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一章



 エイラが石を何度何度数えても、赤がふたつ、青がひとつ、白がみっつ、茶がひとつ、透明のものが七つしかなかった。
 なるほど確かに師匠の言う通り、石の数が足りていない。師の事だから管理などいい加減なはずで、ひとつやふたつ数が合わなくても騒ぐほどではないだろうと思っていたが、これはさすがに違いすぎる。気付いた師に呼び寄せられるのも当然だと、エイラは考え直した。
「どーだい。アタシの言った通りだろ」
 開け放したままの扉の向こうから、ちらりと顔を覗かせた――と言っても、いつもフードを深くかぶっているから、けっきょく見えないのだけれど――師が、得意げに笑った。
「そうみたいですね。あらゆる種類のものが減っているようですから。でも、全部ではない。絶妙な残し方ですね」
「あのガキはそう言うところ、変に気がきくからねえ」
 ため息混じりに吐かれた師の言葉に、エイラはついつい声を出して笑ってしまった。
 吹き出すほど面白かったのは、師による弟弟子の評価の的確さではない。仮にも師のものを勝手に盗んだ弟子に対し、「気がきく」などと評する師の感覚が、だった。
「足りない分はアーロが盗んだ、で間違いないんですか?」
「お前じゃないんだろう?」
 わずかに低くなった声で問われ、フードの向こうからきつく睨まれた気がしたエイラは、慌てて首を振った。
「それじゃあ犯人はアーロしかないだろ。アタシはその引き出しをここ一年くらい開けてないし、他に盗める奴も、あれの価値が判る奴も、アタシの弟子しか居ないしね」
「しかもなくなったのは、アーロが脱走したのとほぼ同時、ですもんねえ」
 師から視線をはずし、「まず間違いないか」とひとり呟いてから、エイラはもう一度師に向きなおった。
「でもあの子、こんなにたくさん宝玉を盗んで、いったいどうするつもりなのでしょうか?」
「闇の眷族と戦うんだろうよ」
「それはそうでしょうが……」
 まだ疑問を抱えていたエイラだが、師が面倒くさそうに肩を落としたので、それ以上口にするのをやめた。どうやら師は、この件に関して考える事、話し合う事に、もうすっかり飽きてしまったようだ。
 中身が減った引き出しをエイラが無言でしめると、師はその場を立ち去る。長年そばにいる弟子だけがわかる、浮かれた歩調で、家の外に出ていった。弟子の話をするのは、終わったら解放感で嬉しくなるほど退屈だったのだろうか。まあ、勝手に出て行った上に貴重な石を盗んだ弟子を、師がすでに見限っていたとしても、何らおかしくはないのだが。
 ひとりきりになったエイラは、いつまでも棚の前に居ても仕方がないので、部屋を移動した。そうする事で目に付くようになった食卓を見下し、小さく肩を落とす。妙に広く感じるそれを目にし、素直に認めるには少々悔しい感情が、生まれてしまったからだった。
 つい半年前まで、食事どきにこの卓に着く者は四人居た。その頃は、落ち着いて食事がしたいと心底願うほどに騒がしかったはずなのに――ある日三人になって、三日前の朝からは、とうとうふたりきりだ。師はしょっちゅうひとりごとを呟く人だから、完全に静かではないけれど、少し心細く感じてしまうのは、きっと気のせいではないのだろう。
「誰かいないかー? アーロー? エイラさーん?」
 力強く扉を叩く音と共に野太い声に名を呼ばれ、エイラは急いで入り口に行き、扉を開ける。そうして現れたのは、はみでるほどたっぷりと食材を詰めた蓋のない木箱を抱えた男性だった。
 背が高くがっしりとした体格で、濃い顎髭が輪郭を覆っているせいか、実年齢より十歳ほど上に見える青年は、エイラをみると人なつっこい満面の笑みを浮かべる。
「毎度どうも」
「ああ、そうか。今日は配達の日だったね。いつもありがとう」
「アーロのやつは?」
「ええと……今、居ないんだ」
「そっか。じゃー、とりあえず台所まで運んでおけばいいか?」
「いや、ここに置いてくれて大丈夫だ。あとは自分で運ぶから」
「いやいや、これ、けっこう重いから。つうか、ちょっととは言え山を登らせておきながら、このくらいの事気にすんなって。はい、どいてー」
 戸惑いつつもエイラが道をあけると、青年はまっすぐ台所に向かい、箱を置いた。丁寧な作業のはずなのに、どすりと音がする。相当重かったようだ。
「ありがとう。いつも配達すまないね」
「いいって、いつも街を守ってもらってんだし、配達料はたんまり領主からもらってんだからさ。それより、アーロのやつはどうしたんだ?」
