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一章



 そもそも襲撃者が何者なのか、エイラには予想がつかなかった。
 自警団たちの内情を知らないので、ルシアンが長である事に不満を抱く者たちが居て、人里離れた機会を狙って襲いかかってきた、と考えられなくもない。少なくともエイラの護衛となってくれた四人は、ルシアンの事を慕っているようだったが、彼らの方が例外なのかもしれない。
 あるいは昨日ルシアンが語っていた、若い女性を狙っている者たちかもしれない。その場合、護衛の女性は今までの被害者たちよりだいぶ年上なので、狙われているのはエイラと言う事になるが、わざわざこんな場所まで追ってくるほど、エイラにこだわる必要性はあるのだろうか。何の目的で若い女性を狙っているか知らないが、その過程で領主の息子を傷付けたとあっては、より警戒が強くなり、今後やりにくくなると考えはしないのだろうか――ルシアンが居る事が計算外だったり、ルシアンの顔を知らなかったりとも考えられるが。
 歯を食いしばりながらエイラは、己の膝を叩いた。傍観しながら背後の事情を予想するなどと、自分だけに余裕がある状況に苛立ったのだ。事情など後で調べればいい。今はとりあえず、駆けつけて共に戦いたい。しかし、封印の術を途中で投げる事はできない現実が、エイラを苛む。
 エイラは耐え、見守った。見守るしかなかった。そうして状況を確認するうちに、敵が四人である事が判った。数の上では一応こちらが勝っているが、個々の実力さがあるかもしれない。なかったとしても、こちらにはエイラと言う護衛対象が居る上、他の四人にとってはルシアンも守るべき存在であるから、けして有利と言える状況ではないだろう。
 形勢が大きく動いたのは、魔法陣に宿る魔力が弱まり、封印の完了が近付いているのをエイラが察した頃だった。ルシアンをかばおうとしたのか、襲撃者との間に身を滑り込ませた自警団の青年が、激しく突き倒される。それに巻き込まれてルシアンまでもが体勢を崩すと、ここぞとばかりに襲撃者のひとりが、エイラが作った道に飛び込んできたのだった。
「狙いは、私……?」
 思い過ごしかもしれない。だが、目の前に倒れたルシアンや自警団の者たちをどうにかするより、自分に接近する事を優先した様子から、エイラはとりあえずそう判断した。
 剣を鞘から引き抜く。王の魔力を込めた法剣ではない、普通の短剣を。どんな理由があろうとも、王から預かった力を、人間を直接傷付けるために使いはしない。それが、エイラと水の王との契約だからだ。
「エイラさん!」
 すぐに体勢を立て直したルシアンが、エイラへと突き進む襲撃者を追い駆けた。元よりほとんど距離が開いていなかった上、ルシアンのほうがだいぶ足が早いようだ。襲撃者がエイラに到達するよりも早く、ルシアンの振るう剣の先が襲撃者の背を掠める。
 襲撃者はルシアンに向き直るしかなかった。絶好の機会を逃した事が悔しいのだろう、小さく舌打つ音がエイラの耳に届く。
「お前たちの目的は何だ!」
 相手の剣を自身の剣で受け流しながらルシアンは問うた。しかし返事はない。ルシアンの唇が歪み、眉間には皺が寄る。まなざしは、襲撃者の身を貫かんばかりの鋭さだった。エイラの前では常に優しく穏やかであった彼は、虚構だったのだろうか。そう疑いたくなるほどに戦士の顔だった。
 ルシアンの戦いを見守りながら、エイラは魔法陣の様子を伺う。魔力の輝きは今にも潰えそうだ。もう少し、あともう少しで、加勢できる――
 襲撃者が身を屈め、ルシアンの懐に入り込もうとした。ルシアンの剣は彼の体格に合わせたのだろう、他の誰よりも剣身が長く、間合いと威力においては優勢なのだが、その分小回りがきかない。距離を詰められすぎると、途端に不利になる。
「ルシアン様!」
 エイラが叫ぶと同時に、光がはぜた。消えかけた魔法陣の輝きが一瞬だけ強くなり、消滅した。
 力を失いただの布と化したものを雑にめくりあげたエイラは、その下にあったはずの暗き穴がすっかり消え去っている事を確認する。その一瞬後、地面を蹴って立ち上がると、勢いのまま突き進んだ。
 ルシアンは、剣を大きく横に振るった。大味なだけで勢いのない攻撃を避ける事はたやすく、素早く身を引いた襲撃者には掠りもしない。
