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五章 守り人の地


20

「そう言えばさ、あんた、増援呼んでなかったっけ? まだ来ないの? まあ、今更来られても困るんだろうけどさ」
 香りの良い茶をひとくち飲み込んでから、リタは上目遣いでジオールを見ながら言った。
 リタの発言内容はカイの知る所ではなく、興味を抱いたカイは、リタと同様にジオールを見上げる。
「元より間に合わない事は判りきっておりましたから、本当に呼んではいないのでしょう」
 答えたのはジオールではなくハリスだった。
 意図的に自分を追い込んでいるのか、三日前の魔物との戦い以来多忙な日々を過ごしているハリスの声を、カイは久しぶりに聞いた。姿を見かける事は幾度かあったが、ハリスの方は語りかけてくる余裕がなかったし、カイの方は話しかけたいとも思わなかったからだ。
 他人の護衛であるハリスの声を三日間聞いてないくらいならばまだいい方なのだろう。カイはこの三日間、自身の護衛隊長であるルスターの姿を見ていなかった。護衛は他の者たちがしてくれているし、魔物など神に反する者が出てきているわけでもなく、問題に思っているわけではないのだが、顔も出せないほど多忙を極めているのかと思うと、少し心配だった。ただでさえ精神的な打撃が強いはずである。その上、肉体的な疲労をあまり溜めてほしくない。
「ジオール殿は本当にお優しい先輩です。もしジオール殿が宣言した通りの行動を起こしておられれば、私は充分な戦力を率いて遠征しながら、その日の内に大神殿に泣きつくと言う、情けない隊長になっていた事でしょうから」
「あんたが言ってたんじゃなかったっけ? ジオールはとっくに自分の名前で使者を出してる、とか。結局、ジオールは何にもしてなかったわけ?」
 答えたのはハリスでなくジオールだった。
「ハリスは優しい後輩ですから、判っていながら、私を上官の指示が無くとも適切に動く男にしてくれたのです」
 リタは冷たい視線をふたりの間で泳がせた後、茶を飲み干し、深い息を吐く。心底呆れているようだ。
「いい歳の男が嫌味合戦ってどうかと思うんだけど」
「しかし、突然殴り合いを申し出る方が年甲斐のない行動かと思われます」
「それもそうだけど……」
 納得しきれない様子で呟くリタをちらりと横目で見た後、ハリスは歪んだ笑みでジオールを睨んだ。
「今の嫌味が一番きついですね、ジオール殿」
 何食わぬ顔をして茶に口を付けるジオールにそう言い捨てて、ハリスは咳払いをした。どうやら、話を強引に変えるつもりのようだ。三日間カイたちの前にまともに姿を現さなかった男が、雑談のためだけに現れたとははじめから思っていなかったので、ようやく本題に入ってくれたのかと安堵したカイは、ハリスの声に耳を傾けた。
「戦闘の終了から三日経過いたしましたが、今のところ魔物の来襲はありません。城内に入り込んだ魔物の始末も完了しておりますから、ザールから救援依頼を受けた件に関しては完了した言って差し支えないでしょう。つまり、我ら聖騎士団がザールに滞在し続ける理由はございません」
「じゃあ、帰るのか?」
 カイの問いかけに、ハリスは静かに肯いた。
「明後日の朝に出立を予定しておりますが、全てではありません。ザールの兵士たちは、死者こそ少なかったとは言え、負傷者はかなりの数に上っております。近くに魔物の襲撃が無いとは断言できず、残りの手勢では不安が残るとの事で、ザール側から残留の要請がありました。そこでとりあえず、半数がザールに残る事となりました。シェリア様、リタ様、カイ様は、半数の聖騎士と共に、大神殿へ帰還していただきます。こちらの隊には、ジオール殿と私も同行いたします」
「あんた、帰っちゃって良いの? 遠征隊の隊長でしょ?」
「私の役割はザールに滞在し警戒に当たる事ではなく、ザールを襲う魔物を討伐する事です。すでに完了しておりますから、報告に戻る事が最重要で――」
「ルスターさんは?」
 答えが判りきっている問いを投げかける事に躊躇っていたカイだが、当たり前のようにルスターの名が抜けている事はやはり気になってしまい、会話を遮るように声を上げた。
 目を伏せたハリスは、再び目を開くと同時に、カイに向き直った。
「本人は退団の意志を示しておりました」
 本人に言われた時よりも寂しく感じたのは、ルスターではない人物の口から発せられる事で、客観性が増したためだろうか。