「さあ」
「さあって……」
「今、行方不明なんだ」
 大げさな言い方だと思いつつ、他に現状を簡単に説明する言葉が見つからなかったのでそう言うと、青年は目を丸くして驚いた。
「修行が辛くて脱走か?」
「まさか。いや、脱走は間違いないようだが、置き手紙があったし、そこに『十日もしたら帰る』と書いてあったから、修行の辛さが理由ではないだろう。十で弟子入りしてから六年こなしてきたのだから、逃げるにしても今更だ」
「そっか」
「そう言うわけだから、次の配達はとりあえず、半分に減らしてくれていい」
「半分でいいのか?」
 エイラははっきりと頷いた。
「配達してもらっていたものの半分は、アーロが食べていたからね」
「育ち盛りだからな」
 エイラは再び頷いた。
「その上、ちびっこなのを気にして満腹以上に食べる事もたびたびだ。気にするほどではないと思うんだが」
「いやー、まあまあ気になるくらいだろあれは」
「そうか?」
「あるいは、自分より背の高い女に気があるとかさ」
 言って青年は、含みを込めた笑い声を響かせる。
 まだ修行中の身であり、師か兄弟子が付き添って行く闇の眷族退治の仕事以外で人里に降りる事のないアーロが、そんな相手を外で見つけるのは不可能とは言わないまでも難しいだろう。それに、青年の笑いかた。彼は暗にエイラの事を示しているのだと、エイラはすぐに気付いた。
 呆れてエイラは、青年にも判るほどに盛大なため息を吐く。
「アーロの妹語りを一度聞かせてやりたいよ。そうしたらそんなたわけた妄想は二度とできなくなるだろうからな」
「そんなに凄いのか」
「アーロの事をヨシュアより鬱陶しいと思ったのは、後にも先にもあの時だけだ」
「それは……凄いな」
「ああ、凄い」
「いや、エイラさんの、ヨシュアの扱いが、だぞ。俺が言ってるの」
「いいんだよ。あいつは邪険にしても喜ぶから。いや、むしろ、邪険にしたほうが喜ぶのかな?」
 エイラが平然と言うと、青年は先ほどまでの朗らかさを完全に失い、無理矢理捻りだしたかのような乾いた笑いを響かせるのだった。
「<守護者>ってのは、変わりもんの集まりなのかね」
「あいつらと一緒にしないでくれないか」
「すまんすまん……っと、そうだ。忘れるところだった」
 青年を睨み上げるエイラの目に、青年が取り出した紙の束が映る。すると意識は完全にそちらに移ってしまい、エイラは黙って手を伸ばした。
 エイラあての手紙。きっと、故郷で暮らす、家族からの。
「配達のついでにこれも届けてくれって頼まれてたんだ」
「ありがとう」
「なんか、すぐにでも目を通したいって顔だな。じゃ、俺は失礼しますよっと。また五日後にー」
「ああ、よろしく頼む」
 エイラは入り口まで青年を見送ってから、急いで踵を返し、食卓の一番はじの椅子に腰を下ろした。
 慌てて、けれど丁寧に、封を開ける。他愛のない近況報告が、一番年の近い、みっつ年下の弟の字で綴られている。ときどき混じるお世辞にも綺麗とは言いがたい字は、一番下の妹のもの。師に弟子入りしてから生まれた彼女と会ったのは、父が亡くなったとの連絡を受けて里帰りをした、ただ一度だけだ。
 エイラは十二年前、十歳の時、ゾーグに弟子入りした。師に一人前の<守護者>と認められたのは五年前。その後、どこかに雇われるなり、故郷に帰るなり、選べる道はいくつかあったのだが、師に請われて未だここに残っている。生活費がまったくかからないため貰える給金をほぼ丸ごと故郷に送れる事がありがたかったし、自分が居なくなったら師や弟弟子たちがまともに日常生活が送れるのか心配だったし――どうにも離れがたい思い出が、この場に眠っているせいでもあった。
 読み終えた手紙を伏せて置き、目を伏せて静かにため息を吐く。家族からの手紙は届くと嬉しいし、読むと幸せな気分になれる。けれど、同時に沸き上がる、焦燥感。息苦しくもある胸の痛みに、辛くなる事もあるのだった。
 昔も、今も、エイラには沢山手紙が届く。
 だが、年下の兄弟子には、ただ一度を除いてまったく届かなかった。
 必死に隠そうとしていたけれど、手紙を受け取るエイラを、羨ましそうに悔しそうに見ていた少年の目が、一度だけ輝いた日。今でもはっきりと覚えてる。そしてさほど時を置かず、消えてしまった事も。
 忘れるわけがない。
 忘れられるわけが――ないのだ。


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Copyright(C) 2012 Nao Katsuragi.