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五章 守り人の地


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 リタたちが呼ぶ雷とカイの放つ矢が的確に魔物を落としていったためか、接近してくる魔物は少なく、若干の余裕が生まれはじめたが、目に入る範囲に魔物の姿はまだ多くある。カイは手を休める事無く、矢を放ち続けた。
 どうやら地上を駆ける魔物たちも到着したようだ。遠い足元から、人と魔物が戦う喧騒が聞こえてきた。遠くから駆けてくる魔物たちにはリタたちの雷が落ちるが、混戦状態の場所には援護ができないため、ひとりでも多くの兵や騎士たちが無事である事を祈るしかない。まだ城門は破られておらず、城壁を越える力を持つ魔物とのみ戦っている状態であるので、有利な状況にあるはずだ。
「下の魔物、少なく、ありませんか」
 振り下ろすルスターの剣には、強い感情が篭っているように見えた。故郷を傷付けられ、親族の命を奪われた憎しみが、鈍い光となって力を加えているのかもしれない。
「空を飛ぶ魔物が律儀に御子様を狙ってきてくれているからだろう」
「それだけでしょうか?」
「時間が許す限り、簡単な罠を仕掛るよう指示はしておいた。いくらかかかってくれたのかもしれないな。魔物はやはり単純だったな……さて」
 近付く魔物始末し終えたハリスは、鋭い稲光や所々に用意された篝火によって照らされる範囲を見回した。戦い合う魔物と兵士を見比べ、戦況を確認しながら、求めるものを探している眼差しだ。
 そろそろ魔物たちも気付いているだろう。ただの魔物では、神の子は当然、護衛隊長すら倒す事はできないのだと。ならば次に攻めてくるのは――
 護衛隊長たちは、束の間の沈黙に、乱れた息を整える。その表情は、緊張こそ失っていないが、剣を振るう戦いの最中よりも僅かに和らいでいるはずだった。
「ルスターさん?」
 交戦中よりもいっそう険しい顔をしたルスターにいち早く気付いたのは、比較的余裕があるカイだった。
 名を呼ばれた事でか、眉間に深く刻まれた皺が伸びる。一瞬だけカイに振り返ったルスターは、すぐに己の使命を思い出し、周囲に目を向けた。
「どうかしましたか?」
 様子が気になって、カイが曖昧な問いを投げかけると、ルスターははじめ「いいえ、何も」と軽く否定した。だが、しばし逡巡した後、再び口を開いた時には、まったく違う事を語りはじめた。
「先ほどの、カイ様とリタ様のお話が、少々気になっておりまして」
「さっきのって、魔獣側が俺たちの使命とかを知っているのかってやつですか?」
「はい。選定の儀が来月である事を、なぜ魔獣が知る事ができたのか――おっしゃる通り、魔獣やその眷属に知る力があるだけかもしれませんが、もしかすると、私のせいかもしれません」
「心当たりがあるんですか?」
 ルスター苦い表情で肯いた。
「ザールの未来を憂うランディへと送った手紙の中に、書いた記憶があります。私はもうすぐカイ様の晴れ姿を見る事ができると。それによって、ザールを含む大陸の平和はより安定したものになるであろうから、不安に思う必要はないと。その手紙の内容が洩れたのだとすれば、あるいは」
 ルスターの声や雷鳴の合間に、石畳を打つ足音が聞こえた。
 呪文を唱え続けるふたりの少女を除いた四人が、瞬時に足音がした方へと意識を向けた。もっとも、体ごと向き直ったのはカイのみで、護衛隊長たちは辺りへの警戒を解く事無く、視線を僅かに向けたのみだった。
 足音は下の階へと続く階段の奥から響いていた。ひとつではない、複数のまばらな足音だ。はっきりとは判らないが、少なく見積もっても三人以上は居るようで、ただの足音だけではなく、硬質な音も混ざり込んでいるように聞こえた。
 上ってくる者が敵か味方か、足音だけで判断できるはずもなく、やがて明かりと影がちらつきはじめると、カイは階段へ向けて弓を引き絞る。
「ハリス様!」
 ハリスの名が呼ばれるのと、階段から複数の人間の姿が現れたのは、ほぼ同時だった。
 まず現れたのはザールの兵士と思わしきふたりの青年で、彼は縄で縛られた男を乱暴に床に投げ出した。投げ出された男は使用人のようだが、禍々しい形相で、自身を拘束するものから逃れようと、必死にうごめいている。魔物に操られているのは明らかだ。
 彼らの後ろ、ちょうど階段を上りきったあたりににも、杖を着いて立つ人物の影があった。
「ユベール」
 その場に居た誰もが彼の事を知っていたが、最も近しい間柄であるルスターが、彼の名を呼んだ。
 不自由な足で階段を上るのが辛かったのか、ずいぶんと疲弊した顔をしたユベールは、呼び声に答えるように薄く笑う。
