつも、光の王の力を使いこなすまでに、契約から一年近くかかったからねぇ」
「先輩、苦労してましたよね」
「あいつだって未だひとり立ちできないやつに言われたくはないだろうよ」
 いつの間にやら再び姿を現していたアーロに、吐き捨てるように言い放ってからゾーグは、普通に歩いているとは思えないほどの早さで外に出ていった。
「ところで、師匠。俺は今日、何すればいいっすかね」
 ゾーグはしばらくアーロの問いかけを無視して歩き続ける。足を止め、長い杖の先端を、一点に向けたのは、たまりかねたアーロがもう一度問いを繰り返そうとした時だ。
 杖の先は空を示しているように見えた。だがよく見ると、空に向けるにしては少し低いようだ。
「山の頂上まで走って昇って、また下りてきな。遅くとも夕方までにね」
「えーっと、それ、何の役に立ちますかね?」
「師匠の引き出しから貴重品を盗み出すような腐れた根性を叩き直す役には立つんじゃないのかい?」
「はい! そうですね! 行ってきます!」
 アーロは大げさな動作で敬礼し、さっそく山の頂上へ向かって走り出そうとした。
「ああ、転ぶでも、どっかの枝や棘にひっかけるでもいいから、なんか傷のひとつやふたつつくってきな。それを治すのが、メイヴェルの今日の課題だ」
「それ、人体実験って言いません!?」
「言うよ。それが何だってんだい?」
「何でもありません! 行ってきます!」
 まるで涙をこらえているかのような表情でそう言うと、アーロは今度こそ地面を強く蹴り、走り去っていく。
 その背を最後まで見送りたい気持ちでいっぱいだったが、メイヴェルはそうせず、ゾーグに向き直った。
 はやく力を得なければ。
 誰かの、みんなの、役に立つために。


INDEX BACK NEXT 

Copyright(C) 2012 Nao Katsuragi.