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一章



 王たちは契約時に、闇の眷族の駆逐に尽力する事を、<守護者>たちに誓わせる。これはエイラが知る限り、過去に一度として例外はない。
 つまり闇の眷族を倒す事は、王たちが<守護者>に与える唯一にして絶対の使命で、その使命に力を尽くさない者、使命とは違った方向に力を使う者は、契約を破棄される事もある。たとえば、闇の眷族と戦う事を執拗に拒む者。故意に人間を傷付けようと力をふるった者。故意でなくとも人間を殺めてしまった者。このみっつの過ちを、王たちはけして許さない。
 逆に言えは、それ以外の事に関しては、さほど狭量ではなかった。王たちもそれぞれ性格が違うが故に、許容範囲もまたそれぞれだが、日常生活を送る上でのちょっとした便利使い程度ならば、とくに咎めを受ける事はない。ゾーグが竈に火を入れたり、エイラが水瓶に水をためたり――光の王は少し気難しいようで、夜中に本を読むために明かりを付けようとしたら拒否されたと、いつだったかヨシュアは言っていたが。
「今日は何を作るかな」
 この家で暮らす者たちの食事を作るのは、ずいぶん前からエイラの仕事だった。今日も役目を果たすべく、食材の保管箱を開く。ひやりとした空気がゆっくりと這い出てきて、エイラの手を撫でた。常温保存よりいくらか長持ちさせるため、果物など冷やしたほうが良いものをおいしく食べるため、箱の中に今にも凍りそうなほど――しかしけして凍りはしない――水を入れてある。それももちろん、エイラが持つ水の王の力で出したものだ。
 適当に献立を決めてから、野菜を取り出したエイラは、長いため息を吐く。何を食べても無反応なゾーグとふたりきりになってからこちら、あまり作りがいがない。感謝されたくて作っているわけではないけれど、よく食べ必ずと言っていいほど反応してくれたアーロと無意識に比べてしまい、少し寂しくなるのだった。
「おい、エイラ!」
 少し遠くから、師の声が聞こえた。「はーい」と返事をしてみるものの、再び「エイラ!」と呼ばれるだけだ。暗にゾーグの元に寄って来いと言っているのだと察したエイラは、箱の蓋を閉めてから、声がする方へ向かった。
「何ですか?」
「仕事の依頼だ」
 手にしたしわくちゃの紙に視線を落としたまま、ゾーグはエイラに語りかける。
 ゾーグの肩には鳩がとまっていた。羽の先が僅かに青みがかった色のそれは、麓の街から近隣の村や町を納める領主との、緊急連絡用のものだ。つまり仕事の依頼主は、領主と言う事になる。
「明日の新月の件ですか?」
「新月の晩にうちから<守護者>を出すのは、はなっからの契約だろうが。いちいち依頼される事じゃない」
「まあ……そうですね。では、どんな?」
「領地内で『穴』が見つかっちまったんだとさ」
 ゾーグの唇が歪んだ笑みを見せると同時に、エイラは肩を落とした。
 ゾーグが『穴』と呼ぶものは、一般に『異界への門』と呼ばれているものだ。
 多くは地面にぽっかりと深く黒い穴があいているように見えるものだが、当然単なる穴ではない。異世界――闇の眷族が住む世界に繋がる道で、つまりは闇の眷族がこちらの世界にやってくるための入り口だった。世界の果てで闇の王が封じていると言う門に比べればごく小さなものだが、闇の眷族を忌避する人間たちにとっては、当然見逃せるものではない。
「それは、できる限りはやく封じたほうがいいでしょうね」
「そう言う事さね。だから、今すぐ街に下りてくれるかい」
「え?」
 エイラはまっすぐにゾーグを見つめる。ゾーグは相変わらず深くフードをかぶっているので、見えるのは唇だけだけれど。
「私が行くんですか?」
「そうだよ」
「今はアーロが居ないんですよ? 師匠は……」
「明日の晩は新月だからねえ。アタシはそれに備えて休んでおくよ」
「一緒に行って、向こうの豪華な部屋で休ませてもらえばいいではないですか」
