一章
3
「よく来てくださいました、エイラさん!」
ひとり領主の館にやってきて、女中に案内されるがまま客間で待機していたエイラを最初に迎えたのは、満面の笑みを浮かべたルシアン・アランドラだった。
ルシアンは領主であるダラン・アランドラの末の息子だ。エイラよりひとつ年上で、ついでに身長も頭ひとつ分高い青年である。根が素直だからなのか、それとも育ちが良いからなのか、人なつっこい笑みを見せながら距離を詰める事が上手い人物だった。その笑みに僅かながらも頬の紅潮が加わるのは、どうやらエイラに対してだけらしいのだが。
「わざわざ足をお運びいただいて、どうもありがとうございます」
「当然の事です。闇の眷族に関わる問題が起きた時は我々が速やかに対処すると、我が師ゾーグが領主様とお約束しております」
「それは、そうですが……」
エイラが無表情で事務的な反応を示すと、ルシアンは隠しきれない困惑と寂しさを、小さな笑みに乗せる。おそらく本人は隠しているつもりなのだろうと判るので、少々の罪悪感がエイラの胸に沸いた。
だが絆されはすまいと、エイラは心に決めている。一年ほど前、仕事を終えたエイラが帰ろうとした時、ルシアンがなぜか――いや、理由を察せないほどエイラは鈍感ではないが、ここはあえて判らないふりをいておく――花を贈ってくれた時から。
絆されるどころか、ひとりで街に降りてこないよう、ルシアンとふたりきりにすらならないよう、一年前から今日までの間心がけていたと言うのに。失踪した弟弟子への怒りが再び沸き上がり、エイラはごまかすために話を進めた。
「それで? 問題の、異界への門についてお聞きしたいのですが」
「そうですね。あ、よろしければお話のついでに、お食事でもいかがですか?」
「食べてきましたからけっこうです」
「では、飲み物だけ用意させましょう」と、ルシアンは女中に目配せしてからエイラに向き直り、手にした地図を広げた。エイラから見て北が上になるように置いてから、まず街を指し示すと、そのまままっすぐ西方向に指を滑らせ、ある場所で止めた。
「場所はここです。街から五セイクほど離れた森の中で、近隣住民でもあまり足を踏み入れない深い場所にある小さな泉です」
「よく見つけましたね」
「勇敢で無謀な少年たちの冒険の舞台はすべからく、人があまり立ち入らないような場所ですよ。時代も土地がらも関係なく」
「なるほど。貴方も子供の頃はそうだった、と言う事ですか」
エイラが薄く笑みを浮かべながら頷くと、ルシアンの笑顔が明るくなった。
「はい」
しまった。多少なりとも興味を持ったように思われただろうか。油断した。間違えた。
とりあえず頭の中だけで反省して、エイラは表情をきつく引き締める。
「現地へはどう行けば?」
「こちらで馬車を用意させます。門を発見した少年たちが暮らす村の近くまでは街道が伸びてますし、その先も整備されてはいませんが小型の馬車ならば充分通れます。森の中はさすがに無理ですから徒歩での移動になりますが、問題ありませんか?」
「大丈夫です。あとは……移動にはどれほど時間がかかりそうです?」
「おそらく片道四半日ほどかと」
エイラは視線を素早く窓の外へ向け、太陽の位置を確かめた。
「ならば、今すぐ発てばまだ明るいうちに到着できそうですね。そして夕方までに封印を完了し、村に戻る。夜道の移動は避けたいので、できればその村で宿を借りられると助かるのですが」
「もちろんご用意いたします。ただ、出発までにもう少々時間がかかりそうなのです。本日は村までの移動にとどめて、森の中に入り封印を施すのは明日の早朝からでどうでしょうか?」
「私はかまいませんが……」
エイラは視線を窓の外からルシアンに戻す。
「今夜はおそらく晴れると思いますが、突然天気が変わる可能性もありますし、封印は一刻でも早いほうがよいのではありませんか?」
首を傾げながら尋ねると、ルシアンは戸惑いを示す沈黙を挟んでから頷いた。
「それはもちろんなのですが、今すぐ出発しようにも、まだ手配が完了していないのです」
「馬車の?」
「いえ、エイラさんの護衛です」
エイラは目を見開き、ルシアンを凝視した。そうして確認してみたが、青年は寝ぼけているわけでも、頭がおかしくなったわけでもなさそうだった。