「どうしてここに居る。非戦闘員は自室で待機するよう、ハリス隊長より指示があったはずだ。逆らうならば誰であれ、拘束せねばならない」
「非戦闘員とはあまりに酷い言いようです。確かに怪我はしておりますが、私とて騎士なのですから。確かに今の私は戦力にはなりえませんから、義兄上のおっしゃりようも判らないではないですが、多少はお役に立ちたいと思っての事なのです」
 ユベールの視線は、床に転がった男に向けられた。
「君たちは、どうしたのだ」
 ハリスが兵士たちに訊ねると、片方が元気よく答えた。
「この者が通路を徘徊し、塔を上ろうとしていた所をユベール様が発見してくださったのです。ご指示通り捉えましたので、ご報告に上がりました!」
 ハリスは無言で首を振った。
「私が聞いているのはそんな事ではない」
「では、どう言う事でしょう」
「君たちがどうしてここに居るのか、と言う事だ」
「ですから、報告に」
「城内の警備を任せた者たちの中に、君たちは居なかったと記憶している。いや、城内だけではないな。昨日までに生存していたザールの兵士の中にも――」
 語り終えないうちにハリスが剣を振り上げると、兵士たちは身を引いた。一方は首に深い傷を負いながらも、血を吹き出す様子は無く、平然と身を屈め、手にした短剣で床に転がる男を拘束する縄を切り裂き、解放する。
 三人から同時に襲われる事となったハリスだが、動揺はしなかった。いつもどおりの素早い剣戟で切り裂くと、さほど時間を置く事なく、ハリスの周囲に三体が転がった。
 足の筋を切られ、あるいは膝下を失い、満足に立ち上がる事もできない男たちは、起き上がろうともがくばかり。上半身は充分動いているが、近寄らなければ害は無さそうだ。
 相手の腕や短剣が届かず、しかし自身の剣は届く限界まで距離を置き、とどめとばかりに剣を振り上げたハリスを、無言で制止したのはリタだった。
「よろしいのですか?」
「さすがに、可哀想でしょ。できるのはあたしとシェ――いや、あたしだけだし」
 男たちに襲われないよう、動けない足元の方に回り込んだリタは、男たちの突然の変貌に驚き、体勢を崩して座り込んだユベールの姿を見つけ、小さく息を吐く。
「味方が味方とは限らないんだから、あたしたちの所に人を案内する時は注意してちょうだい」
 リタの手がひとりの男に触れる。吹き飛ばされるはずの体は、床によって阻まれて軋んだ音を上げるだけだった。しばしの間を開けて口からこぼれ出る黒い靄が、彼が魔物から解放された証だった。
 突如魔物の鳴き声が響いたのは、リタの手がふたり目に触れた瞬間だった。
 低空飛行で塔まで近付いて来ていたのだろう。これまでカイたちの視界に入らなかった魔物は、突然上昇して姿を現した。最も近くに居たカイとルスターを目指して突き進む魔物は、勢いのまま鋭いくちばしでカイを貫こうとしている。
 カイが弓を捨て剣の柄に手をかけるよりも早く、ルスターがカイと魔物の間に入った。撥ね退けるように剣を振るうと、僅かに方向を変えた魔物のくちばしは、石でできた床に突き刺さる。
 くちばしを抜くまでにかかった僅かの時間に、ルスターとジオールは魔物を仕留め、振り返った。
「リタ様!」
 杖を頼りに立ち上がったユベールは、杖を床から放していた。彼が折れているはずの左手で、杖の中ほどを握ると、直後、刃の輝きがカイの目に飛び込んでくる。
「リタ!」
 痛めているはずの足が何事もなく床を蹴り、最後のひとりを魔物の闇から解放していたリタの喉元に、鋭い刃が向けられる。刃先がリタを掠めるより僅かに早く、ジオールの剣が刃を弾いた。
 あらかじめジオールの行動を予想していたのか、ユベールの切り返しは早く、追撃に剣で対応する事ができなかったジオールは、右腕を伸ばす。歯が浮くような金属音が響くと共に、籠手が刃を弾くと、ユベールに当て身を食らわせ、吹き飛ばした。
「ユベール、君は――」
 四方より飛んできた魔物たちが、意外に器用な手先で弓を射ったのは、ルスターが涸れた声でユベールを呼んだ時だった。
 矢は神の子を狙っており、カイは自分に向けて飛んできた矢を、身を捩って避けた。
 ユベールと戦っていたために反応出来ずにいたジオールに代わって、リタを守ったのはルスターだった。リタの前に立ちはだかり、剣身で矢を弾く。
 ハリスは飛んできた矢を剣で叩き落としたが、一本がせいぜいだった。もう一本の矢を止める事ができなかった彼は、矢が狙う先に居るシェリアを突き飛ばそうと手を伸ばす。
 だが、伸ばされた手は、シェリアに触れる一瞬前に動きを止めた。
 ほぼ同時に、ハリスの足は、無理な体勢で床を蹴り、矢はハリスの身に深々と突き刺さった。


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