「嫌だよ、落ち着かない。アタシは繊細だからね、仕事の後で疲れてんならともかく、普通の日にあんなとこで眠れやしないよ」
「いえいえ、大丈夫ですよ、師匠ならどんな所でも」
「何でこんな事にしつこく食い下がるかね。アンタはもう子供でも半人前でもないんだから、わがまま言わず、とっととひとりで行ってきな」
 どうやら遠回しに伝えようとしても無駄なようだと悟ったエイラは、短い言葉に本心を込めて返した。
「嫌です」
 だが、ゾーグは軽く首を振って拒否するだけだ。
「あんたに毎月給金やれんのも、こんな人里離れたところに食い物やらを届けに来てくれるやつが居んのも、領主と契約してるからだろうが。ちゃんと働きな」
「そんな事判ってます。ですから、私が明日の新月のほうに行きます。門封じのほうを、どうぞ師匠が。それで、向こうで落ち合いましょ……」
「そう言われてもねえ」
 ゾーグはしわくちゃな手紙を指先でつまみ、エイラの視界にはいるようにひらひらと振った。
「今回ばかりは、絶対にアンタに穴封じのほう行ってもらわんとならないんだよ」
「どうしてですか」
「穴が見つかった場所が、池の底、だからだよ」
 エイラは即座に手を伸ばし、師から手紙を奪い取る。小さな紙に書かれた内容は最低限の情報だけだったが、確かに池の底で発見されたと書いてあった。
「そりゃ、やろうと思えばアタシでもできない事ぁないよ。炎の力で、池の水を全部干からびさせちまえばいいんだからね。でもそんな事したら、別んとこから苦情が来ちまうんじゃないかい?」
「そう、です、よ、ね。これは、水の<守護者>である私が適任だと思います」
「ほら、納得したなら行ってきな」
 嫌だった。
 心底嫌だった。
 けれど、断れるはずがない。領主とは、金銭や生活の援助と引き替えに、闇の眷族がらみの問題へ対応する、と契約している。今回の領主の依頼は、契約上のものだ。
 その上、ほぼ同時に発生したふたつの仕事に対し、ふたりしか居ない<守護者>をどう采配するか、と言う点において、師の判断は至極正当だ。これ以上反対する事はできない。
「判り……ました」
 しぶしぶ頷いたエイラは、けして口にしたくない言葉を無理矢理捻りだした。
「すぐに準備して出立します」
「おう。頑張りな!」
 元気を出せと言いたげに、ゾーグはエイラの背中をやや強めに叩いたが、そんなもので、暗く沈んだ気持ちを奮い立たせる事はできなかった。
 行き場のない感情を抱える事に、急に耐えられなくなる。だからエイラはそれを怒りへと変換し、この場に居ない弟弟子へと向けた。
「アーロのやつはどうして、こんな時に脱走したんですかね! あの馬鹿!」
「別にアーロなんざ居なくても、この程度の仕事、アンタひとりで片付けられるだろ? あのガキ大して役に立たないじゃないか」
「当たり前です! アーロに仕事を手伝ってほしいなんて、これっぽっちも思ってません!」
 ただ、ひとりで行きたくない。それだけだ。けれどその理由を、きっと笑い飛ばす事すらしてくれず、呆れて流してしまうだろう師には語る気になれなくて、エイラはゾーグに背を向けた。
「面倒だなぁ……」
 ため息を吐いてから、エイラは俯く。狭まった視界の中、己の胸元で揺れる透明な石が、淡く輝いた。
 その小さな光を、エイラは柔らかな手つきで包み込んだ。石は手のひらに冷たさと固さを伝えてくるが、不思議と温かで穏やかな気持ちになる。
「頑張れ」と、応援されているような気がした。もちろん気のせいなのだと判っている。頭の中で膨らんではじけた願望でしかないのだと。
 それでも勇気付けられたのは確かで、エイラは顔を上げた。
 住居の向こうに見える大木を、目を細めて見つめてから、更に視線を上げる。高く青い空の下、胸いっぱいになるまで息を吸った。


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