 だが、それでいいのだ。ルシアンは今の一撃で相手を倒そうとしたわけではない。エイラの動きに気付いた上で、襲撃者と距離を置こうとしただけなのだ。
 目の前のルシアンに集中せざるをえなかったのだろう。襲撃者は、エイラの接近に気付いていなかった。もしくは、気付いていても対処できなかった。避ける事もかばう事もできないまま、エイラの渾身の蹴りを脇腹に喰らうと、衝撃に大きくよろける。すかさずルシアンが体当たりで追い打ちをかけると、完全に吹き飛んだ。
 頭から地面に倒れ込んだ襲撃者は、それきり動かなかった。気を失ったのか、動けないほどの激痛に見舞われているのか、あるいは演技なのか。エイラは警戒しながら襲撃者の手を蹴りとばし、武器を奪い取ってから、顔を覗き込む。
 目は伏せられている。口は薄く開いたままだ。息はあるようだから、今のうちに捉えておけば、意識を取り戻してから話を聞けるだろう。もし彼らが連続失踪事件に絡んでいるのならば、解決の役に立つかもしれない。立たなかったとしても、暴漢である事は間違いないので、ルシアンたちにしかるべき処置をしてもらう必要がある。
「ルシアン様、何か拘束具をお持ちでは――」
 襲撃者に落としていた視線をルシアンに向けた瞬間、エイラの瞳に映ったのは、ところどころ切り刻まれた黒装束が、血にまみれているのか赤を含み、不気味に輝いている様だった。
「後ろ!」
 エイラの声に従って、ルシアンは振り返る。
 とっさの事で手加減する余裕などなかったのだろう。ルシアンが振り返りざまに突き出した剣は、迷いなく黒装束の体を抉った。
 黒装束の襲撃者は、避けようともしなかった。身を貫かれながらもその場を動こうとせず、弱々しい力で右手に握る細い筒を口元に寄せると、残された力を振り絞って強く息を吹き込む。
 筒から飛び出してきたものが、ルシアンの脇をすり抜け、エイラに向かってくる。そう気付いたエイラが身を捩った時にはすでに遅く、エイラは首元にわずかな痛みを覚えた。
 その刹那、全身の血が沸騰するような感覚。全身の力が奪われ、呼吸すらままならなくなった。指先だけが、激しく痙攣している。毒かと、気付いた時にはもう遅過ぎた。
「っ……あ……」
「エイラさん!?」
 その場にうずくまったエイラは、己の首を、胸元をかきむしった。苦しい。苦しい。精一杯口を開けて息を吸おうとするが、そのたびに激痛が走り、上手くできなかった。
 こんなところで死ぬのだろうか。
 熱と痛みと息苦しさにみっともなく悶えながら、一部分だけ妙に冷静さを保つ思考が、己の死を予感する。
 病死でも事故死でもなく若死にするならば、闇の眷族との戦いの中で死ぬのだろうと、当たり前に信じていた。しかし現実は、得体の知れない者たちに襲われ、得体の知れない毒で死のうとしている。想像もした事がない終末だ。
 こんなところで。
 こんなところで、まだ――終わりたくない。
 胸元にある手を、もう少しだけ伸ばした。震える手を意志に従わせるは容易ではなかったが、懸命に、少しずつ。やがて指先に、固く冷たいものが触れると、縋るように指を這わせ、一気に握り込んだ。
『肌身離さず、ずっと持ってて。特に仕事に行く時はね』
 冷たい、手のひらの熱を奪っていく宝玉。けれど、エイラの心に何よりも柔らかな温もりを与えてくれる宝玉。
『俺が居ないところでも、平気で無茶するエイラを、大地の王が守ってくれますように』
 今はもう居ない少年が、祈りと魔力を込めた宝玉。はにかみながら、そっとエイラの手に乗せてくれた――
「コ……ラ……」
「エイラさん、エイラさん!」
 遠くに響くルシアンの声が妙に耳障りに感じて、けれど、だからこそ現実に引き戻されたエイラは、念じた。宝玉に秘められた、大地の王と契約した<守護者>の魔力を、解放するために。
 重い瞼を少しだけ開けてみる。握りしめた拳の中で生まれた淡い輝きは、それまでエイラを蝕んでいたものに代わり、優しく全身を包み込んでくれた。
 苦しみが解ける。自由になった呼吸で、ゆっくりと、胸一杯に息を吸う。心地よかった。生を感じた。そうして安堵すると共に、強い疲労感に襲われる。
 吸った時と同じだけゆっくりと息を吐き出しながら、エイラは再び目を伏せた。


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