エイラは<守護者>だ。その名の通り、闇の眷族の驚異から人々を守るための存在で、守られるための存在ではない。そんな事、ルシアンは当たり前に理解しているはずである。
「私は魔法を使えますし、それなりに剣術の心得もあります。闇の眷族と戦うために必要な力ですから」
「ええ、存じております。ですが……その」
ルシアンは言い辛いのか言葉を濁したが、エイラがもう一度問いかけるよりも一瞬早く続けた。
「街中に知れ渡っている事ですので、噂を耳に入れるのはたやすいですから、もうご存じかもしれませんが……実は、ここふた月ほどの間に、行方不明事件が多発しているのです。十代後半から二十代前半の女性ばかり、五名も」
被害者の条件に自分が当てはまっている事を理解して頷いたエイラは、まなざしを厳しくしてルシアンを見上げた。
「少ない数ではないですね。闇の眷族のせいではなく?」
「雲ひとつない夜や、夕方に居なくなった方も居ますので、全てが闇の眷族のせいとは考えにくいですね。それから、行方不明者の家族など近しい方々に話を聞いてみた限りでは、失踪するような動機を抱えている方はひとりも居ませんでした。まあ、誰もが心の内の全てを晒して生きているわけではありませんから、中には自分から失踪した方も居るかもしれませんが……やはり全員とは考えにくいかと」
「そうですね」
エイラは納得し、再び頷くしかなかった。
「ですから、エイラさんに護衛をつけさせていただきたいのです。お仕事の邪魔と思われるかもしれませんが、万が一エイラさんに何かがあっては」
「そうですね」
今度はルシアンの話を断ち切るため、エイラは口を挟んで頷いた。
「私の身に何かがある事で、<守護者>としての仕事に支障があれば、大切な貴方の民にもっと多くの犠牲が出るかもしれません。それは避けねばと、私も思います」
エイラがいかにも作りましたとばかりの営業用の笑みを向けると、ルシアンは肯定するしかないようだった。
「あ……ええ、はい、そうです」
「そう言う事でしたら、承知いたしました」
受け入れると同時に、エイラは素早く立ち上がる。
「では、護衛の方々の準備ができましたら、お声をかけてください。風にあたりたいので、お庭を見せていただいてもよろしいですか?」
慌ててエイラの後を追うように、ルシアンも立ち上がった。
「はい、もちろん。よろしければ――」
「門の対応について、ひとりで考えたい事がありまして」
エイラがきっぱり言い切ると、ルシアンは照れ笑いを浮かべながら首をかいた。
「そうですか。では、ご自由に」
「よろしければ」に続く言葉はきっと「案内します」だろうと思って先手を打ったのだが、少しわざとらしすぎただろうか。ルシアンから目を反らしつつ、またもこっそり反省するエイラだった。
大切にしてくれるのはありがたい。隙あらば距離を詰めようと努力する姿はいじらしいとすら思う。素直で、けして悪い人ではないと判っているから、嬉しい――と言っては大げさかもしれないが、自分にはもったいないような申し訳ないような気になってしまう。だからこそ変に優しくしたくないと思っているのだが、そうして肩を落とされたり悲しそうに俯かれると、やはり心が痛むのだった。
「この時期なら入り口に連なるアーチが綺麗なのですが、おひとりになりたいのでしたら、人通りが極力少ないところがいいですよね。個人的には、東側がおすすめです。一面に真っ白は花が広がっていて、清々しい気持ちになりますよ」
「ありがとうございます」
一礼してからエイラは、真っ直ぐに部屋を出ていく。扉を閉じ、ルシアンとの間に壁ができると、安堵のあまりため息が出た。
この感覚が嫌だから、ひとりで来たくなかったのに。
「アーロめ……帰ってきたら、どうしてあげようか」
行き場のない感情を、またも怒りに変え、アーロに向ける。
殴る蹴るでは堪えないだろう。嫌みを言っても、さほど効果はなっそうだ。ならば、アーロの食事にだけ何か細工でもしてやろうか。
仕事あがりに大量の塩でも買って帰ろうか、などとと考えているうちに、少しだけ楽しくなってくる。同じだけ、足取りも軽くなっていた。
Copyright(C) 2012 Nao Katsuragi.