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四章 追想




 再び馬車に乗り込んで、白い道を進む。わざわざ馬車に乗るほどの距離があるとは思えず、「これくらいならば歩く」とカイは主張したのだが、「シェリア様もご一緒ですので」と言われてしまえば、我を通すわけにも行かなかった。
 門から真っ直ぐに進むと大聖堂があるが、途中で道を曲がる。聖騎士たちの宿舎と思わしき建物の前を通り過ぎると、尖塔が姿を現した。
 大きな平屋の建物の南側と東西それぞれに塔が繋がっている。カイは初め、そう思っていた。だがそれにしては塔の存在が強すぎるように感じ、もしかすると逆かもしれないと思いはじめた。平屋だと思っている部分は、それぞれの塔を繋ぐための通路としての役割を果たすために存在しているだけなのかもしれない。
 周囲を見渡す程度の高さしかないこの塔に何の意味があるのかと疑問を抱いたカイだったが、誰に質問すべきか悩んでいる間に、答えを知る事となった。馬車が平屋の入り口の前に停車したのだ。
「部屋に案内するって言われたよな、俺」
「はい。カイ様は南の塔となります」
「……そう、か」
 色々な意味で予想外だったが、深く考えても無意味だと判断したカイは、思考から逃げる事にした。馬車に乗り続けていたために強張りかけた体を可能な限り伸ばすと気持ちよく、全身が静かに悲鳴を上げ続けていた事実を思い知らされる。
「カイ様、申し訳ありませんが、お手をお貸しいただけますか」
「お前には充分以上に手を貸しているつもりだが? 神の子の使命とやらを果たす以上の事を俺に求めるな」
 カイはひらひらと手を振りながら、冷たい声で言った。
「いえ、私にではなく、シェリア様のために」
 振り返ると、馬車を降りずに待っているシェリアが見える。
「お前が貸せばいいだろう」
 即座に浮かんだ疑問をそのままハリスにぶつけると、ハリスは微笑みながら答えた。
「私はシェリア様に触れる事を許されておりませんから」
 カイは首を傾げた。言われてみれば、いつもシェリアに手を貸しているのは、ハリスの部下の誰かだった。ハリスが彼女に手を差し伸べた事は一度として無い。
 シェリアの態度にも、ハリスの笑みにも、頑なに崩せないものがあるように思え、カイは「別にハリスでもいいじゃないか」と言う気にはなれなかった。無言でシェリアに手を差し出すと、シェリアはカイの手を借りて馬車を降り、軽く会釈をしてから「ありがとうございます」と言った。
 真っ白なシェリアの手が離れていく様を見つめていたカイは、足音が近付いてくる事に気が付いた。顔を上げると、カイよりも先に足音の主を見つけたハリスが、驚いた顔をして人の名を紡いだ。
「ルスター!」
「カイ様、シェリア様、ハリス殿。トラベッタよりの長旅、お疲れ様でした。ご無事のご帰還、何よりです」
 ルスターと呼ばれた男は、年の頃はハリスらと比べ、幾分若く見えた。ゆるく波打つ蜂蜜色の髪を持つ、端正な顔立ちの男で、優しそうな笑みを浮かべている。
 見るからにいい人そうだ、と思ったカイだったが、視界の端にハリスが映った瞬間、見た目に騙されてはならない事を思い出した。
「お初にお目にかかります。私はルスター・アルケウスと申します」
 男はカイに向けて優雅に一礼した。
「カイです。はじめまして」
「ルスター、まさか君が、カイ様の?」
 ルスターは頷く事でハリスの問いかけに答えた。
「私がカイ様の護衛隊長を勤めさせていただく事になりました」
「貴方が、俺を?」
「はい。どうぞよろしくお願いいたします」
 ゆっくりとした優雅な動きで、ルスターはカイの前に跪いた。誰かに本気で跪かれた経験など過去に無いカイは突然の事に戸惑い、無意識の内にシェリアやハリスに眼差しで救いを求めたが、ふたりは当然の事として成り行きを見守っている。神に仕える者が、神の子に礼儀を尽くす事の何がおかしいのかと、無言で訴えているようだった。
「ルスターさん、とりあえず立ってください。俺、そう言うの、慣れてないんで困ります。貴方にも立場があると思うんで、普通に接してくれとまでは言いませんが、その……あまり仰々しくはしないでください」
「そう申されましても」
「ルスター」
 名を呼ばれ、ルスターはハリスを見上げる。それ以後は双方共に無言だったが、何か通じるものがあったようで、ルスターは頷いた後に立ち上がり、柔らかな眼差しでカイを見下ろした。
「カイ様がこの神殿において快適に過ごされるために必要だとおっしゃるのでしたら、了解いたしました」
「ぜひお願いします」
 力強い声で訴えると、ルスターは微笑んで頷いてくれたので、カイは安堵して微笑み返した。
「それではシェリア様、ハリス殿、また後ほど。カイ様はどうぞこちらへ」
 扉を開ける事で、建物の中に入るようルスターが促したので、カイは大人しく従った。先導に従い、扉から繋がる通路を真っ直ぐ進みながら、つい辺りを見回してしまう。
 エイドルードの伝承が真実ならば、この神殿は何百年も昔からあるはずだが、それほど古さを感じなかった。修復や改築が繰り返された様子も無いので、この建物はそう遠くない過去に新たに建てたか、建て直したもののようだ。
 あまり落ち着きがないのはみっともないと自分に言い聞かせ、真正面を見たカイの目に、斜め前を歩くルスターの顔が映る。その顔つきは妙に真剣で、緊張しているように見えた。