 カイは静かに肯く事で受け入れた。ルスターが他の選択肢を選ぶとは考えにくく、他の選択肢を選ぶルスターを許せるわけもなかったので、受け入れるしかなかった。
「遠征先で『辞めます』と言って終わらせる事は不可能……とは言いませんが、あまりに礼儀を欠いた行為ですし、何より彼は、聖騎士としての現在の役割を忘れてはおりません。故にどうやら、私たちと共に大神殿に戻るつもりでいるようです。しかし今この時、数日とは言え、ルスターがザールを離れる事は、得策ではないと私は考えております」
 リタが、ジオールが次々に肯き、少し遅れてカイも肯いた。シェリアだけが、自分には無関係だとばかりに、半分ほど残っている茶の器に視線を落とすのみだった。
「もう少し落ち着いてから大神殿に戻ればいいとか、とりあえずザールに残れとか、ちゃんとルスターさんに言ってあげたのか?」
「もちろんです。ですが、『聖騎士である私はカイ様の護衛隊長です。その役目を放棄してザールに残留するわけには参りません』と返されました。彼の家庭の事情を鑑みなければ、当然の発言です」
「今俺たちは、ルスターさんの家庭の事情を鑑みた上で、残るべきだって話をしてるんじゃないのか」
「おっしゃる通りなのですが」
「まったく。ザールの前領主はただ死んだんじゃない。魔物と化した家族に殺されたんだ。城の中に魔物やその手先が何人も入り込んでいたんだ。その事実に、ザールの民がどれだけ困惑してるか。揺らぎかけたザールを立て直す事と、俺と、どっちが大事な事なのか、ちょっと考えれば判るだろうに、どうして……」
 半ば苛立ちながらカイがこぼすと、ほぼ同時に四方向から反論が返ってきた。
「考える必要もありません。カイ様です」
「カイ様でしょう」
「その比較しちゃうと、カイの方が重要になるんじゃないかな、聖騎士の目からみれば」
「大陸を放棄するかザールを放棄するかの二択になります。ならば、ザールを放棄するしかありません」
 シェリアや聖騎士たちならばともかく、リタまでもがカイと反対の結論を導き出した事に、カイは言葉を失った。
「言い方が悪かった。俺の身を守るのは誰でもできるけど、ザールを立て直す事はルスターさんにしかできない、ならいいのか?」
「まあ、いいんじゃない?」
「『誰でも』の部分に疑問を抱きますが、代わりの者が居ると言う意味でしたら、問題ないかと」
 ようやく同意を得ると、カイは満足して肯いた。
「聖騎士としての役割とやらが気になるなら、聖騎士としてザールに残る理由をルスターさんにあげればいい。残留する隊の方に押し込んでおくとかさ」
「それは私からも提案したのですが、本人が受け入れませんでした。遠征隊における上官は私でしたが、護衛隊長である彼の上官ではありませんから、最優先すべき役目を放棄するよう命令する事もできず」
 カイは目の前の円卓を叩くように手を置き、立ち上がった。その場に居る全員の視線を集める事となったが気にする事無く、背中を向けて出口へと向かう。
 はじめからカイが動く事を期待していたのか、カイの心情を慮ってくれたのか。誰からも制止する声がかからず、カイは通路へ飛び出した。
 やや乱暴な足取りで通路を突き進み、階段を乗り越えて、ルスターが勤める部屋に辿り着く。適当に扉を叩いてから開けると、すぐ正面の机に、小難しそうな書類を片手に文官らしき男と言葉を交わすルスターを見つけた。
「カイ様」
 顔に浮かぶ疲労の色は濃く、この三日間、睡眠時間どころか休憩時間すら取れていないのではないかと疑うほどだった。せっかくの端整な顔が台無しだと、余計な事を気にしながら、カイは静かにため息を吐く。
 ちょうど話を終えた所だったのか、それともカイに気を使ったのか、文官と思わしき青年は退室し、部屋の中にカイとルスターだけが残される。ルスターに歩み寄ったカイは、慌てて立ち上がろうとするルスターを椅子に押さえつけ、再びため息を吐いた。
「この所、顔も出さずに申し訳ございません。出立前に片付けるべき事は片付けておかねばと思いまして」
「何で出立するんです? ルスターさんは、ザールを継ぐんでしょう?」
「ですが、今の私はまだ聖騎士です」
 目の前のルスターは、ハリスの口から語られたルスターと同じ反応をした。理由と言う名の言い訳を長々と語る事をせず、短い言葉で返してくるのは、余計な言葉を紡げないほど疲れているせいなのだろう。