「ルスターさんも、強いんですか?」
 部屋までどれほどの距離があるか判らないが、ずっと無言でいるのは重苦しいと考えたカイは、思いついた事を口にしてみる。するとルスターは驚いた顔で振り返り、誤魔化すように笑った。
「剣技の事、でしょうか?」
「もちろん。ハリスの剣は少しだけしか見た事がないんですが、それでも使い手だって事は判ったので……貴方もそうなのかな、と思いまして」
 考え込むそぶりを見せてからルスターは答えた。
「自らの腕を客観的に計る事は難しいものですし、個人の剣の腕について上手く説明する言葉はなかなか見つかりません。となりますと、カイ様がご存知のハリス殿と比較してご説明するしかなくなるのですが、最近は刃を交わす機会もなく――ですが、そうですね。運が良くて、十本中二本を私が取る、くらいではないでしょうか」
 カイは一瞬言葉を失った。
「二本、ですか」
「カイ様をお守りする者として、誇れる事実ではございませんが」
「責めているわけではないです。褒めていると言うか、尊敬します。俺じゃよっぽどの奇跡が起きない限り、一本すら取れない」
 自分で言っていて情けなくなるが、事実だった。あの男の脅迫に屈した時、心を売る代わりにせめて叩きのめしてやりたいと思ったものだが、実力差はそれすらもカイに許してくれなかったのだ。
「ハリス殿は聖騎士団の中でも屈指の実力者です。大陸中を探しても、ハリス殿と互角かそれ以上の剣士など、ほとんど見つからないでしょう」
「やっぱり、ジークは凄かったんだなぁ……」
「ジーク?」
「あ、親父です――と。貴方がたにこう言っても通じないんですよね。俺を育てて、剣を教えてくれた人って言えばいいですか。凄く強くて、トラベッタを魔物から守り続けていて、街中の人に一目置かれていました。多分、ハリスより強かったと思います。ハリスは昔、ジークの部下だったって言ってましたし」
 会話しているうちに緊張が解れたのか、笑みを模りはじめたルスターの表情が、再び凍りついた。
「っと、すみません」
 カイは反射的に謝罪の言葉を口にしていた。
 生まれてから十六年と少し、ジークと共にあり、ほとんどの時間をトラベッタで過ごした事は、幸福な事だとカイは思っている。だがそれは、ジークが聖騎士の地位を捨て、時に過去の同僚と戦う事で得たものなのだ。
 ハリスがジークに対して好意的な態度を取っていたせいで、すっかり錯覚していた。普通に考えれば、過去の同僚である聖騎士たちが、ジークの事を快く思うはずがない。
「なぜ、謝られるのですか」
「なぜって……ジークは、俺にとってはいい父親でしたけど、貴方にとっては迷惑極まりない存在だったのだろうなと思ったので」
 カイが答えると、ルスターは小さく首を振った。
「エア・リーン……いえ、ジーク殿と呼びましょうか」
 目の前の男が口にした名が、父のかつての名だと漠然と理解しながら、カイは無言でルスターを見上げた。
「私も聖騎士の一員として、ジーク殿を蔑むべきだったのでしょう。ですが私もハリス殿と同様に、彼を糾弾する事はできませんでした。ジーク殿の部下であった一年と少しの時間は、今でも大切なものとして、ここに残っておりますから」
 ルスターは彼自身の胸にそっと手を置いた。
「貴方もジークの部下だったのですか」
「はい。この後お会いする事になる、ジオールと言う聖騎士もそうです」
「あ、その人ならさっき会いました。本当なら俺の護衛隊長になるはずだったって」
「もう会われたのですか」
「はい。偶然門のところで。そうか……あの人も」
 カイは聖騎士団における組織がどう言ったものであるかをよく理解していないが、シェリアやカイなど神の子の護衛隊長に選ばれる人物は、それなりに地位が高いのだろうと予想している。
 つまり、護衛隊長候補であったジオールも含めた三人は優秀な人物――人格の良し悪しはともかく――だと言う事で、まだ二十歳前後であった父のおそらく数少ない部下のうち、三人もが優秀な人材に育ったと言う事実は、誇らしく思えた。
「ジークは、貴方たちにとっていい上官だったのですか?」
 その問いに対するルスターの反応は難しいものだった。
 優しさの中に苦味と苦痛が交じり合い、けれどより優しくあろうとする笑みを浮かべ、細めた眼差しが虚空を見つめている。
「判りません」
 沈黙の後、ルスターは答えとは言えない答えをカイに返してくれた。
「私は今でも、ジーク殿に対して抱くべき感情を決めかねております。私は隊長の事を慕っておりました。けれど、隊長は何も言わずに私たちを置いていき、やがて私たちの敵となった」
 カイはこの時になってようやく、父を誇るための問いをルスターに対して投げかけた事が誤りであると悟った。
「私はただ、悲しくて――そして羨ましかった。隊長を理解し、許す道を選べた方が。私たち以上に手酷い裏切りを受ける事によって、隊長を憎む道を選べた方が」
 苦悩を笑顔で押し隠したルスターの表情は、自分と父との幸福や、トラベッタの平和のために、犠牲になったものの象徴だった。
 父を慕う心も、幸福な日々を放棄するつもりもない。けれど、ルスターの存在は、確かにカイの良心を揺さぶった。


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Copyright(C) 2007 Nao Katsuragi.