「ルスターさんは、ザールがどうでもいいんですか?」
「とんでもありません。心より愛する故郷です」
「じゃあ、とりあえずハリスの言葉に甘えて、残ればいいんです。大神殿に帰ってきて、聖騎士辞める事なんて、いつでもできるんですから」
 自分の言葉が説得として成立しているのか疑いつつも、カイがきっぱりと言い切ると、ルスターは目を細めて笑った。一瞬、彼が顔中に浮かべていた疲労が消えたような気がして、カイは目を擦って確かめる。
 窓から差し込む柔らかな光が、蜂蜜色の髪を優しく輝かせた。
「カイ様、私は、幼い頃から聖騎士に憧れていたのです」
「……はあ」
 なぜ、今、彼の子供の頃の夢を聞かなければならないのか疑問を抱きつつ、カイは生返事をした。
「叶わない夢かもしれないと恐怖しながら、入団試験を受けました。一度は落ちました。二度目で諦めようと考えました。同時刻に試験を受けた者の中に、私よりいくつか年上の、優れた剣技の持ち主がおりまして、『ああ、こう言う人が聖騎士になるのだな、自分には無理なのだろうな』と思ったのです」
「はあ」
「受かったと知った時、夢のようだと感激いたしました。自分はなんと幸せなのだろうと――この二十年近く、全てが良い事であったとは言いませんが、辛く苦しかった事も含め、聖騎士を続けられた事は、私にとって夢のような幸福だったのです。最後に、カイ様にお仕えできた事が」
 ルスターは優雅に礼をした。微かに揺れる蜂蜜色が、寂しい色合いながら美しく輝き、カイは両目の奥に痺れるような痛みを覚えた。
「カイ様やハリス殿のお気持ち、心より嬉しく思います。ですが、早く区切りをつけなければ、故郷のために尽くそうと思う心が、幸せな夢の前に揺らいでしまう気がするのです」
 痛みを堪えようと、カイは両の拳を握り締めた。
「どうせ辞めるなら、さっさと辞めたいって事ですか」
「身勝手である事は承知しております」
「じゃあ、俺にも勝手な事言わせてくださいよ」
 ルスターは顔を上げ、カイを見上げた。
「やっぱり、今回はザールに残ってください。残留する隊の一員としてでも、親族の葬儀のための休暇でも、理由は何でもいいです。とりあえずザールの復旧に力を尽くしてください。それで、来月の十日くらいにまでに、誰かに留守を預けられる状態に立て直して、大神殿に戻ってきてください。辞めるのは、来月の十七日付です」
「十七日……」
「選定の儀とやらの翌日です。せめてその日くらいは、俺の事見守ってくださいよ」
 言い切ると、ルスターはいっそう目を細めて微笑んだ。
 あまりに優しいその笑みは泣いているようにも見え、カイは不安になり、子供のような我侭を並べてしまった事を少しだけ後悔した。少しだけだ。基本的には、後悔などしていない。結果がどうなろうとも、言いたい事を言ってやりたいと望んで、そうしたのだから。
「了解いたしました。カイ様が望まれる通りに」
 ルスターは深く深呼吸をしてから答えた。
「……やっぱり、俺だけの我侭ですか」
 笑顔で受け止めるルスターを前にし、まるで自分が子供のようで――ルスターに比べれば、明らかに子供なのだが――気恥ずかしくなったカイは、すねるような口調で呟く。
 ルスターは静かに首を振った。
「カイ様は本当にお優しい方です」
「別に俺は優しくないですし、優しくしようとして言ってるわけでもないですよ」
 むきになって反論すると、ルスターは笑顔のまま肯く。
「では、そう言う事にいたしましょう。ハリス殿は、今どちらにいらっしゃいますか?」
 カイがごまかそうとする前に、ルスターが話を変えてくれた。以前と比べて明らかに力の無い足で立ち上がりながら、カイに訊ねてくる。
「多分リタたちの部屋に居ると思いますけど」
「そうですか」
「ザールに残る事なら、俺が伝えておきますよ?」
「ですが、報告と共に謝礼の言葉を伝えたいのです。そちらの伝言をお願いする訳にはいきませんよね?」
 自分自身の言葉ではないからと言って、ハリスに対して「ありがとう」などと言う自分を想像するだけで気分が悪く、カイが口を噤むと、ルスターは小さく吹き出す。
「行きましょうか」と言いながら、ルスターはカイの背中を押した。背中から伝わる温もりは、悲しいほどに温かかった。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.